666祭り、始まるよ!
2024.06.04更新
栗の花が咲いています。以前は、ふさふさしたあの花は何?という感じで、植物に疎いきみちゃんでしたが、霧島に住んでからというもの、植物がとても身近になって、嬉しく思います。
そして今朝、出かけようとしたら、玄関先で蟻が死んだゴキブリさんを運んでいるのを観察できて、何だか感激しました。だって、蟻さんたち、たった2匹で彼らの10倍はある図体のゴキブリさんを運んでいるのですからね。
何だか、わたしたち夫婦の人生の縮図みたいで、しばし、玄関先で蟻さんのお仕事を眺めさせてもらいました。きみちゃんとユタカ君、この蟻さんたちと同じく、よく頑張ってるなあ。
ここのところ、なかなかにハードな出来事が続き、今日も整体の南先生のところに伺い、施術をしてもらったら、「あら、頭痛がする?」と聞かれて、さすが、南先生、とその整体の天才ぶりに感激しました。
あまりにも右肩が痛いので、先週の月曜日、そして金曜日と続けて施術をしていただいたのですが、ついに昨日は声が出なくなったりして、身体が重かったので、今日3回目の施術をお願いしたのでした。
きみちゃんの頭痛の原因は、あることで電話があり、その電話で大激怒したことにあります。
電話を切ったあとに、頭がふらふらするくらいに、怒りましたね。「ああ、10年ぶりくらいに怒ったわ」とユタカ君に言ったら、「いや、2年前もそういうことがあったよ」だって(笑)。おぼえとわんわ。
でも、ユタカ君、きみちゃんの電話を側で聴いていて、言ってくれたのが、「きみちゃん、偉かった。立派だった」って。凄くない?
先日も、きみちゃんがある方と雑談のかたちでカウンセリングに近いことをしていたのですが、そのときも「きみちゃんは偉いと思う。ちゃんと正直に、でも愛情を込めて伝えることができて、天才だね」と褒めてくれました。
あのUSJをV字回復させた辣腕の森岡毅さんの『UFJを劇的に変えた、たった1つの考え方』という本に、こういうことが書いてあります。
人というものは、できるだけ他人との衝突を回避したがる性質を持っています。その結果、「皆の意見」という利害を足して合わせて頭数で割ったような妥協案を求めがちです。いわゆる「落としどころ」というやつです。しかし「落としどころ」は、ほとんどの場合において消費者最適ではありません。
その結果、どういうことが起こるかというと、「カレーライス」派と「すき焼き」派がいて、誰かが頑張らないと、多くの会社で「カレーすき焼き」を作って消費者に提供してしまうことになる、と森岡さんはおっしゃいます。
ここ何日間かの頭痛がするほどのきみちゃんの頑張りは、ここにありました。もう少しで「カレーすき焼き」ができあがるところだった。できる前に阻止して良かった。
こうした「カレーすき焼き」を創る皆様は、自分の事なかれ主義とか、日和見主義とか、波風立てない主義を、平和主義と勘違いしておいでなのですが、人ひとりの命がかかっているようなときでも、平然と「カレーすき焼き」を推進し、角の立たない人間であることを強調されます。
そういえば、2年前も、「そんなことをしてたら、人がひとり死んじゃうじゃないのよ」ときみちゃんが叫んだら、「みんながこんなに我慢しているのに、どうしてあなたはいつも自分の意見を主張するのか」と逆ギレされましたけどね。
ちなみに、森岡さんが、USJをV字回復させたたった1つの考え方とは、「消費者視点」とのこと。なるほどお。
きみちゃんの場合、マーケターではなく、表現者なので、消費者視点ではなく、とことんきみちゃん視点で行こう、とこの本を読んで思いましたね。
ついでに言えば、国分のTSUTAYAさんでこの本を見つけて、立ち読みして、即、買おう、と思ったのは、タイトルにある「たった1つの答え」をわずか28ページ目で出たこと。
これこそ、消費者目線ですね。よく「〇〇の答え」とタイトルにあるのに、答えが最後まで読んでもわからないってのも多いし、「88の答え」みたいな本も、そりゃあ、そんだけやれば、数うちゃあたるってもんだよね、という場合が多い(笑)。
整体の南先生は、きみちゃんがヒーラーになりました、と伝えると、そりゃあ、よかこっじゃ(良いことです)。古典をやっている人は、そういう目に見えない世界をしっかり学んでおいでだし、これからどんどん人を救ってください、と言ってくださいました。ありがたや、ありがたや。
まあ、きみちゃんは「カレーすき焼き」を創って、それで仕事をしたと思う人とか、波風立てないで自分の地位を死守する人とか、そういう派に属していないので、どうにも違和感があって、その違和感をそのままにできないタイプなんですね。
ユタカ君いわく、それはわたしの実家の血である、とのこと。もう、これはしゃあないな。血がそうさせるのですからね(笑)。
でもね、そうやって「カレーすき焼き」を創らせないように頑張るきみちゃんは、そのたびに深く傷つき、孤独になりますが、最近は宇宙の仕組みがわかってきたので、それって、きみちゃんの宇宙が拡大しているんだな、ということがわかってきました。
きみちゃんに怒鳴られた皆様も、良い子にしていれば、あるいは多数決で多数の方についていれば、さらに良い子でいられたのに、きみちゃんにかかると極悪人くらいに格下げされるので(笑)、そのたびに永遠のお別れが告げられるのですが、それって、新しい価値観を知って、その方々の個々の宇宙も拡大されていかれたことでしょう。お歓び申し上げます。
そして、きみちゃんもその痛みを知るたびに、自分が成長していることを実感しています。きみちゃんは、もはや悟りの境地にいますからね。怒鳴っていても、とても冷静で、3日間くらいは、自分が何を言ったかはちゃんと覚えています。あとは、すぐに忘れますけどね(笑)。
今回も、自分の正直な気持ちを伝えられて、とても清々しい気持ちになっています。事の流れを大きく軌道修正できた自分を誇りに思います。そして、ユタカ君が褒めてくれることに深く感謝しています。
思い返せば、こうした事件が、きみちゃんの人生に起こるたびに、ユタカ君は褒めはしなくても、逆にしっかりと側にくっつくようになってきたな、という感じです。「こんな面白い女が他にいるだろうか」というくらいに、楽しんでくれています。ま、変な男だ。
大河ドラマ「光る君へ」でもありましたね。道長の妻のひとり明子さんが「明子がいないと生きていけない」と言わせて見せるわ、と。きみちゃんとユタカ君の場合、もうこのふたりじゃないと生きていけない。
わが弟は、わたしとユタカ君が結婚するときに、「ゆたかさんって、ゲテモノ趣味なんですね」と言ったとか。きみこは「ゲテモノ」なのか。いえ、ただ女神と自称しつつ、ときにモンスターに変身するだけです(笑)。
そんなゲテモノモンスター夫婦が、このたび、37回目の結婚記念日を迎えます。しかも、令和6年6月6日、新月で、大安で、という超おめでたい日。
ということで、このブログの読者様ならご存じですが、最初は島津重富荘で盛大に「666祭り」を開催する予定でしたが、このたび、きりしま月の舟にて「666祭りウイーク」として、6月5日(水)から9日(日)まで、毎日お祭りをします。
ランチはヴァイキング形式で、飲み放題、食べ放題。参加費千円です。どなたでもご参加いただけますよ。666祭りにご参加表明された皆様、またご返事をくださいました皆様には、先日ハガキを出しまして、そのおハガキ持参の方には、おみやげも用意しております。
また、6月6日午後1時より、45分間のミニコンサートを企画しています。出演は、又吉秀和さん、又吉なつきさんご夫妻、ピアノ伴奏は室屋麗華さん。わが息子、娘たちのお祝いミニコンサートです。ありがたくて、ありがたくて、きみちゃんママは涙、涙です。ありがとう、ほんとに。嬉しいよ。
ぜひ、皆様、気軽にお越しくださいませ。ミニコンサートも予約不要です。投げ銭制にしますので、才能と愛情と美貌に恵まれた3人に盛大な拍手をよろしくお願いいたします。
さて、6月1日(土)は、きみちゃん博多まで行ってきました。花田俊典先生の没後20年シンポジウムがあったからです。花田俊典先生は、九州大学教授として、文芸批評家として大活躍の最中、53歳で心筋梗塞で急逝されたのでした。2004年6月2日。あれから20年なのですね。
花田俊典先生の教え子さんとか友人の皆様が、福岡大学図書館の多目的ホールに集まられ、有意義でアットホームなシンポジウムが開かれました。
きみちゃんは、日本近代文学会の九州支部でお世話になり、花田先生が立ち上げられた文芸批評誌「叙説」のメンバーでもあり、一度だけ鹿児島県立短大の集中講義にいらした花田先生と、鹿児島中央駅でお茶をご一緒したくらいで、ほとんどがきみちゃんの善き友人で花田先生の親友である坂口博さんを通じての花田先生の情報ではありましたが、花田先生の「大きな物語、小さな物語」「清新な光景の奇跡」というお考えは、自分のなかに深く沁み込んでいます。
きみちゃんがまだ、カレーライス派なのかすき焼き派なのかもわからないまま、ひたすら子育てと授業準備と講演に奔走していた頃、「叙説」で「薩摩」を特集するときに、その編集意図もわからずに、もしかして、あれって任されてたの?と後から気づくくらいに、あまりお役に立てなかったなあ、という後悔がきみちゃんの深層心理のなかにわだかまっています。
きみちゃん自身が、「鹿児島」には興味があるのですが、あまり「薩摩」に興味がなかったがために、申し訳ありませんでした。それに、花田先生は雲の上の方というイメージがあったために、わたくしごときがとの思いで、それもまた未熟だったなあ、とあの頃の自分を思い出します。
シンポジウムの司会をされた畑中佳恵さんは、花田先生の教え子代表で、お葬式でも弔辞を述べられ、今回の「叙説」の「文学の前線」という特集の編集を担っておられて、きみちゃんも今回は「叙説」に書かせていただいたので、メールでのやりとりもあり、初めて深く交流を持つことができました。
司会はもちろん素晴らしくて、その編集担当ぶりも素晴らしくて、とっても素敵でした。シンポジウムが始まる前に、ご挨拶をしたら、「今回は、叙説で頼ってしまって、すみませんでした」と言われて、いえいえ、きみちゃん、頼られた覚えもなく、頼られるほど素晴らしい論文が書けたとも思えなかったので、ひたすら恐縮したのですが、なんというか、こういう言葉の使い方というのが、「カレーすき焼き」を決して創らない人の言動だな、仲間だなあ、と思えました。
きみちゃんは、日本近代文学会九州支部に独身の頃から所属しながら、他の学会員の皆様と違って、非常勤講師の身で、大学教授という肩書を持ってはいないのですが、この九州支部の先生方と一緒にいると、故郷に帰ったような、同じ仲間がいる場所にいる安心感があって、とっても好きなのです。
一度も嫌な思いをしたことがないし、それは、日本女子大学の同級生で、早稲田大学図書館長をしているローリーさんともそうなのですが、いつも同じ温度で、同じ目線でおつきあいできるというのか、批評はされても、批判はされない、尊敬と感謝だけがある、というスタンスの中にいる安心感というか。
それこそが教養なのでしょうね。この雰囲気、大好きだなあ、といつも思います。
ときに、犯罪すれすれの批判をして、得意になっている方とは大違いです。きみちゃんは長年、「月の舟自由大学」という組織を、「かごしま文化研究所」という名称のときからはじめてかれこれ30年もやって、たくさんの方とおつきあいしているし、人を見る目がある、と思っているので、人の悪口を言って、得意になっている、人をマウントして勝った気になって、「カレーすき焼き」を創るような日和見な方々を丸め込んでおいでの方とは、教養の差なんだなあ、と思っています。
それは、自分の限界を突破しているか、していないか、の差。自分の宇宙を拡大しているか、していないか、の差。苦しいところを乗り越えてきたか、そうでないか、の差。
きみちゃんの好きな方々は、そういう自分の限界を乗り越え、自分の宇宙を広げてこられた皆様方。そういう方々は、心底、お優しい。懐が深い。陰口なんて、彼らの口から聞いたことがない。面と向かって、学会の場で議論されることはあっても。素晴らしすぎます。
その流れで言うと、NHK大河ドラマの和歌監修をされている高野晴代先生もまた、そんなおひとり。きみちゃんは、毎月、「月の舟通信」を送らせていただいているのですが、高野晴代先生は、年賀状や暑中見舞いのおハガキで、「いつも楽しく読んでおります」と認めてくださって、今回も、鹿児島でのご講演をお願いしたら、講演依頼が殺到しているなかで、「みたけさんのお仕事はとても素晴らしいから」とご講演を引き受けてくださいました。
きみちゃんとユタカ君が大切にしているものを、きちんと受け止めてくださっている、という安心感。人を貶めることのない節度。素晴らしい教養だなあ、と思います。
今年10月26日(土)、みやまコンセール小ホールでの、高野晴代先生の講演会、近いうちに詳しくお知らせできると思います。楽しみにお待ちくださいませ。
この一週間ほどで、地球の光と闇を同時に見るくらいの、深い体験をした女神きみちゃん。おかげさまで、きみちゃん宇宙はさらに拡大され、闇が光に変わりつつあります。ありがたいことです。
今日の、と言っても、書いている間に、昨日の出来事になってしまいましたが、南先生の施術のおかげさまで、かなり回復したきみちゃん。
さ、6月5日からの「666祭りウイーク」、張り切っていきますよ。美味しいものもたくさんご用意しますね。6日夜は、午後9時までやっていますよ。ぜひ、気軽にお越しくださいませね。魂からお待ちしております。
今日も、ブログを読んでくださいまして、大感謝、そして、ブログ読者の皆様を大尊敬しております。では、おやすみなさい。←ただいま、午前2時。