きりしま月の舟

愛そのものになる

2025.09.15更新


 今日は敬老の日。一昨日、入会している地元の自治会から、敬老会のプレゼントが届きました。本来なら、敬老会の宴が開催されるところを、猛暑でご高齢の皆様の体調を鑑みて、プレゼントを配ることにした、とのお手紙が入っておりました。

 「え?わたし、まだ68歳ですけど、敬老の日プレゼント?」と思ったのですが、きっと65歳以上が対象なんだろうね。そういえば、昨年もいただいたしね。JAで使える商品券も入っていて、ありがたきかな。

 生涯現役を目指すきみちゃんとしては、まだ高齢者ではないと自分では思っておりますからね。きみちゃん的には、まだ33歳なんだけどね。さあ、まだまだ若々しく頑張るぞ。それにね、親孝行なんてしなくていい、という考えでもあるので、娘たちにも高齢者扱いはさせないし、まだまだサポート側にいたいきみちゃん。

 月の舟カフェも頑張っていますよ。昨日はお客様が多くて、ユタカ君とふたりフル回転でした。今日はゆっくりだったけど、初めてのお客様のほかに、常連さんのかおりさん、夕方には教え子の真子ちゃん一家も来てくれて(しかも、一か月遅れの誕生日プレゼントを持って)、本棚を見せてもらっていいですか?というご家族の来訪もあったりして、こうしてカフェを運営している豊かさをしみじみと感じる一日でした。

 きみちゃんもユタカ君も仕事をいくつも持っているので、カフェがゆっくりなときは、勉強したり、授業準備をしたり、ブログを書いたり、月の舟通信を作成したり、読書をしたり、英語の勉強をしたり、洗濯したり、掃除したり、と時間をフルに使っています。

 こうして、目いっぱい働けるって、嬉しいよね。やることがあって、健康で、しっかりと動けて、移動ができて、行動ができて、ほんと嬉しいよね。ありがたいことです。完璧な豊かさです。

 昨夕は、ユタカ君と久しぶりに霧島神宮まで参拝してきました。79段の階段を息を切らさずに登ることを目標としておりますが、ふたりともまだまだ息が切れる。足腰を鍛えないとね。

 さて、先日、YouTubeを流しながら、仕込みをしているときに、藤井風名言集というのが流れてきて、何気なく聞いていたら、なんだか神がかったことをおっしゃる藤井風さん。

 良いことが来ようとも、悪いことが来ようとも、自分の心が波立たない状態を目指している。そんぐらい落ち着いている状態でいたいな。それが無感情、つまらない、退屈、という状態ではなくて、「愛そのもの」になる、愛そのものになって、もはや言葉もいらないくらいな感じになりたい。

 てなことをおっしゃって(もう一度YouTubeを見直して、文字化したけど)、きみちゃん的には、それって「源」そのもの、真我のエネルギーって、スピリチュアル界隈では言われていることではないですか。とても感動しました。そうだよ、愛そのものだよ。

 きみちゃんは、藤井風さんについては、初期のYouTubeで、凄い子がいるなあ、とほほお、と思っている間に、あっという間にスターになられて、これまた凄いな、と思っていたけど、こうして、名言集ができるくらいに、神様的なことをおっしゃる才能に脱帽ですわ。

 きみちゃんも、「愛そのもの」を自覚して生きていかなきゃな、と思った次第。受容と許可だけがある世界。

 きみちゃん、まだまだ受け入れていないこと、自分に許していないことがあるなあ。自分に足りないものがあるっていうのも、まだあるなあ。人と比較しているところもあるなあ。

 でもね、そのすべてを受け入れ、許していける自分も感じていて、凄いね、きみちゃん。そして、光にも光と闇があるのだそうで、きみちゃんの闇もまた「愛そのもの」だよね。「愛そのもの」って、人間として完璧でなくても、実は完璧なんだ、ってことの自覚なんだよね。

 昨夜、9月20日の読書会のために村上春樹の『1ℚ84』を読み返したら、その文章の緊密さに感動して、藤井風さんがいつも音楽を聴いているように、村上春樹さんもいつも文学作品とともにある人だな、と思えて、天才とはこういうものだ、とふたりが重なりました。

 きみちゃんもいつも何をしているかというと、自分との対話だよね。文章を読み、文章を書くことだよね。きみちゃんも大天才だわ。小さいときから、読み書きは三度のご飯と同じだったしね。

 大学の先生みたいに、論文を書く、ということ以上に、ブログを書くことが中心で、自分の思う真理を伝えていきたい、という方向になってきたのは、とっても素敵で、良いことだな、と自分では思っています。

 自分がやりたかったこと、自分の本質、「ほんとうの自分」で生きている実感がありますし、それを誇りに思っています。

 さらには、自分と同じくらい大切な、深く愛するユタカ君、三人の娘たち、孫たち、本当に宝物で、深く深く愛しているし、そうした宝物が身近にいてくれることが、最高に幸せです。

 きみちゃん、最高、完璧、やっぱり女神だわ。「源」の受容と許し、そして「愛そのもの」である女神きみちゃんを立派だと思うし、最高に尊敬するし、まだまだ無限に成長していきたい、と思っています。

 愛そのもの。愛とは受容と許しであり、自分も人もエンパワーするエネルギー。

 世の中の多くの方が、その愛を発信することを目立つことと勘違いして、アクセルを踏みながらブレーキを踏んでいるような状態で生きておいでだなあ、と思うことしきり。

 暴走したっていいし、やりすぎたっていいし、抑圧が多いと、ブレーキがかかって、自分の才能を発揮できないし、苦しいでしょ。自分を抑圧するだけではなく、他人様を見張って、抑圧する方々もいらして、さっさと楽に、軽くなろうよね。

 その点、きみちゃんの両親は、やりたいように自由にやらせてくれて、なんだかんだと、応援してくれていたなあ、と今頃になって感謝でいっぱいになります。

 両親がプレゼントしてくれた自由と天才を、娘たちや孫たちに、今度はきみちゃんからプレゼントし続けていこうと思います。甘やかしたっていいじゃないの。全肯定ですよ。

 ということで、最高の悟りを得て、きみちゃん、ご満悦。両親への感謝、ユタカ君、娘たち、孫たちへの感謝、そして、こうしてブログを読んでくださる皆様への感謝、ご縁するすべての皆様への感謝でいっぱいです。

 さ、明日はオフながら、歯医者さん、そして実家へ母の遺品の整理に行ってきます。母の遺品があまりにも多いのですが、お洋服をおすそ分けすると、歓んでもらってくださる方ばかりで、亡き母も歓んでくれているでしょう。

 これから大変な時代になりますが、どんなことがあっても「愛そのもの」の境地で乗り越えていきましょうね。

 皆様を愛しています。いつもブログを読んでくださって、大感謝です。どんどん書いていきますので、「愛そのもの」になって、みんなで支え合って生きていきましょうね。