自分のなかに神社を祀る
2025.01.07更新
霧島のわが庭の紅梅が蕾をつけています。そして周りの山を見廻すと、山桜の樹が開花の準備を始めているようです。寒い中にも、春の息吹を感じます。
今日は、とても寒い一日でした。朝、寝室の窓を開けると、霧が立ち込めて、さすが霧島、という風景でした。美しく、切なく、今日はオフだから、一日家にいなさいね、というようなメッセージが聞こえてきそうな霧でした。
1月7日なので七草粥にしようと、ありあわせの春菊、白菜、ニンジン、大根、里芋を昆布や出汁で煮て、お餅を軽く焼いたのを入れて、白米もお米からお粥にして、なかなか美味しい七草粥ができました。
朝霧を眺めながら、ゆっくりと七草粥を頂き、リンゴを食べて、お茶を飲む。なんて素敵な朝でしょうか。
実は、きみちゃん、昨日、年末年始の疲れが出たのか、午後、ベッドで休んでおりました。
昨日朝は、霧島神宮まで今年初の参拝に出かけ、山神社にも行き、さらには「星とのあいだ」さんのソフトクリームを食べて、帰りにマンジャーレさんのイタリアンなパスタを頂いて(ユタカ君は特製ポロネーゼ、きみちゃんはゆずの香るゴルゴンゾーラクリームパスタ、めちゃめちゃ美味しかった)、ほくほくで家に帰り着いたのですが、何だかドドーンと疲れが出て、午後3時から夜8時まで爆睡しました。
マンジャーレさんに行く前、ファミマに寄ったら、霧島小学校のやす子先生にお会いして、「きみちゃん、甘酒も作るようになったんですか?」と質問され、「?」と思っていたら、「女神の甘酒」というネーミングで売り出した食べ物屋さんがあって、きみちゃんもそれに気づいていましたし、他の方からも「きみちゃんのプロデュースですか?」と言われていたので、「ああ、あのことね」と納得。
女神といえば、きみちゃんでしょ。というのが、世間の皆様の見解だと知り、何だか嬉しいきみちゃん。そして「女神」というネーミングが気軽に使われているって、きみちゃんが「女神」を広めた甲斐があったというもの。
ということで、女神ランチ、女神ヒーリング、女神きみちゃん、と何でもかんでも「女神」を多用してきて、ようやく世間様も「女神」という言葉を普通に使ってくださるようになって、感無量です。
その女神きみちゃんも、このブログで「女神は疲れない」と豪語していたにもかかわらず、たぶん、昨年末の5番目孫サポートからこのかた、ほぼ休みなしに頑張ってきたのが、昨日のオフで、気持ちがリラックスして、どどーーーんと疲れが出たみたいです。
今朝も、ベッドから霧の様子を眺めながら、うとうとして、二度寝して、やおら起きだして、七草粥を作ったときは、もう回復しておりました。
そして、大根と手羽元の煮物、坦々麺などの料理を始めたら、さらに体力が回復し、ユタカ君と一緒に担々麺でお昼ご飯を食べるころには、もう胃腸も回復し、ユタカ君が担々麺を「とっても美味しい」と言って食べてくれて、さらに元気が出ました。
さらには、今日の夕方、今年初の「走る魚屋さん」が月の舟に寄ってくれたので、頼んであった鮭とブリのほかに、すっごく美味しいと魚屋のお兄ちゃんおススメのまぐろを買って、それを握り寿司にしてお夕飯に頂いたら、またまたユタカ君が「いやあ、これはうまい」と大絶賛してくれたので、もう、きみちゃん天に昇る思いでしたわ。
確かに美味しかった。お刺身じゃなく、握り寿司にしたところが料理の天才、きみちゃんだわ(笑)。ユタカ君の義兄様から年末に贈っていただいた伊勢の日本酒を熱燗にして、まぐろの握り寿司を頂くと、そこはもう極楽でした(笑)。
お料理すること自体が、元気の素。ありがたいですね。きみちゃんはきっとひとり暮らしでも、食べることには精力を費やすと思いますが、ユタカ君や孫たちに美味しいものを作る時のモチベーションは「愛そのもの」で、夢中になって作りますね。
さらに「愛する人へのごはん作り」が、月の舟カフェのランチの原点でもあります。新鮮で美味しいものを提供する歓びは、宇宙大です。ヤッホー。
さて、今日のテーマは「自分の中に神社を祀る」。たとえば、きみちゃんは、みたけ神社の主祭神・女神きみちゃん、というように、自分の中に勝手に神社を建てて、そこに自分という神様を鎮座させるのです。
これまでわたしたちは、自分のことを「神」と思ったりするなど、とんでもない、と思い知らされながら生きて来たでしょうが、もはや、これからは自分のことを「天才」「最高傑作」「完璧」と信じ、自分を「神」として生きることが何よりも大事だと思うのです。
なぜなら、この大変化の時代を生き抜くためには、とにかく自分を頼りにするしかないわけで、会社が悪い、上司が悪い、政府が悪い、と言ったって、あちら様も必死でしょうから、わたしたちの行く末になんて、一ミリも注意を払ってくれません。
だから、頼りになるのは自分だけ。自分の力を200%発揮して生きて、この時代を乗り切るのです。
もはや自己肯定感などという言葉を飛び越えて、「神」として生きる。神様だから、何だってできる。神様だから、自分の願い事は自分にお願いして、自分で叶える。神様だから、すべての人類を愛しまくっている。たまに嫌いな奴がいたとしても、しゃあない、そんときだけ「人間」(笑)。
昨夕、爆睡したおかげで、夜、眠れなくなって、真夜中にいろいろとベッドのなかで瞑想していました。それで、みたけ神社の女神きみちゃんになった気分はどうだろう、と思いついて、やってみたら、めっちゃ気持ち良かった(笑)。
いやあ、もう自分が光り輝いているんですわ。自分が光そのものである、という感覚は、光源氏を超え、賢子の「おんな光る君」を超え、「光る女神きみちゃん」となって、それはそれは輝いておりました。
皆様もお試しあれ。「わたしなんて、まだまだ」と言わずに、「わたしは、神です」「わたしは女神です」と自分に言い聞かせるのです。
なんでもできますよ。不安や怖れは飛びのいてくれますよ。お金の心配もいりません。自分の力で稼ぐことができますよ。どんなにどん底であっても、あなたが神である限り、食べ物はあるし、住む家もあるし、愛する者はたくさんいるし、親切にしてくださる方もいっぱいだし、世の中捨てたもんじゃない。
何よりも、あなたはただそこにいるだけで、愛されている。深く愛されています。だから、自分の価値をあげる努力をしていかないといけません。
「わたしなんて」「謙虚じゃないといけないでしょ」「お金ないし」「自信もないし」なんて言っている暇がないくらい、日本経済はどんどんジリ貧になっていきますからね。落ち込んでいる暇があったら、自己価値を上げ、どんどん稼ぎましょう。
自分が輝くこと、自分が集中できること、歓びを感じることをどんどんやっていくのです。
どうしても力が出ないときは、きみちゃんの女神ヒーリングを受けて、元気を出しましょう。優しく寄り添いますよ。
また、月の舟カフェで、美味しいランチを頂きましょう。元気が出ますよ。
本日午後、元気が出たところで、「月の舟通信」250通を作成し、ユタカ君とふたりで袋詰めして、夕方、国分の郵便局から発送しました。皆様のお手元に今週中には着くでしょう。
1月からの新講座「枕草子」「源氏物語」「女神塾」のご案内、「京都文学散歩」のご案内を同封しました。ユタカ君の編集能力の高さにいつも感動し、感謝しています。
きみちゃんの巻頭言も大好評です。このブログのように、皆様を元気にする目的で書いていますからね。
これから、女神きみちゃん、大活躍しますよ。たくさんの受講生の皆様、たくさんのカフェのお客様、女神ヒーリングのお客様、京都文学散歩のお客様をしっかりとお迎えします。きみちゃんといたら、楽しいし、充実した時間が過ごせるし、リラックスできるし、何よりも、自分の中に溜まっていたブロック(トラウマ)が取れて、生きやすくなりますからね。
きみちゃんとご縁する皆様、ぜひぜひ、新講座、月の舟カフェ、女神ヒーリング、京都文学散歩をご一緒いたしましょう。
京都文学散歩は定員6名ですので、たぶん瞬殺で定員いっぱいになると思いますから、参加ご希望の方、興味のある方は、ぜひお問合せくださいませ(mokka@po4.synapse.ne.jp)。
自分を神様と思うことは、決して傲慢ではありません。これからの時代に必要な生き方です。自分が神様だからといって、威張る必要もなく、だって、みんな神様で平等だから、威張っても効き目がありませんからね(笑)。
他人に自分の凄さをわかってもらう必要もなく、自分が自分で「わたしって天才」と思うことの方が、現実が良くなります。
自分の中に神社を建てて、自分を主祭神にして、自分軸を持って、自分が人生の主人公となって、責任をもって楽しく生きていきましょう。
きみちゃんも、たくさんの神様、女神様と出会いたい。文学講座、月の舟カフェ、女神ヒーリング、京都文学散歩でお待ちしております。
今日もブログを読んでくださいまして、ありがとうございます。きみちゃん、自分の人生が大好き、これで良かった。ユタカ君と結婚して良かった。3人の娘が生まれて、超嬉しい。孫がたくさんできて、さらに嬉しい。
とても豊かな人生。これまでは、まだまだ、とどんなに努力しても達成感がなかったのに、60歳を超えてからというもの、こうして霧島に住んでからというもの、ヒーラーになってからというもの、自分が自分であることに深く満足し、毎日を充実して生きることができるようになりました。
60歳を過ぎて、自分の人生を振り返り、ああ、良い人生だった、よく頑張った、と思えたし、あと30年、さらにリラックスして、ゆったりと世の中を明るくしていこう、と張り切っています。
一歩一歩、着実に、自信をもって、元気出して、歩いて行きましょう。