きりしま月の舟

闇を抱きしめて

2025.10.03更新


 霧島の風は、優しく心地よく吹いています。秋ですね。

 いやあ、栗がすごいですわ。次から次へと、ユタカ君が庭に出て、収穫しています。祐太君からもお野菜とともに大量の栗が届き、また祝橋温泉の栗も相変わらず大きくて美しいので、ためらわず購入。

 ということで、我が家の冷蔵庫は栗だらけ。栗のほしい方にはおすそ分けしておりますが、それでもどんどん採れる。自然って素晴らしいですね。で、月の舟のランチは、しばらく栗おこわがメインです。

 さて、京都から戻り、毎日のルーテインがまた復活しています。昨日は、書類提出やら事務的なお仕事のために月の舟はお休みをいただきました。皆様のご理解に感謝いたします。

 昨日の午前中は、源氏物語講座。第8期生の皆様と、若菜下の巻を読んでいます。昨日講義した個所は、源氏物語の最もメインなところ、と言っても良いくらいに、素晴らしい箇所を皆様と一緒に学べたことは、大きな歓びでした。

 光源氏は、35歳で大邸宅・六条院を造営します。春の町、夏の町、秋の町、冬の町という4区画からなる大邸宅に、たくさんの妻たち、紫の上(春の町)、花散里(夏の町)、明石の君(冬の町)を住まわせ、秋の町は、養女である秋好中宮(冷泉帝の妻)の里下がりの邸として機能するという、まあ、天皇に匹敵するような暮らしをしております。

 そこへ、異母兄である朱雀院の娘・女三の宮をなし崩し的に預かることになり、つまりそれは結婚でもあったので、天皇の娘である女三の宮は、光源氏の新しい正妻として、六条院の春の町に住み始めます。

 それまで、春の町に住む紫の上が、六条院の全体を仕切り、光源氏の数多い妻たちや女房たちの尊敬を集めていたわけですが、女三の宮が六条院に来たことで、紫の上はその東の対(離れ)に住み、まだ14歳の女三の宮を優しく受け入れます。女三の宮と紫の上は、実は従妹同士でもありました。

 光源氏47歳、紫の上37歳のとき(本当は39歳だけど、物語では37歳が女の厄年ゆえにその年齢設定)、光源氏が朱雀院の五十の賀(50歳の誕生日)に女三の宮にお琴を演奏させようと、これまでほったらかしていた女三の宮に琴を教え始めます。

 そのお披露目もあって、その翌年のお正月に、みんなで女楽をやろうということになりました。女楽とは、女性が琴や琵琶を演奏するホーム・コンサートみたいなもの。普通は、男性が楽器を演奏するのだけれど、源氏物語では、珍しく女性だけの演奏会が開催されるのです。

 お琴は3種類あって、筝の琴(13弦)、琴の琴(7弦)、和琴(6弦)。筝は明石の女御(光源氏の娘、母は明石の君だけれど、紫の上が育てた)、琴の琴は女三の宮、和琴は紫の上、そして琵琶を明石の君が演奏します。

 ホームコンサートですから、ギャラリーは夕霧ひとり。夕霧は光源氏の長男です。夕霧は、その女楽で、紫の上の和琴の演奏に衝撃を受けます。すが掻き中心の6弦の小さな琴に、こんなにも華やかな奏法があったのかと。もちろん、他の奏者も素晴らしいし、女三の宮も上達しているけれども、紫の上は格別だと。

 女楽が果てたあと、光源氏は紫の上と静かに語り合います。自分は実に華やかな生涯と思われ、何でもできて、皆に羨ましがられる生涯だったけど、母や祖母や自分の大切な人が早く亡くなる悲しいこともいっぱいあった。そんななかで、あなたは、まるで親のもとでぬくぬくと育ったように何の悩みもなく、幸せこの上ないよね、と紫の上に言うのです。

 紫の上もまた母や祖母に早くに死に別れ、光源氏にほぼ誘拐されるようにして、二条院に連れて来られ、光源氏が理想の女性に育つように養育し、そして、今では正妻格として、光源氏に最も愛される女性として、六条院に君臨します。

 そして、光源氏は、紫の上を大絶賛するのです。抑えるところは抑え、出るところは出て、申し分ない女性だと。

 光源氏は紫の上に「君の御身には、かの一ふしの別れより、あなたこなた、もの思ひとて心乱りたまふばかりのことあらじとなん思ふ(あなたご自身については、あの須磨明石にわたしが流されていったあの一件での別れの一時期のほかは、あとにも先にも、物思いの種をお悩みになるほどのことはあるまいと思っています)」、お后の身分であっても、天皇のお情けを人と争う気持ちの絶えない、不安ななかにあって、あなたは親のもとで深窓に過ごされたも同然で苦労がなかったよね、と言います。

 それに対して、紫の上は「のたまふやうに、ものはかなき身には過ぎにたるよそのおぼえはあらめど、心にたへぬもの嘆かしさのみうち添ふや、さはみづからの祈りなりける(仰せの通り、ふつつかなわたしには分に過ぎて幸せな身の上のように、世間の目には見えましょうけれど、この心にとても堪えきれない何か嘆かわしいことばかりが離れずにおりますのは、それが自分自身のための祈りのようになっているのでした)」と答えます。

 この「祈り」という言葉は、当時、とても珍しい言葉であり、その解釈が難しい部分です。

 以前、源氏物語早わかり講座で、紫の上に特化して講義したときに、受講生のYさんがとても感銘を受けておられた箇所でもあったので、きみちゃん、今回、もう少し深めてみようと思いました。

 紫の上は「もの嘆かわしさ」が「祈り」のようであった、と言います。その祈りと言うのは、女性の厄年である37歳になった紫の上に、光源氏がちゃんと祈祷をしておきなさいよ、とたしなめる部分がその前にあるので、儀式としての祈祷をかけているのでしょうが、もの思いや嘆きは深窓にいる状態のわたしでもちゃんとあって、それを「祈り」と捉えていた、と紫の上は言うわけです。

 悩みや嘆きを「祈り」で支える、祈りによって闇を光にかえる、という考え方もあるでしょうが、きみちゃんは、今回、ああ、紫の上は、悩みや嘆きや不安という闇を抱きしめることで、それを支えにしていたんじゃないか、と思えました。

 紫の上と対比して描かれる女三宮は、ほぼ「もの思い」のない女の子で、現実対処能力もなければ、ぼけっとして、魅力のない女性に描かれます。

 紫の上は、楽器演奏、和歌、イベントプロデュースなど、どれをとっても光源氏の力を借りることもなく、自力でやってのけて、六条院での評判も高く、光源氏も大絶賛しています。

 でも、その闇を抱えて生きている、「祈り」という所作を持っている女性であるから、あのように輝き、あのように人の気持ちを慮り、最高の女性になったのではないか、ときみちゃんは思いました。

 嘆きという闇を「祈り」によって光に変えるというよりも、闇を感じることが、それは祈りという高次元につながる「祈り」の所作と同等なのだ、という解釈をした方がいいんじゃないか。

 「ほんとうの自分」を自覚するときに、光の部分だけ、つまり、かっこよい自分、褒められる自分、世間体の良い自分に固執するのではなく、「あいつ、腹立つ」とかイラっと来る、とか、そういう闇を自覚することで、ちゃんと手放せる、ということを、女神ヒーリングや自分の瞑想のなかで感じることが多いので、闇を消すのではなく、闇を自覚する。そのことの大切さを最近、とても重く見ているのです。

 喜怒哀楽の歓びや楽しさだけではなく、怒りや悲しみにも目を向けて、その感情が自分の潜在意識のなかに燻っていないか、チェックする。怒りを出してはいけない、という常識があまりにも重くて、みんな怒りを隠しすぎています。

 怒りや悲しみは、人間だからこそ、つねに付きまとうもので、それをないことにするのではなく、「あ、あるな」と気づいて、それを浄化して、ときには、わたし、どうして怒ったんだろう、この悲しみの原因は何かな、と思うことがとても大事だと感じています。

 優等生の女性ほど、完璧な自分を演じる傾向にあって、決断ができなかったり、世間知らずだったり、先々で損をしないように周囲をコントロールしようとすればするほど、現実が重たくなっていく。決断が遅れ、チャンスを逃す。さらに現実が重たくなっていく。

 自分を信じて、他人様を信じて、ひどい出来事があったとしても、宇宙(神)を信じて、その流れの波に乗ってみる。

 被害者意識が強くて、苦労ばっかりする人生を選んでいる方も、楽な方を選んでいいんですよ。怒りや悲しみはなかったことにすると、自分のなかで隠していても肥大化して、自分の心を食い物にしますからね。さっさと出し切りましょう。

 きみちゃん、怒りも悲しみも瞬時に出し切るので、とても軽やかに生きることができています。みんな、穏やかであることが善であると思っているけれど、それって、女三ノ宮みたいに闇を抱ききれない、ただの〇〇かもしれないし(笑)。ってことに気づいてね。

 最近、女神ヒーリングを受講された方々から、嬉しいご報告が続いています。どんどん思う方向に運気が流れ、ついていけないくらいですって。素晴らしいですね。

 今がどん底の方も、大丈夫ですよ。それは、これから凄い流れになる合図ですからね。

 今、本当に地球や宇宙の流れが大きく変わっているなあ、ということを、強く感じます。今ですよ。バンジージャンプして「ほんとうの自分」を生きてみて。ほんとうにやりたかったことをやるチャンスですよ。損得ばかり考えていないでね。大丈夫ですよ。すべてはうまくいっています。

 きみちゃんは、イギリスのホームステイ先のベッドに腰掛け、「よし、文学をやろう」と決心し、日本に帰って、大学院を27歳で受験し、途中、論文を書くことよりも、こうした人を励ますエッセイを書こうと決心し、53歳で天文館に「文学サロン 月の舟」を出し、63歳で「きりしま月の舟」を造営し、66歳で女神ヒーリングをはじめて、約3年。

 そのときの流れに抵抗しないで、素直に宇宙の采配を受け入れて今があると思います。女神ヒーリングを始めた頃は、ユタカ君には「俺は科学しか信じない」と言われ、周囲にも「現実逃避している」とか言われ続けましたけど、「何を寝言を言っているんだろ」と思いつつ、自分のペースで生きていたら、女神ヒーリングを受けてくださる方が2年半で200人を超えました。

 そして女神ヒーリングがお金になったとたん、ユタカ君たら、「きみちゃん、凄いね」と大絶賛して、「俺、ヒモになる」と言っております(笑)。きみちゃんとしては、ユタカ君がいないとスタッフを5人雇わないといけないから、何の異論もありませんけどね。お互い様です。

 先程の源氏物語の話に戻れば、紫の上の気持ちの闇に、光源氏ほどのスーパースターでも気づかないわけで、わが月の舟の天才男・ユタカ君もきみちゃんの闇を見て見ぬふりをするし、どうすることもできないのですよね。どんなに愛してくれていてもね。

 だから、自分で自分を鼓舞する。愛する。優しくする。自分で自分を大絶賛するしかないのです。

 「ほんとうの自分」を生きると、魂職に出会い、魂職は、お金になり、しかも楽で愉しく、生きることがさらに深まります。ありがたいこと限りなし。

 不安や怒りや悲しみを「祈り」にかえて。闇はあるのだから、どんなに幸せになっても、やはり何らかの事件は勃発しますし、つねにご自分のハイアーセルフさんと対話して、自分のエネルギー、波動、振動数、次元を高めていきましょう。そのたびに、気持ちが軽くなりますよ。生きることがラクに、楽しくなります。

 10月5日(日)午前10時からの女神塾で、こんなお話をいっぱいしていきますから、ぜひ気軽にお越しくださいませ。軽やかに幸せになりましょうね。努力して、自分を責めて、被害者意識のままでいると、現実は変わりませんからね。

 さあ、これから温泉に行って、さっぱりしてきましょう。昨日は、帰りが遅くなったので、温泉を諦めて、ユタカ君と「めっけもん」のお寿司をいただきました。とっても美味しくて、ユタカ君が「きみちゃんのおかげだね」と言ってくれます。

 ほぼ贅沢をしないユタカ君は外食の習慣がないので、きみちゃんが、あれ食べよう、これ飲もう、と言わない限り、そのまま自宅に直行なのです。だから、きみちゃん、超わがままに生きることが、周囲を明るくするのですね。

 皆様を愛しています。本当に魂から愛しています。たくさんの方の幸福を願っています。いつもブログを読んでくださって、大感謝です。少しでも気持ちが楽になっていかれたら、とても嬉しいです。