きりしま月の舟

我ひとり荒野を行く

2021.04.06更新


先日、精神科で仕事をしておられる方とお話して、ほおお、と思った言葉。

「人間が最も怖れているのは、共同体からの追放ということです」

一瞬で腑に落ちたので、とても心に残っています。なるほどなあ。

会社、家族、組織から追放されて、「おまえなんか、出て行け」と言われ、あるいは無言で社会の片隅に押しやられ、孤独のどん底にある、そんな思いは誰もが経験しているかもしれません。

一方で、先日亡くなったノーベル物理学賞受賞者の赤崎勇氏は、「我ひとり荒野を行く」という言葉を残され、若手研究者の励みになっているそうです。

青色LEDを開発するときに、いろんな試練があっても、諦めないで、最後はひとりになってもやり遂げる、という意味の言葉でしょう。

赤崎氏のように大天才ではないですが、わたしも「我ひとり荒野を行く」ことを肝に銘じています。

わたしにはユタカ君という相棒がいるので、最後には孤独ではないかもしれないのですが、いつも「ひとり」ということは肝に銘じているのです。

相手を慮って、決断する、というのではなくて、自分がどう思うか、どうしたいのかを判断して、決断をします。夫だろうが、子どもだろうが、判断するのは自分。決断するのはわたし。責任取るのも、わたし。でも、ちっとも孤独じゃない。わがままで結構。

他人様としっかりと線を引く。ここから入っちゃいけないよ、と。ここは、わたしの世界だからね、と。夫でも子どもでも親でも入れない世界がある、というのは、強みです。

思うに、「決断する」ことほど人生で大事なことはありません。「よし」と決めて、ひとりでスタートする。

ユタカ君に相談すると、碌なことはない(笑)。大体において、決断が鈍り、スタートが遅れます。ユタカ君の判断は常識的で、論理的で、一見正しいのですが、わたしの行動の指針にはならない。

だって、わたしのアイデアは、どんなときも前代未聞、あっと驚くタメゴローだからです。
彼の意見に従っていたら、普通のことしかやれない。だから、自分でやる、と決めて、あとから「どう思う?」と一応聴くけど、そのときは突っ走っているから、彼は付いてくるしかない、みたいな感じ(笑)。

逆に、きちんと決断をして、お互いの意思疎通をしているからこそ、わたしたちは仲良しで、ケンカもするけど、そのたびに絆が強くなっていく夫婦なのです。そして、お互いの決断を尊重し、お互いの分野に口を挟まない、ということは徹底しているつもり。

4月4日(日)の「霧島の春を歩く」のイベントは、ずっとその日が雨の予報で、中止にするかどうかを、ユタカ君とふたり迷い続けました。いったんは、土曜日の朝、中止にしよう、と早朝ヨガの参加者の皆様には伝えたのですが、お天気がだんだん回復していくようで、中止の場合、もう一度連絡します、連絡がなかったら、開催ということにしてくださいね、と申し上げておきました。

4月3日の土曜日は、何とかお天気がもって、翌朝の午前8時に登山スタッフの裕太君と飛雄馬君が来てくれたときも、雨は上がっている状態で、天気予報もどんどん晴れる、ということだったので、「よし、やろう」ということにしたのでした。

そして午前9時、出発地点の山神社に行くと、小雨状態。ぼちぼちとご参加の方々が集まっておいでです。そのなかで、登山にふさわしくない格好の方がおいでで、わたしはそのとき、自分は留守番をして、カフェをオープンすると決めていたので、わたしのカッパを貸してさしあげて、彼女たちふたりの荷物を預かって帰ったのでした。

月の舟に帰り、午前4時から準備したお弁当作りの後片付けをしていると、雷まで鳴って、大雨状態です。ユタカ君に電話してみると、「森の中は、大丈夫」とのこと。それでも、目的地の高千穂ビジターセンターに着くまで、ずっと雨だったようです。

とても心配しました。でも、流れにまかせ、祈り、皆様が愉しんでくださるように、思いを込めていたら、「無事、到着」との知らせ。

皆さん、お弁当が美味しかった、と言ってくださいます。病み上がりのおふたりが山歩きを止めて、月の舟でゆっくり過ごされ、またランチのお客様もおいででしたから、わたし自身も忙しかったのですが、山歩きの皆様が、お弁当を食べて、ジャンボタクシーで月の舟に戻ってこられたときには、本当にほっとしました。ユタカ君がすぐに薪ストーブに火を入れ、温かくしてくれました。

皆様、コーヒーを飲んで、くつろいでくださいます。出発前より、皆様、テンションがあがっている感じ。雨の森のなかは、とても幻想的だったそうです。ああ、わたしも行きたかったなあ。

冷えないように、温泉に入ることをおすすめして、「帰りたくない」とおっしゃるNさんたちといっぱい笑い転げて、全員が帰られたあと、先日の一周年記念のとき、紅白のお餅を提供してくださった裕太君のお父様を晩酌にご招待していたので、裕太君ご一家と歓談。

そのうちに、帰りたくないNさんに合わせたかった、えびの高原荘の支配人の大石さんも途中から合流して、賑やかな歓談タイム。本当に心の豊かな方々と出会って、嬉しいこと限りなし。充実した一日でした。

反省点も多くて、告知の仕方、地図を示したり、服装の注意書きをしたり、とか。

で、ユタカ君曰く「その格好では登山できませんよ、と俺が言ったのに、きみちゃんがカッパを貸したりして、登山の体制にするから、びっくりした」とのこと。

「じゃあ、そのときにもう一度ダメですよ、とあなたが言えばいいじゃない」とわたし。

わたし自身、小雨で山歩きを諦めた方のために、近くを散策して、月の舟までお連れする予定だったのに、なぜか身体が動いて、何とか山歩きをさせてあげたい気持ちで、近場の散策のことなんて、すっかり忘れておりました。なんでだろ。そのときは、そういう風に心が動いたのです。

そのことで、きみちゃんの突拍子もない行動に驚くユタカ君と、そのことをどうしてきちんと阻止しないの?とユタカ君を責めるきみちゃんとの間で一悶着あったのでした。一悶着というより、責任の取り方について、根本的に見直しました。

最終的に決断がつかないときは、流れに乗る。それが大事だな。わたしは今回そのことを大きく学びました。これでいいんだ。神さまが決めてくださるし(笑)。

決断ができないときって、損得を計算しすぎるとき。こっちが得か、あっちが得か迷っていると、決断できません。だって、損得って、五分五分ですからね。

あと、責任を自分が取る、と思うと、決断はスムースです。どんなときも、ひとりぼっちになっても大丈夫、と思えば、乗り越えられます。

だから、共同体からの追放なんて、怖くない。親から勘当されたって大丈夫。そこからが自立ですもの。

どんなときも、神さまや宇宙は、あなたをとことん愛している。あなたよりあなたのことを理解して、行動を指し示してくれる。大木ゆきのさん風に言えば、あなたは宇宙の最高傑作。ダメなあなたを宇宙は限りなく愛してくれる。だから、大丈夫。愛されてるからね。

ひとりぼっちでも大丈夫、と思えるから、そんなわたしをユタカ君は愛してくれる。そして、いつもひとりで毅然としているユタカ君がわたしは大好き。彼は、他人からの承認欲求がゼロに等しいですからね。その分、傲慢すぎて、そこがときどき嫌になるけど(笑)。

ま、一悶着あったおかげで、それぞれの責任の取り方を再確認できて、とっても良かった。

我ひとり荒野を行く。素敵な言葉だなあ。毅然として、荒野を行くことを愉しめば、自然と道は開けます。

さあ、わたしの道も開けています。明日から、「おくのほそ道」の講義です。4月7日(水)午後2時から鹿児島市よかセンター7階第4会議室にて。テキストはまだありますので、ご興味のある方はどうぞ気軽にお越しくださいませ。

きりしま月の舟のHPにも、「おくのほそ道」の動画をアップしますので、ぜひそこからも勉強されてくださいね。

やはり、ユタカ君は素敵な相棒だな。いつもありがとう。

そして、このブログを読んでくださる素敵な仲間の皆様、ありがとうございます。

ひとり荒野を行く。追放する人なんて、いませんから、大丈夫ですよ。悠々とわがままに、我が道を歩きましょう。