揺るがない生き方
2021.08.20更新
晴れ間が見えたり、また大雨になったり、日本全国、どこも落ち着かないお天気のようです。
わたしは、ひたすら免疫力を高める食事を孫のために作り、お料理、自分の勉強、掃除、と日々励んでおります。
今朝は、スイカをそのままミキサーにかけて、スイカジュースを作ってみましたら、それはそれは甘く美味しかったです。小玉スイカを3個もいただき、しかも全部手作りの無農薬のやつ。ありがたいことです。
それを2個分、次女のところに持ち込んで、ひたすら生食しておりましたが、さすがに飽きてきたので、ジュースにしてみた、というわけです。明日は、ゼリーにしてみようかな。だって、次女の台所の引き出しに、粉末寒天を発見したので(笑)。
日々の生活を磨き上げること。これはとっても大事ですね。食事、睡眠、リラックス、勉強、仕事、趣味の時間の割り振り。整理整頓。
我が家では、時間の割り振りはほぼできていますが、次女のマンションという他人様の空間では、なかなか遠慮もあって、うまく稼働できませんが、滞在4日目にして、かなり調子が出てきました。
ルイ君にもテキスト、資料の整理の仕方などを教えていきたい、と思います。ズーム授業も昨日2回目を経験して、慣れました。ユタカ君とルイ君とわたしのパソコンで、ズーム練習会をしたり、と楽しくやっています。
塾からプリント類がデータで送ってくるので、それをわたしのUSBに保存して、近くのコンビニで印刷する、という方法も、わたしだからこそできる、と自分で自分に感動しています。
わたしって、すごーーーい。女性性と男性性のバランスがなかなか程よく取れているね。そんなことを昨日は考えながら、れなちゃんの保育園のお迎えに行ったのでした。
さて、今日は、揺るがない生き方について、書きます。
というのも、8月14日に開催した有川真由美トークショーの際に、「どうしたら、揺るぎない生き方ができますか?」というご質問があったからです。もちろん、有川さんの回答に、ご質問された方は納得されたようで、一件落着。
けれど、その後、あれこれと「揺るぎない生き方」についての想いが、わたしの頭をぐるぐるしているので、わたし自身の問題整理も兼ねて、書いていきたいなあ、と思った次第。
まずは、揺るぎない生き方をする、と決めて、あまり固まらないこと。人間の気持ちって、コロコロと変わるものだと心得て、揺るがず、という野武士みたいな、眉間にしわを寄せるような生き方じゃなくて、大木ゆきのさん風に、宇宙におまかせーーーー、的な感じがいいんじゃないかなあ。
わたしは、決断3秒ルールを作って、即決を趣味にしていますが(笑)、気持ちが変わるのもほぼ5秒くらい。コロコロ変化していきます。
ユタカ君は、あなたの心変わりにはもう慣れた、と言ってくれます。コロコロ気持ちが変わる割には、ユタカ君との関係は30年以上続き、鹿児島で暮らすこともトータル50年近く。約10年近くを東京、川崎、イギリスで暮らしたほかは、ずっと鹿児島暮らし。これから死ぬまで霧島で暮らしていくつもりです。
何も鹿児島で暮らすぞ、と揺るぎない決心をしたわけではないんですけどね。ユタカ君とも何度も関係性の危機がありましたけどね、なぜか霧島でユタカ君と暮らしておりますわ。
ただ、覚悟を決める、というのは、意識して何回かやっています。
文学散歩に力を入れる、これをわたしの仕事のメインにする、という決断はきっちりとやりました。あれは20年前ですかね。その決断は功を奏して、特に、NHK大河ドラマで「篤姫」が放映されたときには、ドラマの前に篤姫文学散歩を企画していたおかげで、実にたくさんの仕事のオファーがあり、とても楽しく充実した仕事ができました。
その文学散歩の熱が醒めた頃、20坪の空間で、自分の文学教室を持ちたい、という思いがむくむくと湧いてきて、あれこれ探していたら、天文館にとても素敵な30坪のスペースが見つかったのです。
源氏物語受講生の大石さんの紹介でした。あれこれと迷って、やはり霧島の土地に建物を建てるのがいいのかなあ、とユタカ君とふたり、我が家の隣りにある高級旅館・竹千代さんに宿泊して、「おお、なかなか素敵な空間だね。ここに家と仕事場を建てましょう」と話しながら、車でそのころの自宅の妙円寺の家に帰る道すがら、大石さんから電話があって、「みたけ先生の好きそうな空間が見つかりましたよ。見てみますか?」とのこと。
即決が趣味のわたしは、ユタカ君とふたり、すぐにその物件を見に出かけたのでした。
そして、即決。30坪のワンフロアに大きな柱が一本あって、それは構造的には取り除いても大丈夫だったのですが、その柱をどうするかで、大きく悩みました。
そのときのデザイナーさんの思い入れのある柱のようで、わたしはその思い入れに気持ちを左右されたのでした。結局、わたしのボーイフレンドたちが「先生、あの柱はとったほうがいいですよ」との助言で、取りました。
心優しいボーイフレンドたち。本当にありがとう。その優しさがとっても好き。わたしには、そういうボーイフレンドが実は23人もいるのです(笑)。わたしのBFに指名されたことを知らない方もおいでですけど。ま、このBF指名の趣味は、すでにやめております。
天文館に「月の舟」を出すときは、ユタカ君が反対したら、離婚してでも決行しよう、と決断しました。これは本気でしたね。子どもたちも巣立って、夫婦ふたりの生活のなかで、わたしは仕事を最優先したかったのです。
幸いに、ユタカ君は最初「そんなお金、どこにあるの?」とすねた態度でしたが、ずっと協力的で、天文館進出2年目に、自分の仕事を辞めて、月の舟専属になってくれました。
あれから10年。いまや、きりしま月の舟では、わたしがいなくても、昨日は夏野菜カレーを作り、梨のコンポートをデザートにして、張り切ってくれています。
ユタカ君こそ、揺るぎない生き方の正反対をいっています。その場の流れに乗る、というのが大得意。でも、芯がしっかりしているので、ダメなものはダメ、身体自体が決断とともにあるような感じです。
思うに、他人の意見に左右されると、揺るぎない生き方はできません。自分自身の考えが変化することはOKなのです。でも、他人の考えをおもんぱかって、そこで逡巡してしまうと、なかなか決断ができません。
決断したあとの責任は、ぜんぶ自分が取る、という気持ちが大事。他人の意見に振り回されるというのは、責任を他人になすりつけようとしているからではないか、ということを自分の心に聞いてみることです。
よく夫が反対している、とか、家族の理解が得られない、とか、そんな話を聞きますが、こんなことを言えるというのは、まだやることに本気出してないんだろうなあ、と思います。
わたしはいま、64年の人生で、本当にはじめて自立しようとしています。これまでは何らかの援助がありましたけど、それがもうない、という背水の陣で、きりしま月の舟を運営しています。
それがまた、清々しく、心地よい。こんなにも自立というのは、気持ち良いものなのか、と思います。
91歳の母のことも、きょうだい4人で面倒をみることにしたら、とても快適です。ろくに親孝行のできていない不肖の娘ですが、まあ、人並み以上に親をよろこばせてきた、という自信はあります。やるだけのことはやった、あとは感謝を伝えるのみ。母自身を信頼して、リスペクトするのみ。
だって、それが最高の愛だから。
相手を何かが欠けている、足りない存在としてみると、そこには支配や抑圧や抵抗が芽生えるけれど、相手を完全な存在としてみると、そこには至高の愛が生まれます。
揺るぎない生き方とは、究極的には、自分はありのままで完全である、と信じ切ることです。
完全な自分が決めることだから、すべてOKなのです。
間違ったら、やり直せばいい。途中で不安になったら、そんな自分を優しく抱きしめてあげればいい。大丈夫だよ、と。
さ、これからルイ君と資料の整理をします。今日、外は晴れていますが、外出は涼しくなった夕方に、散歩を兼ねての買い物をします。
ま、途中で気が変わるかもしれませんが、それがわたしですしね(笑)。
いまや大人気のサイキックである並木良和さんが言っておられました。
「覚悟を決めた者に、宇宙は必ず手を差し伸べてくれる。進んでいく先が崖であり、そこに一歩を踏み出すしか道がないとしても、勇気ある一歩を踏み出せば、宇宙はあなたをしっかり支えてくれますよ」
本田健さんと並木良和さんとのオンライン対談での発言です。心に深く沁みて、何かあるたびに思い出し、勇気を出しています。
皆さまも、ただただ、自分は完全で揺るぎない存在だと信じて、勇気ある一歩を踏み出しましょう。