きりしま月の舟

神様に愛される生き方

2025.02.05更新


 全国的に大雪警報が出ていますね。韓国岳(1700m)を最高峰とする霧島連山の麓にある我が家(たぶん標高600mくらい?)のあたりも、断続的に雪が降っています。 

 雨雲レーダーを見ると、なぜか我が家のあたりだけ、雲が割れて、こんな大雪の日でも守られてる感が満載です。

 ご近所の皆様がおっしゃっています。「このあたりは、霧島でも一等地だね」と。きみちゃんも、本当にそう思います。神様に愛されている土地です。

 それでも、雪の日は道路が凍っているので、外出は自粛した方が良いですね。明日の源氏物語講座は休講にしました。車で30分くらいかかるところからおいでの生徒さんもありますし。

 毎月第1水曜日に「くるみとん」を届けてくれるひかりちゃんも、午後に配達しますとのことでしたが、きみちゃん、心配なので、宅配にしていただきました。こちらも、車で40分ほどかかりますからね。

 カフェ月の舟の方は、旗は出さずに、看板だけ出して、営業しておりましたら、常連さんのYさん、それから県外からお越しのお客様がお見えで、やっててよかったな。ブリの照り焼き、豚汁、カブのサラダ、ラーパーツャイ、おぼろ豆腐、鮭の炊き込みご飯、などなど、作りましたよ。

 はじめてのお客様に女神ヒーリングもできて、何だか達成感でいっぱい。久々に前世リーデングもしました。

 昨日は、鹿児島県立短大の鹿児島学の成績を約120人分つけ終わりました。小テスト4回分の評価ですから、総計400枚以上のレポートをチェックするわけで、毎日ランチ、文学講座、女神ヒーリング、オンライン会議と予定が詰まっている中を、答案の束をひとつづつチェックしていくのは、なかなかの重労働ですが、若者たちへの応援の気持ちが勝るので、それぞれの文章がまた輝いていて、逆にレポートを読むことで癒されます。

 そしてまた昨日は、12年間も委員を務めている会議のオンライン審議会が2時間半もあって、きみちゃん、いっぱい意見を言わせていただき、これまた達成感でいっぱい。もう少し優しく美しい言葉で表現すればよかったかな、という反省はありますが、ま、きみちゃんらしくて、いいかな。

 実は、この審議会、きみちゃんは今期で終わりで、後任も決まり、昨日で最後の審議会だと思って、ご挨拶の準備もしていたのですが、3月にももう一回あるとのことで、ご挨拶は来月に持ち越し。

 でも、京都文学散歩を予定通り、3月末にやっていたら、きみちゃん、この最後の審議会に出ることができなかったかもしれず、神様のなさる采配って、素晴らしいなあ。

 流れてますねえ、運気が。

 わたしたちが京都文学散歩で京都に移動する2月25日って、北野天満宮でのお祭りがある日だったわね。舞妓さんがお出になるお祭りですよ。ということで、北野天満宮へも行かなくっちゃ。先日、これに気づいて、またまた良い流れですねえ。

 楽しみは尽きません。3月2日は、旧三井家下鴨別邸のランチが予約できましたしね。豪華な旅行になりそうで、幸せいっぱい。

 京都文学散歩、あとおふたりの余裕がありますよ。2月25日から3月2日まで、毎日違うメニューでのご案内です。ぜひぜひ、この機会をお見逃しなく。京都文学散歩、ご一緒しましょ。ご連絡くださいませ。先着順です(090-7536-6672 mokka@po4.synapse.ne.jp

 京都御所をご案内くださる皇宮警察の素晴らしいおふたりも、目いっぱい美味しいもの、美しいもの情報を流してくださって、ありがたい限り。きみちゃんもかなり京都は歩き回って、情報通のつもりですが、まだまだ知らない団子屋さん、和菓子屋さん、おばんざいのお店とかを教えてくださって、本当に嬉しく、ありがたいです。頼もしい里沙様、越智様のおふたりです。

 さらに、なんと、28日には鹿児島に帰る予定であったユタカ君も、きみちゃんと一緒に3月3日まで京都滞在をしてくれることになって、新婚旅行気分で京都滞在となる模様。嬉しいなあ。孫たちにも会えるしね。

 さて、2月2日(日)は、ユタカ君の古事記講座、そして、午後からきみちゃんの女神ヒーリングと充実した時間が流れました。寒い中、お客様もいっぱいで、ありがたい限り。

 目いっぱい仕事をしたので、2月3日(月)のオフの日は、ユタカ君と早起きして、早い時間の映画を観に行きました。筒井康隆原作、吉田大八監督の映画「敵」。

 筒井康隆さんの作品は、かなり読んだ時期がありましたが、「敵」は未読。70歳を過ぎたフランス文学が専門の大学教授が、妻にも先立たれ、ひとりで古い家に住み、教え子たちがやってきたり、原稿を書いたり、手持ちの資金が尽きたら死ぬことにしていて、BARで知り合った、フランス文学を専攻しているという若い女の子に300万円をだまし取られたところで、死を決意し、遺言も書いた、という流れの、わたしたち夫婦みたいな初老の人間が、晩年をいかに生きるか、という映画です。

 もちろん、筒井康隆原作ですから、笑いあり、皮肉あり、さらには、フランス文学の知識満載で、派手なおばちゃんの犬の名前がバルザックだったり、「失われし時を求めて」に出てくるご馳走の話題、ラシーヌ、デュラス、と文学好きなわたしたち夫婦には魅力的な名前がいっぱいで、ほんと楽しみました。

 何よりも秀逸だったのが、料理のシーン。長塚京三さん演じる、70歳代の元大学教授のひとり暮らしのお料理が、ほんと素敵でした。

 お昼ごはんに、おそば、冷や麦、お夕飯に焼き鳥、「失われた時を求めて」の肉の煮込み(あれは、鴨?)、何しろ、「失われし時を求めて」は長い小説なので、きみちゃんも冒頭のマドレーヌくらいしかわかりませんが、今度、通読して、あの料理がどこに出てくるのか探るのも楽しそう。

 焼き鳥の描写が素晴らしかったな。レバー、ネギだけの串焼きなんですけど、ちゃんと串に刺して、網で焼いて、焼きながら、焼酎を飲む。お鍋のシーンも良かったね。亡き妻の亡霊が出てくるところ、その亡霊が教え子をなじるところ、役者さんたちのセリフや演技が光ります。

 あのお料理で、小説が立体化しましたよね。食の豊かさが、生きることの豊かさ。長塚京三さんの演技は、アカデミー賞ものだわ。そして、大河ドラマ「光る君へ」で、道長の妻のひとり源明子役の瀧内公美さんの色気は素晴らしくて、ぞくぞくします。

 名演技の合間に、お料理が出てきて、そのお料理もまた名演技。焼き鳥を食べて、焼酎を飲んだら、すっかり酔っ払って、そのままベッドに寝てしまって、片付けはしないまま、というようなリアル感も良かったな。

 舞台は古い家ひとつ、というくらいの狭い空間で、モノクロなのに、濃い映画でした。

 300万円をだまし取られたころから、「敵」がやってくるという妄想が出始めて、観る側もはらはらなのですが、ちゃんと普通に死ねてよかったなあ。

 食べることを中心に、お掃除をしたり、片付けをしたり、丁寧に生きることが誠実に描かれて、きみちゃんたちみたいに、これからあと30年をどう生きるかという課題をもった夫婦にとって、「これでいいんだね」と確認できる映画でした。

 ちゃんと死ねるんだ、というのが、きみちゃんの感想。敵に悩まされ、そのまま長い月日を生きるのではなく、ちゃんと死ぬ時が来たら、死ねるんだね。

 劇場には、わたしたち夫婦みたいな方々がいっぱい。ミッテ10で、午前9時20分の回しかないので、半分くらいが埋まるくらいの観客で、昨今のきみちゃん夫婦貸切状態の映画館でなかったのも、嬉しかったな。

 いかに死ぬか。95歳の母がいま入院中で、病院のベッドに横たわっていることを想うと、それだけでドキドキしてしまうのですが、まわりにいる者は、ただ日常を淡々と生きるしかないですよね。

 母が入院している病院は、お見舞いは週に一回ひとりのみ、しかも5分間の面会、というコロナ・インフル対策で制限されているため、先日、妹が東京から帰省して、その5分の面会をしました。きみちゃんは、その5分間も大事だけれど、とにかく良い気を母に送ろう、と思って、母は何を一番喜んだだろうか、と考えたり、ただひたすら感謝の気持ちを捧げたりして、母の魂と向き合っています。

 やはり、死にゆくときに「ああ、しあわせだった」と言えるように、自分の心を整えておかないといけません。だから、きみちゃんも「かあちゃんの娘でしあわせだよ」と言い続けていますし、すべてを感謝にかえて、母が穏やかであるように祈り続けています。

 「敵」という映画もまた、晩年の妄想のなかに敵が現れるわけですが、それが滑稽に見えるのは、やはり、生きるための「食」の力が勝るからという気がします。

 長塚京三さん演じる元・大学教授は、あの食事、あの身ぎれいさにおいて、かなり立派であって、その生活感が妄想の敵を一蹴するかのようです。

 おかげさまで、わたしたち夫婦も、こうしてランチを出している限り、食を大事にしている限り、大丈夫だな。尊厳のある生活ができるよね、という気持ちで帰途につくことができました。

 映画の食のシーンのおかげで、お腹が空いて、お昼にラザニア専門店に入りましたが、美味しかったな。ラザニアは普通に食べないので、勉強になりますし。

 本屋さんに寄ったり、コーヒーを飲みに「コメダ」に寄ったり、地球畑で買い物をしたりして、オフの一日を大満足で霧島に帰り着きました。そして、ふたりで温泉に行き、帰りにビールを買って、その夜の晩酌も映画顔負けの、きみちゃんの手料理が並びました。

 ああ、しあわせ。最高の人生。とにかく歓びに満ちること。愛と感謝で、日々を満たすこと。

 映画の帰りに、筒井康隆さんの「敵」の原作本を買おうと立ち寄った本屋さんで買った『神様に愛される生き方』という本(江原啓之さん著)には、こう書いてあります。

 本当の幸せを生きるルールとは

  • 神様が贈る「波」に乗る
  • 神様のほうを向いて生きる
  • 神様のギフトに気づく
  • 神様に愛されなさい 愛の電池を充電する、まわりに依存しない
  • 神様から差しのべられた手を取る
  • 神様とともに歩む

 「敵」という映画も実際に観て頂きたいし、この江原さんの本も読んでいただければ、内容がわかるでしょうから、あまり詳しくは書きませんが、要は、自分もまた神の一部である、という自覚が大切だ、ということです。

 それにしても、きみちゃんの場合、読書によって、神様とつながっているのかなあ、というくらい、重要なメッセージが、「本」からやってきます。

 もちろん、毎日の温泉での瞑想、朝のベッドでの瞑想、きみちゃんの神様である「ミラクルきみちゃん」の明るく優しい声、弁財天様の気品高い声のメッセージも素晴らしいのですが、言葉の人であるきみちゃんにとって「本」からの情報は、そのままゼロポイントフィールドからのものとして捉えています。

 きみちゃんにとっては「本」であるものが、他の方には、手芸であったり、絵であったり、書道であったり、料理であったりして、そのなかで大切なメッセージをもらっているのかもしれません。きみちゃんは、料理も「本」からレシピを学びますしね。

 とにかく神様とつながる。自分のなかに神を見出す。ほんとうの自分=神様。お金のエネルギー=自分。それは、とっても大事ですよね。

 逆に、幸せになれない三つの要素は、自己憐憫、責任転嫁、依存心だと江原さんはおっしゃいます。本当にそうですね。「わたしは悪くない」というメッセージが歩いているような方って、いますね。

 自分には価値がある。自分の人生の主人公は、わたし自身であり、ちゃんと自分で責任をとる。自分軸を定めて、他人のせいにしない。

 きみちゃん、しっかりと神様とつながり、お導きに従い、波に乗っています。自分を大切にし、人をも大切にし、自分の人生を素敵に創造しています。

 だから、たくさんの仕事を同時にできるのだと自負しています。自分軸がしっかりしているし、つねに歓びのなかにいるから、つねに自分は最高傑作で、最高にしあわあせだと言い切れます。

 きみちゃんは、100歳まで自分で稼ぐ力があるので、何も心配しません。不安もない。ユタカ君も魂から、きみちゃんを愛してくれます。

 あと30年、ふたりでこの地球を生き抜くために、支え合い、助け合います。そんな相棒がいるだけで、心強いですしね。

 さあ、京都文学散歩、きみちゃんとユタカ君とご一緒しましょ。あとおふたりですよ。ぜひぜひ。

 さ、今夜は、あまりにも寒いし、道路が凍っている可能性があるので、温泉はお休み。おうちのお風呂に入ります。

 明日は、源氏物語講座はお休みですが、カフェは開けますし、ランチもご用意します。月の舟周辺は、積雪はありませんが、道路が凍っている可能性が高いので、気を付けてお越しくださいませ。

 いつもブログを読んでくださいまして、ありがとうございます。愛と感謝に包まれて生きる。それが神様に愛され、神様とともにある生き方です。愛と感謝にどんなときも戻りましょう。

 では、この寒波が過ぎるまで、あと少し。神様とつながって生きていきましょう。