きりしま月の舟

癒す人

2023.06.05更新


 昨日6月4日は、ストロベリームーン、満月の日でしたね。

 午前中は、「きみこ源氏ひとり語り」。空蝉、末摘花、花散里という3人の女君たちについてお話ししました。源氏物語のなかでの美女ではない部類に属する皆様です。

 髪の毛が薄かったり、痩せすぎていたり、顔が長くて鷲鼻だったり、と作者の紫式部さん、美女には「あてにきよら」くらいの上品で美しい、みたいな表現しか使わないのに、美女ではない皆様を描写するときには、筆が冴えます。作家魂ですね。

 3人の女君を90分で語り尽くす、というのは至難の業でしたが、語り切りました。達成感でいっぱいでした。受講生の皆様も大満足でいらっしゃいました。ありがたいことです。

 ZOOM参加の富山県の愛さんも、いつも熱心でご質問も的確で、とっても嬉しいです。

 満月の日にふさわしい講義ができました。ランチも召し上がっていただき、嬉しい限り。いま旬の春キャベツ、新玉ねぎ、ソラマメをふんだんに使ったメニュー、いつものように皆様、完食でした。

 土曜日の夕方、妹が泊まりに来たので、一緒に温泉に行き、我が家で食事をしました。93歳の母が高熱が出て、一時入院となり、ちょっと心配ということで、東京から駆けつけてくれたのでした。風邪による高熱ということでしたが、手に力が入らなかったり、だったらしい。

 わたしも、2週間ほど前に母の施設に面会に行ったときに、あら、いつもより元気がないな、ちょっと痩せたみたいだけど、と思っていたところでした。

 母が熱が下がり、風邪だろうということで、一週間で退院だったのですが、わが妹君、台風のさなか、嵐とともにやってくる感じで、施設にいる高齢の母よりも、妹の方が心配なくらい。

 実家の隣りに住む弟のところに一泊して、母に会いに行き、しかも、ひとりでは行かず、毎回、親戚の誰かを引き連れていく、嵐の女(笑)。今回は、母のお手伝いさんとして長く勤めてくださったNさんと一緒に面会したとのこと。

 母はNさんのことをしっかりと覚えていたそうで、何だかウルウルだったらしい。母も元気そうだったらしい。

 で、妹が霧島に来るときに「何か買ってこようか」と聞くので「じゃ、美味しいパンを買ってきて」とLINEしたら、「スーパーのでいい?」「スーパーのじゃ、いやだ」「めんどくさい」「じゃ、いいよ」というLINEでのやりとりを経て、妹君、土曜日午後4時半ごろ、月の舟にご到着。

 ちょうどカウンセラーの史歩さんが、遅いランチと、わたしが頼んでいた本を届けに来てくださって、いろいろと話し込んでいたので、同じ職種の者同士(妹君は、発達心理カウンセラーなのです)、話も弾むだろうと、実際、このふたりは出会ったときからずっとカウンセラー業界の話をしていたので、史歩さんにも温泉と食事にお誘いしたら、快諾してくださって、妹と史歩さんの3人で温泉へ。

 いやあ、同じ体型の3人、自分の身体を恥ずかしがることもなく、堂々と温泉に浸かり、おしゃべりをして、我が家に戻って、夕食。

 ユタカ君は、庭仕事を終えて、食卓を整えてくれていました。結局、なんだかんだと言いながら、美味しいパンを買ってきてくれた妹君。ピザパン、鳥刺し、キャベツの酢漬けなど、ありあわせのものをいっぱい並べました。

 わが妹君、口が悪いので(これは全く母と一緒)、わたしをつねに怒らせる発言をする名人なのですが、のっけから「あんたにちゃんと料理ができるの?」という態度。妹君は、自分で鳥刺しを買ってきておきながら、生では食べたくない、というので、わたしがささっと料理して、出してあげたら、「美味しい」とびっくりします。

 金曜日の夜、妹は弟夫婦と食事をしながら、「カフェの料理って、誰が作ってるんだろうね」と、月の舟カフェのことが話題になったらしい。「ユタカさんが作っているはずだ」と弟は言ったらしい。弟は、ユタカ君のチーズケーキを食べて、大絶賛しておりましたからね。それで、ランチもユタカ君が作っていると信じているらしい。

 何しろ、わが一族の女たち、料理の名人揃いなのです。兄嫁さん、弟嫁さん、ふたりとも管理栄養士で、料理の名人。母は、料理の達人。妹も食物学科卒業で、料理はわたしより上手。いわば料理一家のなかで、わたしだけ異端の文学を仕事にしている人間が、カフェを始めたわけですから、たしかに信用はないわな。

 でもね、わが一族の女たちの料理のレベルが最高点の10点だとしたら、きみちゃんも8点くらいのレベルはありますわ。世間の平均レベルをはるかに超えているはず(笑)。それをわが一族ときたら、きみこちゃんは、いつも本ばっかり読んでいたから、お料理する時間なんてなかったよね、というくらいのスタンスです。

 でもね、きみちゃんは研究熱心ですからね、カフェを始めてから、料理本を愛読書にして、料理研究を怠らず、旬の食べ物を取り入れ、しかも毎日20食分の料理を週5日作ること3年、いやあ、料理の腕はかなり上達したと自負しています。

 それに衛生面、新鮮さ、買い物の秘訣など、どれだけきみちゃんの料理力がこの3年でレベルアップしたことか。夫婦ふたり分の食事なんて、いやあ、おちゃのこさいさいのレベルですわ(笑)

 ということで、わたしの料理力に驚く妹君。史歩さんとユタカ君の4人で、カウンセリングのことで話が盛り上がります。史歩さん、ありがとうございました。温泉、夕飯をご一緒してくださって、妹君と乱闘にならずにすみました(笑)。何しろ、いちいちわたしを怒らせる発言をする妹君、情が濃いことは認めますが、おせっかいが過ぎて、いつも落ち着かない人です。

 土曜日の夜、あまり夜更かししては翌日の「きみこ源氏ひとり語り」に影響する、と思って、早めに就寝。妹君は、飛行機の時間が早いから、ということで空港に近い我が家に泊まったわけですが、日曜日の午前8時前に、空港へ向かいました。

 高齢の母のこと、わが娘たちのことも、情細やかに気を配ってくれる妹君。ご苦労様でした。母が泊まりに来た時に使っていたベッド、母はこのベッドに2回しか寝ませんでしたけど、これからは妹が泊まるときに使うことが多いかも。

 最も台風が接近した金曜日、月の舟は臨時休業にしましたが、夕方、母の友人で、月の舟の会員さんでもあったNさんが92歳で亡くなられたとのことで、ユタカ君とふたり、お通夜に出かけました。

 母は、弟の幼稚園時代のママ友さんたちと、90歳近くまで、月一回のランチ会をするような仲で、いつも母がボスみたいな仕切りをするグループでしたが、よく長く続いて、Nさんもそのお仲間のひとりでした。月の舟の文学散歩にも、母と一緒に参加してくださって、とってもお世話になったのです。その娘さんのHちゃんは、大学受験のときにわたしの下宿に泊まっていた、ということもあって、交流がありました。

 お通夜に行けてよかったな。Hちゃんにも久しぶりに会えたし、3月に奄美でお世話になったNさんの弟さんのKさんにもお世話になって、とても良かった。

 そんなこんなで、金曜日も土曜日も忙しく、日曜日も午前中に講義があったりと、フル回転でしたけど、何よりも嬉しかったのは、昨日の午後、23年ぶりに鹿児島純心女子大学時代の教え子Oさんが月の舟を訪ねてきてくれたことです。

 23年前、妙円寺団地の我が家に泊まりに来てくれたのでした。ちょうどそのときのわたしの年齢に自分がなったことに気が付いて、きみこ先生に会いたい、と思ってくれたみたいで、土曜日にお電話を頂いたのでした。

 「先生、わたしのことを覚えていますか?」と電話の声。名前を言われても、ピンとこなかったけど、「覚えてますよ」と嘘をつくきみちゃん(笑)。案の定、話をしているうちに、鮮明に彼女のことを思い出しました。

 わたしは、この30年ほど、鹿児島県内のたくさんの大学で非常勤講師をさせていただいておりますが、20年くらい前は、学生さんたちに自分の名刺を配って、何かあったら連絡してね、と言っていたのでした。

 Oさんはその名刺を頼りに、我が家を訪ねてきてくれて、泊まってくれました。娘たちも大喜びで、楽しく一晩を過ごしたのでした。

 わたしはそのときOさんの話を聴いただけでしたけど、Oさんにとっては「あのとき先生がわたしの人生を繋いでくれました」と言ってくれました。いやあ、ほんと、わたしは何もしてないのだけれど、Oさんが自分で人生を切り開き、乗り越えてきて、そのOさんの美しく、逞しく、超素敵な女性に成長している姿に、めちゃめちゃ感動しました。

 Oさんは花束を抱えて、月の舟を訪ねてきてくれました。その花束は、いまこのブログを書くわたしの机の上に飾ってあります。

 この花束は、わたしの教師人生の勲章のようです。わたしは教えることが大好き。一所懸命教えて、そのことを受講生の皆様が受け入れてくださる瞬間、時間が大好きです。そのときは別世界にいるようです。

 自分を知ることが、最高の癒しである、という本を読んだことがあります。知ること、学ぶことは、最高の癒しなのです。

 学びを提供することで、わたしは癒す人でありたい。今朝、強烈にそう思います。

 昨日は教え子ちゃん祭りで、鹿児島国際大学短大部での教え子ちゃんで、近くに住む真子ちゃんも、5歳のさやかちゃんと一緒に、遅いランチを食べに来てくれました。ちょうどそのとき、わたしはOさんと神水峡の柱状節理の前で、暖かなエネルギーに包まれながら、いろんな話をしている最中。

 で、いつものように、ユタカ君がさやかちゃんと一緒に遊び、ランチを提供し、さらに、おむすびだの、ひじきの煮つけだの、摘果メロンの漬物だのを「お持たせ」にして渡したそうな。真子ちゃんはいつも実家に来たみたいと言ってくれて、わたしたちももうひとり娘ができた気分です。

 真子ちゃんは一時期、わたしのアシスタントもしてくれて、結婚式にも参列したし、家族ぐるみの付き合いをしていますけど、Oさんとはほんと23年ぶり。

 Oさん曰く、「先生の授業の内容は、全然覚えてないんですけど、泊まったとのは別の日に、お友達と先生のところを訪ねたら、ミートソーススパゲッテイを出してくださって、それがとても印象に残っています」とのこと。

 こらこら、わたしの授業の内容を覚えてない、ですってえ(笑)。鹿児島純心女子大学では、日本語表現法という講義を担当していて、平たく言えば、作文教室みたいなことをやっていて、それこそ、書くことで自分を知り、癒していく、というようなことをやっていましたから、特に知識、というものではなかったですからね。

 思えば、この作文の講義のおかげで、自分の本当の道を見出した学生さんがいたなあ。あのときは、やはり妙円寺団地にあった最初の図書室「木家(もっか)」に、学生さんとお母さまが訪ねてきてくださって、これから宮崎に引っ越すのだと報告してくださったっけ。

 なんだかんだと人助けしてるなあ、きみちゃん。だって、きみちゃんはヒーラー、癒す人だものね。書くことで、自分を知り、自分を癒す。そのことを実践しつつ、教えているきみちゃんを、とても誇りに思います。

 それに最近、エネルギーワークができるようになり、ハイアーセルフさんとお話ができるようになったので、というか、以前から言葉が降りてきていたのですが、その言葉をさらに大事にするようになったら、目の前の方を癒す力、スピードが速くなったな。

 ヒーリングするお相手様の課題が、エネルギーワークで言葉として降りてきて、それをお伝えすることで、課題の解決が速いのです。

 奄美の真理様が、「きみこさまは、生まれながらのシャーマンです」と言ってくださったそのことは、やはりそうなのかも、と思えます。

 土曜日の夜、妹と話している中で、妹が弟と交代で、おばあちゃんちに泊まりに行っていた、という話の中で、妹はわたしが勉強ばっかりしていると思い込んでいるみたいでしたけど、実は、毎晩、祖父母の家に泊まりに行っていたのは、わたしでした。妹や弟はときどき、だったのです。

 物心ついたときには、わたしの側にいるのは、両親よりも祖父母の方が多くて、ほぼ毎晩、祖父母と寝ていました。

 「きみこは、宝子じゃ」と祖父母に言われて育ったきみちゃん。両親の住む家と祖父母の家は、大きな道路を隔てた真向いにあり、わたしは小さい時から祖父母の家にいることが多く、祖父母の湯治にも一緒についていき、小学生になったら、まず両親の家に帰ってきて、お友達と遊んで、お夕飯ができたら、そのお夕飯を籠に入れて、祖父母の家に持っていき、祖父母の3人で食べて、その晩は祖父母の家に泊まり、翌朝、両親の家に帰り、そこで朝食を食べて、学校に行くという生活を、祖母が亡くなる中学3年生までしていました。

 妹は、わたしがいつもいないのは勉強ばっかりしているせいだ、と思い込んでいたみたいで、わたしは何より、お夕飯のときに、みんながテレビを観ているのに、わたしだけ、「きみこちゃん、そろそろ行かないと」と母に促されて、祖父母の家に行く瞬間というのが、ああ、というため息交じりの時間だったと記憶しています。

 祖父母の家に行くと、祖父母があまりにも歓ぶので、小さなため息も忘れて、祖父母と一緒に「きみこは宝子じゃ」と絶賛されながら、過ごしていたのでした。

 母はわたしのことを全権大使と呼び、わたしを祖父母との関係の橋渡しにしていましたが、そのことが特にトラウマであったことは一度もありません。あら、おうちがふたつあっていいね、とお友達に言われたり、祖父母の家で寝過ごして、パジャマのまま、通学路となっている道路を横切るのは、とっても恥ずかしかった記憶がありますけど、「愛された」記憶だけがあります。

 小学5年生で祖父が亡くなり、その前には祖父は認知症になって、祖母に暴力をふるっていましたから、小学4年生の頃には、祖父の暴力が始まると、両親の家に助けを求めに帰っていくのですが、両親の家でもまた、暴力沙汰の最中だったり、と、まあ、ろくでもないわが人生なのですが(笑)、いつでも、わたしは愛され、待たれ、癒しの子として存在していた気がします。

 直感力も鋭くて、文学の世界とは、その直感力や集中力のおかげで親和性があり、最適な仕事を選んだ、と実感しています。さらに、文学を語れるパートナー、文学仲間に恵まれて、最高の人生です。

 わたしは、生まれながらのシャーマン、癒す人です。これからも、世界一の癒す人であるように、自分を無条件に愛し、甘やかし、大切にしていきます。

 さ、明日は、鹿児島県立短大の講義があります。ここ5年ほど、学生さんたちとノート交換していますが、とっても素晴らしい営みだなあ、と思っています。さらに明日は名刺を配りましょう。何かあったら、訪ねて来られるように。

 学生さんたちにとって、最高の癒しの人であるように、ただ、わたしがそこにいるだけで安心するような、そんな女神になっていけたら、と思います。

 そして、明日は、36回目の結婚記念日。鹿児島県立短大の講義が終わったら、カメラマンの馬場さんと待ち合わせをして、昨年亡くなった岩本雅樹さんのお墓参りに行く予定です。

 岩本雅樹さんは、わたしの公民館講座の受講生。やはりわたしの仕事場であった妙円寺団地の木家(もっか)に遊びにいらしていたら、そこへちょうどユタカ君が来て、どちらのご出身ですか、という話になって、そしたらなんと、同じ小田原高校の先輩後輩だということがわかって、それ以来、雅樹さんは家族のようなお付き合いをしていたのでした。

 やはり家族のようなカメラマンの馬場さんと、暖かくなったらお墓参りに行きましょう、と話していたので、本当は馬場さんのいる長島までドライブしようと計画していたのですが、そうだ、雅樹さんのお墓参りをしよう、ということになって、明日は、冠嶽まで行きます。

 思えば、遠くに来たもんだ。たくさんの優しい方々に恵まれ、わたしは今でも「宝子」の気分。ありがたいことです。毎日が大きな歓びに包まれています。

 これから夏至に向けて、大きなエネルギーがわたしたちを包んでくれて、さらなる成長を促してくれます。6月21日(水)、22日(木)は、夏至の日特別ヒーリングをいたしますので、さらなる成長のきっかけをつかみたい方、お問い合わせくださいませ。(090-3669-5354 みたけきみこ携帯)

 今日もブログを読んでくださいまして、ありがとうございます。このブログを読むことで、少しでも皆様の心が癒されることがありましたら、これほど嬉しいことはありません。