きりしま月の舟

導かれて、生きる

2025.02.01更新


 今日は2月1日。天気予報通り、寒くて、風が強く、雨も降っています。おそらくそのうちに雪になる気配。

 今週初めに冠雪していた霧島連山は、昨日の暖かさでうっすらと雪が解けましたが、また冠雪するのかな。

 山が冠雪すると、何だか不思議なものを観るようで、わくわくしますし、その美しさに感動します。こんな雪山を観ながら暮らすことになろうとは、きみちゃんの人生、なかなか面白いじゃないの。

 ユタカ君は、神奈川県の故郷の風景と、霧島の風景が似ている、と言います。きみちゃんは、どちらかというと夏の生まれだし、暑いのは平気だけど、寒いのは苦手というくらいに南国的な人なので、こんな寒い土地に住むようになるとはほぼ思わず、ただ、亡き父が50年以上も前に買って、放置してあった土地をわたしたち夫婦が譲り受けて、夫婦ふたりの家を建て、仕事場としての「きりしま月の舟」を建て、今日に至ります。

 この土地がまだ草茫々だったときから、なぜか惹かれて、都会のマンションには住みたくないきみちゃんとユタカ君ですから、こうして霧島に住むようになったのも、天に導かれてのことで、運命なんですね。今では、こんなに美しく、素晴らしい霧島に終の棲家を持てて、本当に幸せです。

 さて、きりしま月の舟、毎日、素敵なお客様が次々にいらしてくださいます。先日は、ノーベル賞を受賞した韓国の作家・ハン・ガンさんのご親戚という方が見えました。

 きみちゃんは、ちょうど女神ヒーリング中で、ユタカ君がランチをお出ししたのですが、韓国からということで、ハン・ガンさんの話をして、ユタカ君が持っている彼女の本をお見せしたところ、「あ、この子は、わたしの姪ね」とおっしゃったそう。で、いとこにあたる息子さんのお嫁さんが日本語ペラペラで、話が通じたとのこと。

 凄いことがあるものですよね。きみちゃんはお会いできなかったのですが、なんだか、嬉しいなあ。

 そして、きみちゃんが女神ヒーリングの前に作っておいたランチメニューの「ねぎとブロッコリのキッシュ」をいたく気に入られたそうで、「おくさん、料理が上手ね」と褒めてくださったそう。

 霧島は観光地なので、外国の方が月の舟にもたくさんおいでです。だいたいが英語で通じますし、中国、香港、韓国、東南アジア、ヨーロッパ、アメリカ、etcと世界中の方と霧島にいながらにして交流できる幸せ。

 きみちゃんは、毎日の英語学習のおかげさまで、意思疎通に困ることはないですね。抹茶をテイクアウトしたい、というような申し出だと、メニューにないのですが、日本文化に触れたいお客様のために、きみちゃん、できるだけご要望に応えたいな、と思って、日々、お客様と接しています。

 毎日のようにランチを食べに来てくださるお客様、「美味しかった」と言ってくださるお客様、月の舟で買っていかれた本を読んで、「面白かったです」と言ってくださるお客様。

 今日は、あるお客様が「あのとき、ほら、あなたが綺麗だと言ってくださった〇〇さん、また今度連れてきますね」とおっしゃって、「え、どなた?」と思い出せなかったのですが、きみちゃんの言葉もまた、お客様の思い出のひとつになっているようで、責任もあり、嬉しくもあり、これからも美しい言葉を使い続けていこうと思います。

 愛と感謝に溢れて生きる。自分も他人様も褒めて褒めて褒めまくって生きる。これがきみちゃんの日々の生活です。

 昨夜、ユタカ君に勧められて、『小さき者として語る平和』という本を読みました。著者の福岡賢正さんが戦争体験者に聴いたルポ『小さき者たちの戦争』の後編として、6人の方々との対談を収めた本です。

 「小さき者」とは、子どものことではなく、沖縄や奄美で「小(くう)さ、愛(かな)さ」という言葉があるように、「人間は小さいがゆえに愛おしい存在である」という意味を込めて、「ちいさきもの」ではなく、「ちさきもの」という読み方をしておいでです。

 この本のなかで、最初の対談相手は、あの『ゲド戦記』を翻訳した清水眞砂子さん。

 清水さんによれば、現代の若者は、「戦争体験がある人が羨ましい」と言うそうです。「みんな生き生きと戦争体験を話すのに、私たちにはあんなに生き生きと話せることなんて何一つない」と。

 清水さんは「人々が平和を生き延びられなくなったとき戦争を呼び寄せるんだ」と分かったと言います。

 生き生きと生きる、とは、破壊の快感であると勘違いしている。

 きみちゃんは、ここで思います。戦争の源は、みんなが誰かの悪口を言うことだ、と。誰かのことを抹殺したい、こんなに幸せな人が許せない、と思うことだと。そう思うことで、自分の気持ちを一瞬だけでも鼓舞していく。

 あるいは、自分の人生がうまくいかないのは、誰かのせいだ、と思う気持ち。世の中の仕組みが悪い。そんなことを思っていたら、結局はどんな職場に転職しても、同じタイプの人と巡り合う羽目になります。

 確かに、コロナ禍以降、ブラックな職場の闇は深いのですが、「どうしてわたしが働きやすい職場を世の中は作ってくれないのか」と誰かのせいにしている限り、職場を転々とする羽目になります。

 じゃあ、どうしたらいいの?その答えは、平和を生き延びること。退屈で、みじめで、刺激のない日常に小さな歓びをいっぱい見つけていくこと。

 小さな幸せに感動する。自分の直感を信じる。自然の美しさに感動する。お給料があること、お給料が出たこと、お金のやりとりはなくても、労働の交換、お野菜や食べ物を分かち合うこと、信頼と感謝と尊敬が循環していること、心がほんわかなるような会話ができたこと、そんなミクロの小さな幸せを日々味わい、噛みしめていくことではないでしょうか。

 人の悪口を言ったり、世の中を嘆いていると、何だか、自分に力があるように思うけど、それは闘いの入り口。

 自分の人生に責任をもつということは、人を支配する力を持つことではなくて、小さな幸せを数える能力をもつことじゃないかな。

 きみちゃん、一昨日、なぜか眠たくて、早めにベッドに入ったのですが、ユタカ君がそっとやってきて、「きみちゃん、今ね、テレビ番組で、良い話を聴いたよ」と優しく語ってくれました。

 それは、ある有名人の方のご両親の話で、お父様がお寿司屋を始めたいと言って、転職されたそう。で、お寿司屋さんをやれて良かったな、という以上に、奥様と一緒にやれたことがとても嬉しかった、とおっしゃって、そのご夫婦は、一緒に働くことを歓びとしていて、それが子どもにも伝わったという話らしい。

 それって、わたしたちのことみたいだね、ときみちゃんは寝ぼけながら返事をします。それでユタカ君は満足したみたいで、ベッドを離れ、リビングに戻りました。それでまたきみちゃんもぐっすりと寝たわけで。

 そうなのですよね。きみちゃんは、ユタカ君とこうして月の舟をやれていることに大満足、大幸福、大感謝です。お客様が多い、少ない、というのは、もはや自分にはコントロールできない世界。

 今日はお天気も良いし、お客様が多いかな、と思っていても、そうでなかったり、思いがけず、たくさんのお客様がいらしてくださったりと、飲食業というのは、そして人の気持ちの動きに方程式はなく、ただただ、こちらはしっかりと丁寧に準備して、笑顔で待っているだけ。

 いろいろと工夫することは、もちろん大事です。きみちゃんも、毎日ランチメニューを考え、新鮮な材料で、毎日お料理し続け、文学講座の準備をし続け、女神ヒーリングで深くお相手様の話に耳を傾け、いやあ、もうやれることはすべてやり、全力投球で日々を暮らしておりますが、その努力以上に、ユタカ君と一緒に働けることは、最高の歓びですね。ありがたいことです。

 昨日は、日本文学研究者のM先生がお友達とはじめて月の舟にいらしてくださいましたけれど、そのおふたりが口を揃えて、「仲いいですね」と言ってくださいます。4人で、アラミニッツに寄って、「霧島で、世界最高のスイーツを味わえるよ」とシュークリームをお土産にする歓び。

 歓びの場所には、歓びが集まってくる。

 他人の悪口を言うと、脳というか、神様というか、宇宙というか、そういう目に見えないものは、主語を認識しないので、たとえば、「あいつ、バカだね」というと、主語がない形で「バカ」という言葉だけが、悪口を言ったその人に残るそうです。だから、他人の悪口を言っているのが、結局は自分で自分に悪口を言っているみたいになって、そのうちに脳が劣化するのだそうな。

 きみちゃんも人の悪口を言ったり、ユタカ君と喧嘩するときもあります。でも、霧島に住んでからというもの、ほぼユタカ君と喧嘩していないなあ。なんというか、力を合わせないと、生きていけないですからね。

 ユタカ君はスタッフ5人分の働きをしてくれるし、きみちゃんはつねに月の舟の方向性を探って、こっちだ、と直感で「月の舟」という舟を全力で漕いでおりますからね。どちらも重労働なんですわ。その重労働を楽しくやれるのは、「協力する」という楽しさ、歓びがあるから。

 さて、話を元に戻すと、平和を生き延びる、すなわち、破壊ではなく、再生、すなわち平和を生き抜くためには、歓びに満たされて、コツコツと何かをやり続けて、自分と宇宙を信頼して、行く先を定めはしても、違う方向に行ったときに、「あ、これはこっちに行けってことかな」と冷静にまた、コツコツと日常を過ごすことが大事だな、と思います。

 昨今、「好きなことを仕事にする」というのが流行っているようで、好きなことにこだわりすぎる人が多いなあ、と思います。

 まずは、しっかりと稼いで、しっかりと日常を営むことができるのって、素晴らしいことなのに、そこに「好きなことをしていない」欠如感を持ってくると、しっかりと働いて稼いでいることを否定するみたいになってしまいます。

 好きなこととは、夢中になることなので、いつのまにか仕事になっていた、とか、これで稼ぎたい、と思ったとか、そんな流れになるんじゃないかな。

 好きなことは、特に刺激的なことではなく、毎日をトランス状態にするわけでもなく、ただ「好きだなあ」という安定した感慨、美しい自然を見るような、落ち着いたリラックス感のある感情ですよね。

 それをしていることが当たり前、というような。

 何か特別な才能って、それをしている本人には気が付かなかったりしますよね。そして、出世とか成功とかにこだわる必要もない気がします。

 まずは、自分の気持ちを歓びで満たす。ああ、幸せだなあ、といっぱい唱える。そして、自分は女神であり、神であるという境地まで行きつく。「わたしなんて」と遠慮しない。遠慮しても何一つ良いことはありませんからね。

 その満たされた状態で、自分を信頼して、世の中というか、宇宙というか、大いなる存在は、自分を生かし、自分を愛し、自分を認め、価値あるものとして、導いてくれているのだ、と信じて、導きに従って、生きていく。

 幸せへの第一歩は、自己価値の高さから。自分には価値がある。この地球で生きていく価値がある。この自分を活かして最高に幸せな気持ちで生きていく価値がある。その気持ちを持ち、毎日をコツコツと過ごしていると、お導きがあるのです。

 へええ、そうなんだあ。という感じで、物事が進んでいきます。

 京都文学散歩もあと少し空きがありますよ。3月2日は、びっくりするくらいに豪華なランチの予約ができました。あと3名ですので、ぜひ奮ってご予約くださいませ。毎日のコースを定員になり次第、そして2月10日までにはご予約を確定していきますので、どうぞお早目にご連絡くださいね(090-7536-6672 mokka@po4.synapse.ne.jp)。

 きみちゃんは、これまで京都文学散歩の30人規模のものをたくさん企画してきましたし、次女が京都に住んだこともあって、るい君の保育園、れなちゃんの保育園の送り迎えをしたり、小学校に上がると勉強机、ランドセルを京都で買って、孫育てに勤しみながら、京都中を何万歩と歩き続けました。

 源氏物語を30年以上教えてきた時間と同じくらい、京都を隈なく歩いて、平安時代の光と闇を感じてきました。その時間の深さ、京都への愛着、歴史への眼が養われてきたと思います。

 きみちゃんが創った今回の京都文学散歩のコースは、きみちゃんならではのなかなか素晴らしいものと自負しています。

 平安時代の、あの女流作家さんたちの才能の輝き、和歌の輝き、素晴らしいですね。女性が言葉の才能を発揮した時代にタイムスリップして、自然、歴史、文化、建築様式を深く味わっていきましょう。

 実は、このブログ、一昨日から書き続けていて、3日間もかかって、なかなか終わらないんですわ。

 言いたいことが伝わったかな?コツコツと毎日に歓びを見出して生きていきましょう。悪口、損得、嫉妬、そんなもので生活に張りは生まれません。

 まずは、自分にはとてつもない価値がある、と何のエビデンスがなくても、そう思い込む。わたしは女神よ、と思い込む。

 そこから、導きに従って、生きていく。損得じゃなく。不安や怖れは、脳で捉えるものらしい。直観を鍛えて、松果体を活性化して、朝陽を浴び、毎日できることをコツコツとやって、生きていきましょう。

 1月30日の朝、霧島小学校の子どもたちの見送りにようやく行けて、校長先生とも久しぶりにお話ができましたが、いやあ、小学生って偉いね。こんな寒い朝でも、学校に行くんだよね。

 きみちゃんなんて、仕込みもあるし、お掃除もあるし、いろいろとやることがあるのに、朝、ベッドの中から出られないのにね。子どもたちは、お母さんに3度も起こされ、しまいには布団を剝がされた、と言っていましたけど、それでもちゃんと遅刻せずに学校に行く子どもたちの偉さ。

 学校に行けばいい、というものではないですが、朝、起きれた自分、何とか歩いている自分を、思い切り褒めてあげないとね。

 きみちゃんは、午前7時にお見送りできるときは、できるだけ行きますね。そして、きみちゃんの孫たち、霧島小学校の子どもたち、きみちゃんとご縁する子どもたちを愛してやまない女神きみちゃんを誇りに思います。

 さ、そろそろランチのお客様がおいでになる時間。今日は海鮮丼ですよお(おお、豪華だね)。走る魚屋さんのお魚があまりにも新鮮で素晴らしいので、今日は海鮮丼にしてみます。

 いつもの土曜日恒例の鶏飯は、地鶏屋のおばちゃんが体調を崩したらしくて、鶏ガラの大きいのが手に入らないので、また次回。

 温かいお味噌汁、ラーパーツアイ、キャベツのコールスロー、大根とりんごの甘酒マリネ、などたくさんの副菜もご用意しています。

 なんてったって、きみちゃんとユタカ君の愛がこもっていますからね。召し上がれ。明日は節分ですから、恵方巻ですよ。

 歓び溢れる月の舟、皆様のお越しをお待ちしております。京都文学散歩のお申込みもお待ちしております。

 いつもブログを読んでくださいまして、ありがとうございます。書くことが何よりの歓びのきみちゃん、また、どんどん書いていきますね。ひとつでもふたつでも、皆様の魂の扉を開くきっかけがあれば、と思います。