きりしま月の舟

女の肌の重み

2025.10.14更新


 朝晩は、さわやかな風が吹き、秋を感じながらも、昼間は真夏日のような暑さで汗をかくというこの頃。我が家のテラスに、ヤモリの赤ちゃんが干からびて横たわっていた、というユタカ君からの報告で、秋かな、と思って、やおら外の世界に出たヤモリの赤ちゃんが一瞬にして動けなくなり、干からびる暑さであったであろうと推測される、それくらいの暑さでした。

 昨日は、喉が渇きました、という感じで、冷たいドリンクやスイーツを召し上がるお客様が多くて、スイーツはユタカ君の担当なので、お客様とのおしゃべりは楽しみつつも、きみちゃんは昼間にゆっくりと読書ができました。

 これまで未読であり、気になっていた小説『婉という女』を一気に読みました。いやあ、傑作ですわ。どうしてこの小説をこれまで読んでこなかったんだろう。敬愛する松岡正剛さんがこの小説を大絶賛しておいでであったのに、読まずじまいで、今回、手元にあった昭和文学全集に収録された『婉曲という女』を読みました。

 なぜこの小説を今頃になって読もうと思ったかというと、渡邊英理さんの新著『到来する女たち』で、きみちゃんがライフワークとして長い間取り組んできた小説「女と刀」と同時代の作品である、と位置付けられていて、そうだったんだ、と改めて思い、読まねば、と思ったからでした。

 きみちゃんは、中村きい子さんの小説『女と刀』をたぶん、この人生で20回以上は読み直し、大学・短大の講義でも毎年取り上げ、論文も大きなものが3本、新聞に書いたものが4本、その他、追悼文やなんやらで新聞に寄稿したものを含めて、全部で10本以上はきい子さん関連があるかな。日本近代文学会九州支部でも「中村きい子の世界」について口頭発表もしました。

 それらを今、ユタカ君がまとめてくれていて、もうすぐ一冊の本になります。きみちゃん、そのときそのときに一所懸命書いてはきましたが、今改めて読み返すというのは、どうにも気恥ずかしいのですが、ユタカ君の編集力を信じて、お任せしています。

 3年前だったかな、宗像大社に参拝するときにご案内くださり、かつご自宅に泊めてもくださった初音さん母娘さんは、すごい霊能者であられるのですが、そのお母様の方が、ご自宅で話しているときに、「あら?なんだか作家さんが、きみこさんのあとをついてきておられますね。それに、その作家さんのお母様もご一緒ですよ」と言われました。

 そのとき、すぐに「あ、それは中村きい子さんだな」と思い、そのお母様まで、と嬉しくなりました。このおふたりはすでに亡くなっておられ、霊がついてきている、とのことなのですが、初音さん曰く「このおふたりが、きみこさんにとても感謝しておられますよ」と言ってくださって、本当に嬉しかったことを今も時折思い出します。

 先月、観ていただいた姶良の男性霊能者の方も、きみちゃんにはたくさんの守護霊がついている、とおっしゃって、それもまた嬉しく、亡き父の魂はつねに近くにいるし、初音さんが「お父様もついておいでだわ」とおっしゃったので、きみちゃんの守護霊様のなかに、父や祖父母やそのほかに、作家の中村きい子さんとそのお母様がおいでである、というのは、とてもありがたく嬉しいことです。

 小説『女と刀』は、中村きい子さんのお母様をモデルとして書かれています。子どものなかった中村きい子さんの著作権は、甥の護摩ヶ野さんがもっておられ、護摩ヶ野さんとも親しくしていただいており、このご一家の知的礼節をいつも肌身に感じて、それもまたありがたいことだなあ、と思います。

 さて、『婉という女』のどこが傑作かというと、女性の心理の襞が実に丁寧に描かれているというところ。江戸時代、土佐という土地で、父親の政治的失脚により、家族とともに3歳のときから幽閉され、外の世界から遮断され、43歳のときにようやく許されて外の世界に出た野中婉。

 その婉の生涯を大原冨枝さんは小説『「婉という女」』にまとめられたのが1960年。『女と刀』が1964年から65年にかけて「思想の科学」に連載されたので、たしかに英理さんの書かれるように、『女と刀』の執筆と『婉という女』は重なります。

 『婉という女』に描かれるのは、幽閉中に、自分が女の身体になっていくこと、それと同時に、兄たちを男としてみていく、本能のようなものへの抗いが丁寧に描かれます。

 『女と刀』では、身分制度の厳しい薩摩藩にあって、武士の娘として生まれながら、博徒の男と恋愛をし、その男とのエロスを燃焼させた初女という女性が出てきます。きい子さんのお母様をモデルとした小説『女と刀』において、キヲという女性が、そのお母様にあたるわけですが、初女は、キヲの母の姉、つまり叔母にあたります。

 小説『女と刀』には、「女の肌の重み」という言葉がよく使われ、初女における恋人・天龍金殿が亡きあとは、「好かん男には気も見せぬ」という初女の心意気が「女の肌の重み」。さらに、キヲにとっては、全く愛を感じない夫の子どもを8人も身ごもってしまった自分への戒めとして、8人目の子どもを産むときに、お産婆さんなしでひとりで産むということに「女の肌の重み」が表現されます。

 これはもっと突き詰めていえば、自分の感受性を信じる、ということで、その感受は、女性の身体がする、という感覚が、『婉という女』でも『女と刀』でも貫かれ、きみちゃんは、この描き方に感動を覚えるのです。

 地位やお金、政治という外部の環境ではなく、自分の感受性を信じて、それをまた受け入れてくれる世界というのが、真の自由である、とでも言いたげな小説たち。女性の身体という広大な宇宙への崇敬、それこそが自由の出発点だ、とでもいうような。

 男性ではなく、女性の感受性のありか。それは脳が導き出す論ではなく、女性の身体感覚が教えるものを信じるというあり方。それは大きく「愛」という言葉にもなり、「母性」と言い換えてもいいかな。

 きみちゃんは、子どもを産んだ、しかも年子を産んだ平成元年ごろ、いつも思っていたのは「わたしを束ねないで」ということでした。「わたしを束ねないで」という言葉は、新川和江さんの詩の一節です。

 きみちゃんは、26歳でイギリスに留学し、27歳で日本に帰ってから、大学院に入りなおしました。大学院博士課程後期に進学するときに、イギリス時代に知り合ったユタカ君と結婚したのですが、「お勉強が好きなきみこさんが結婚するとは思わなかった」ときっと100人以上の人に言われたと思います。

 つまり、勉強する女、仕事をする女と、結婚して子育てする女が分離されていた時代だったのかも。独身を貫いても、結婚をしても、なんというか男性社会は女性に「罪悪感」を巧妙にしかけていくような気配を、きみちゃんは感じていました。

 父はよく、「きみこは欲張りだ」と言っていましたが、欲張りというよりも、きみちゃんは、今思えば、いつだって、自分の感受性を信じ、自分の身体意識を大切にしていただけだった、と思うのです。

 だけど、世間は、きみちゃんを、まるでアメリカの野球界に進出した野茂選手並みに、変人扱いし、わがまま扱いし、驚き、けれど、好奇心をもって受け入れ、両親は、わが娘が、普通に結婚するのではなく、お金に困っているわけではないのに、仕事をしたい、と言い、赤ん坊をときに自分たちに委ねて出かけていく娘に右往左往しつつ、受け入れようと努力してくれたんだな、と思います。

 女の肌の重み、という言葉をいま一度思い返すとき、きみちゃん自身の人生と重ねてみて、「ひとりの人間としての尊厳」というものを大切にしたい、と切に願っていたんだな、と思います。

 渡邊英理さんがすごい力技で論じておられる「サークル村」の女たち、森崎和江や石牟礼道子が描いた「労働とエロスをともに生きえる世界」を、不肖・みたけきみこは体現できている、と、ここで言いたい(笑)。労働とエロスを両立させることが、実はきみちゃんの人生の目標でもあったかもしれないな。

 きみちゃんを分析しないで、とも言いたい。子育てと仕事の両立に四苦八苦していたきみちゃん、まだまだユタカ君との息を完全に合わせられなくて、すったもんだしていたきみちゃんをあまり思い出したくないし、その思い出を語りたくもない。希望だけを語りたい。達成したものだけを見たい。

 女神きみちゃんは、静かにここにいる。相変わらず、労働とエロスを両立させて、実に幸せに生きている。しかし、それは、きみちゃんの努力というよりも、周りの人々の深情け、ユタカ君、両親、こんな未熟でわがままな母を受け入れてくれる娘たち、孫たち、友人たち、受講生の皆様、女神ヒーリングを受けてくださる皆様、ご縁する皆様すべてのおかげさまであった、と思えます。謙遜でなしに。

 そして、きみちゃんの最大の功績は、「女の肌の重み」をつねに原点にして、自分の身体感覚を大切にしてきたこと、それを優先順位の第一位にしてきたことだと思うのです。つまり、直観力を最大限に発揮して、生きてきたってことかな。

 だから、今、きみちゃんの優先順位の第一位は、愛であり、とくに家族への愛であり、孫たちのお世話であり、娘たちへの協力であり、同時に、人間のきみちゃんと女神きみちゃんの融和なんだな、と思うのです。

 お金や地位以上に「労働とエロスが共存する場」を磨き上げる、というのかな。きりしま月の舟という場を足場にして。

 きみちゃんは、「女と刀」のなかの初女がとても好きで、講義のなかでも初女の言葉を主に取り上げて、特に「まとまりによりかかるな」という言葉を取り上げます。

 それは組織に従属せずに、個人として生きてきた初女の哲学。武士というまとまり、会社というまとまり、公というまとまりのなかで安住せずに生きてきたことが、初女の誇りであり、また、きみちゃんの誇りでもあります。

 もちろん、ユタカ君や両親のサポートがありますが、それでも、つねに自分の力で世間の風を真っ向から受けつつも、その荒波を他人のせいにせずに、自力で乗り越えてきた、という自負があります。

 母に「お願いだから、仕事をしないで」と懇願されながら、仕事を続けて、あと2年で大学・短大の非常勤講師が終わります。「本を読まないで」と懇願されながら、本を読む生活に光と愛を感じながら生きることができています。

 「女の肌の重み」という言葉は、とても重たいですね。高度経済成長社会が忘れてきた母性のありかでもあるのでしょう。それを力ある作家さんたちは丁寧に描いてきてくれたのです。だから、きみちゃんはそのことを後世に伝えていく責任があるし、女神きみちゃんの生き様が、若い人たちのひとつの指針になればいいなあ、といつも願っています。

 まだまだこなれない思想を、ここで書いてしまったので、わかりにくかったかもしれませんが、またゆっくりとひとつひとつ言葉を練りながら、「女の肌の重み」について書き連ねていきたいと思います。

 森崎和江、石牟礼道子、中村きい子というとてつもないエネルギーの女傑たちを同時に論じるという力技を発揮して、小説『女と刀』を戦後日本文学史に位置付けてくださいました渡邊英理さんに深く感謝いたします。

 11月2日、かごしま近代文学館で、英理さんの講演会が開催されますよ。ぜひ皆様、足をお運びくださいませね。

 本当は、絵里さんの新著『到来する女たち』が発刊された直後の7月に、きりしま月の舟でも講演会を開催する予定でしたが、きみちゃんの母の逝去後まもなくであり、また新燃岳の噴火、霧島市の大雨による災害が重なり、延期にしました。

 でも、あの時期には気が付かなかったことを、いま、「女の肌の重み」として感じ取っておりますし、延期もまた宇宙の粋な采配だと思えます。

 それにきみちゃんとしては、「サークル村」関連のことを論じてこられた皆様とともにシンポジウムをやりたいなあ、とずっと思ってきたので、どこかでまた森崎和江、石牟礼道子、中村きい子を論じる機会を設けていこうと夢見ています。

 いつもブログを読んでくださいます皆様、大感謝です。11月1日(土)は、きりしま月の舟にて、午後2時から「Sarasvati」コンサートを開催します。ぜひ、こちらも足をお運びくださいませ。

 皆様を愛しています。きみちゃんの肌の重みは、孫たちをはじめとして、地球上の子どもたち、そしてご縁する皆様に届けられるでしょう。お受け取りくださいますと、嬉しいです。皆様からの愛もきみちゃんは受け取りますよ。愛を循環させましょう。