きりしま月の舟

どんな自分も許す

2023.12.13更新


 先程、高校時代の同級生、愛子様から「MBCニュースの県民第九で、客席にきみこさんがいた」とのお知らせ。

 で、アーカイブを検索して、「かごしま県民第九」関連のニュースを観たら、確かに、きみちゃんとユタカ君が映っています。ほほお、可愛いじゃん(笑)。それにしても愛子様、よく気が付かれましたね。凄いね。いつもありがとう。

 洋服を新調した甲斐がありました(笑)。良い席でしたからね。また、あのときの感動が蘇りました。これから毎年、観に行くだろうなあ。運命だね。ベートーヴェンの「歓喜の歌」はやはり凄い。人間の真実を掬い取っていますね。

 きみちゃんも歓びに満ちた人生を歩みます。

 さて、文筆家・有川真由美さんが監修された「品格が宿る女(ひと)のたしなみ」という雑誌が届き、読ませていただきました。有川真由美さま、いつもありがとうございます。

 表紙に「上品な人はゆるく生きる天才でした」との文字が大きく書かれています。内容も「そうだなあ」と思うことばかりで、参考になります。皆様もぜひ手に取って読んでくださいませね。

 ただ、きみちゃん、この66年の人生で、品格が宿る女を目指したことは一度もなく、俯瞰力チェックリストの「ワードローブに「たんすの肥やし」が少ない」とか、「えええ」というくらい、きみちゃんのワードローブには「たんすの肥やし」だらけ。「波風立てない切り返し」とかしたことない(笑)。

 ユタカ君と仲良しなので、喧嘩したことないんじゃないですか?とよく言われますが、若い時は、もう凄い喧嘩をしていました。わんわん喚きまくっていたし。

 でも、女神になった最近は、何を言われても、怒らなくなったかな。先日も、わたしが「ああ、500万円降ってこないかな。早くキッチンを改装したい」とつぶやいたら、ユタカ君が「自分で稼げば」と言うので、ちょっとイラっとしました。だって、きみちゃん、ちゃんと稼いでるし。これ以上、どうしろっていうのよ、と心の中で思ったのですが、口にしませんでした。

 口にしたら、大きな喧嘩になる、というのが、長年の勘でわかっていますから、あえて口に出さないでいると、だんだんユタカ君の言う通り、自分で稼ぐしかないよね、と思い直したりして。大人になったね、きみちゃん。さすが女神だけのことはある(笑)。

 なんというか、品格のある女性って、感情のコントロールができている、ということみたいで、きみちゃん、そこんところ、まだまだかも。

 というか、感情はじゃんじゃん出した方が良い、という考えで、楽しい、嬉しい、悲しい、怒った、という喜怒哀楽の表現は、とても大切だと思っています。

 なんで、世間の人って、もっと怒らないのかな、と思うくらい。瞬間で怒ったほうがあとに残らないし、「怒り」を溜めこむと、幸せそのものがブロックされると思います。

 さらに「怒り」の根源は「悲しみ」であり、その深い悲しみを癒さないことには、ほんとうの幸福も本当の自分にも行きつかない。女神ヒーリングは、その怒りの解放にあるとさえ、思っています。

 女神ヒーリングをさせていただいていると、どんな方も本当に魂が美しい。どんな方も可能性がいっぱいで、生きる力に溢れておいでだ、と感動します。きみちゃんはただ、「怒り」「不安」「怖れ」の蓋をそっと開けて、デトックスのお手伝いをする感じかな。

 幸せになるためには、何よりも浄化が大切。怒りを溜めこまない。不安や不満を溜めこまない。思った以上に、溜め込まれたネガティブな思いは、外見に漏れ出ます。

 毎日、温泉やお風呂に入って、身体の垢だけでなく、心の垢も落とす。気を付けて落とす。瞑想すると、深い気づきがあって、それがまた深い浄化に繋がります。

 浄化された、きれいな心というのは、自分のすべてを許す、ってことじゃないかな。自分を責めない、ってことじゃないかな。

 自分を責めるエネルギーって、凄い迫力なんですよね。自分のなかで戦争を起こしているってことで、その闘い、というか、ひとり闘争、というか、自分を許さず、「あれもできていない」「これもできていない」「なにやってんだい」「この間抜けが」というような自分責めは、恐ろしい軍曹を自分のなかに飼っているようなもの。

 きみちゃんは、品格はないかもしれないけれど、「自分を生きる」ことだけは誰にも負けない。きみちゃんをちゃんと生きてるもんね。自分のすべてを許しているもんね。

 品格という言葉からすると、品というのは、よく源氏物語でも出てくる「九品」で、人間の格を上・中・下に分けて、それをさらに三分割して上の上、上の中、上の下、みたいな感じで、一番下が下の下になるという格付け。

 自分を生きる人だらけになると、何も格付けはいらないし、みんな平等。雑誌のなかで、門倉多仁亜さんもおっしゃっていましたが、生徒さんに「先生」と呼ばないで、というスタイルこそが、格付けなしの、自由な生き方ですね。

 きみちゃんも、霧島小学校の子どもたちにも「きみちゃん」と呼んでもらっています。子どもたちにも受講生の皆様にも、ぜひ「きみちゃん」で統一したいところ。その方が「愛されてる」感が満載ですしね。

 平等であっても、やはり先生ですから、しっかりと勉強するモデルになります。うちの娘たちには「勉強しなさい」なんて言ったことがなく、何しろ、自分が勉強するのに忙しかったので、子どもたちに言う暇がなかった(笑)。

 人の上に立つ先生ではなく、勉強が大好きで、学び続けるモデルとしてのきみこ先生。知的であること、知的好奇心がいっぱいであることは、何よりも大事ですね。

 学校のお勉強だけが勉強じゃないですからね。メイクが好きな人は、とことんメイクの勉強をすればよいし、サッカーが好きな人は、サッカーを極めればいい。

 よしもとばなな「王国」3の高橋君の庭のように、夢と希望と生きる望みをかけて、命がけで自分の庭を創るのです。自分の「王国」を創るのです。

 人間の数だけ「王国」ができて、人間と人間のあいだには、信頼と尊敬だけがあって、そんな世界を構築したいものです。

 今日は、オーダー家具職人のゆり子ちゃんも来てくれて、ゆっくりとおしゃべりができたし、全体にゆったりムードで、午後3時過ぎには、自分の勉強ができました。そして、論文も前進。おお、素晴らしい。

 ランチも、いつもの常連さんの横山さんが「今日はまた、ことさら美味しかったです」と言ってくださいました。ありがたいなあ。何しろ、昨日、いっぱい食材を買い込みましたからね。食材がすべてのカギ。買い物が料理のスタート地点ですからね。

 その食材を大切にして、料理をします。それが女神ランチの基本。明日もまたご予約をいただいていますので、お料理楽しんで頑張ります。源氏物語の講座も張り切ってやりますよ。

 文学講座、ランチ、女神ヒーリングと三刀流で頑張るきみちゃんを誇りに思います。そんな自分が大好きです。働くことが大好きです。100歳まで今の仕事ができますように。それがきみちゃんの願い。

 今日の夕方、いろんな片付けが終わって、さあ、夕食を作りましょ、と台所に立っていると、ユタカ君が流し台を見て、「出ました!」というので、どんな事件が起こったか、と思いきや、焦げたお鍋を見て「おお」と叫んだのでした。ジャガイモを蒸していたら、蒸し器のなかの水が全部蒸発してしまって、焦げちゃったんですね。きみちゃんあるある、です。

 でもね、きみちゃん、そんな失敗も許すんです。偉いね。自分を許せるから、人も許せるかな。ストレスはほぼない、と思う。あるとしても、その日のうちに発散します。

 おかげさまでとっても健康で、薬も飲んでいませんし、サプリもいらない。旬の食べ物と霧島の自然で元気いっぱい。

 とにかく今を精いっぱい生きて、自分を磨きまくります。「いま」が大事。未来を心配しない。大丈夫。いつかは死ぬから、そのときまで元気にバリバリ働きましょう。

 金ならある。と、思考の学校の大石洋子先生みたいに言ってみます。金ならある。お金、と言ってはいけないのですって。金ならある。ああ、品格からは程遠い(笑)。

 いっぱい贅沢をして、いっぱい感動して、魂を揺さぶり続けていきます。そして、きみちゃんらしく成長していきます。

 来年の3月24日よしもとばななイベント、6月6日の「666祭り」、どちらも武者震いがするくらいに緊張もし、やる気が出ます。論文もこのブログみたいに楽しく書いていきます。

 さ、楽しく、でもあきらめないで、一日一日を大切にね。

 今日もブログを読んでいただき、ありがとうございます。では、また明日。