きりしま月の舟

ただ大好きなこと

2021.09.30更新


 ただいま書斎を片付け中。これまで10年近く積み上げてあった30年分の資料を整理しているところです。

 これから、きりしま月の舟に加えて、自宅リビングも開放して、講座やランチでお客様を招き入れるので、リビングの改装中。とりあえずユタカ君の書斎にあった40箱ほどのうち、20箱をリビングにユタカ君が移動してくれて、それをまず片付けなきゃなあ、と思っていたところに、救世主あらわる(笑)。

 毎週火曜日の夕方から夜にかけて、農業青年の裕太君がカフェ用のお野菜を届けてくれるので、彼にお願いして、リビングの段ボール20箱ほどを、わたしの書斎に移動しました。

 重たい段ボールをどうやって運ぼうか、まずはこの移動からだよなあ、とユタカ君がいない間、毎日眺めて暮らしていたのが、裕太君にお願いしたら、ものの10分もかからずに、わたしの書斎に軽々と運んでくれました。

 鉛筆より重たいものは持たない主義のきみこさん(笑)。裕太君の魔法で、段ボールが飛ぶように移動できて、めちゃめちゃ嬉しくって、わたしの書斎に積み上げてある数々の骨董品のひとつを取り上げてみる気になりました。

 それは、わたしのお習字。小学3年生と6年生のときに書いたお習字の掛け軸みたいなやつを、母が綺麗に額装してくれていたのですが、3年ほど中身もみないで、そこらへんに放っていたのでした。

 裕太君にお礼にコーヒーを淹れて、いつものようにおしゃべりしている中で、リビングの床に広げてみたら、なんと小学生のきみこさん、めっちゃ上手やん(笑)。

 裕太君も「すごいですね」と褒めてくれます。わたし自身がびっくりしました。そういえば、母が「ほれ」という感じで、3年ほど前でしょうか、手渡してくれたのに、過去の遺物に用はない、とばかりに中を開けることさえしなかったのでした。

 6年生のときのは、金賞だったみたいで、金色の色紙が貼ってありました。「平和を守る」という字。小学3年生のときのは、「正しい心」。「し」が長いけど、まあ、3年生なのに、とっても上手です。

 思えば、わたしはお習字が大好きでした。6年生の時は、準五段でした。あと一歩で、ジュニア部門の最高峰の5段まで行けたのですが、準五段のまま、中学に入って、軟式テニスの部活が楽しくなると、お習字はもう辞めたのですよね。

 母は、わたしにいっぱいお稽古事をさせてくれました。ピアノ、習字、学習塾。そろばんとお琴も習いたかったけど、母はそれはいい、という考えでした。そろばんも学校の授業中にやると、そろばん塾に行っている子より早かったから、大成しただろうになあ(笑)。

 ピアノは、お稽古していかないといけないので、なかなか進歩しなかったなあ。お稽古よりもお友達と遊ぶ方が楽しかったからね。そのピアノを64歳の今でも続けていますけどね。いまはお友達とも遊ぶけど、ピアノも楽しんでます。

 わたしはなんでもできる子だった。優等生で、ほんと、運動も好きだった。でも、聴覚が人より劣っていたみたいで、そのことに気が付いたのが20歳を過ぎてからでした。働き始めてから、電話の音が聞こえないことに気が付いて、耳鼻科で調べてもらったら、かなりの難聴というのがわかって、とってもショックでした。

 お習字は、聴覚とは関係ないので、ただ座ってじっとしていれば、集中できて、どんどん上達するのですよね。ピアノは、やはり耳が悪いと、どうしようもないですね。

 優等生のわりに、行動が鈍くさかったのは、聴覚に問題があったからなんだなあ、と今になって思います。母も学校の先生もわたし自身も、それに気づかなかった。ま、しょうがない。そこまで重度ではなかった、ということなのでしょうし、何不自由なく、元気にここまで生きてこれましたからね。ありがたい限りです。

 というようなわけで、小学生の頃の優等生のわたしを思い出させてくれたお習字に、50年ぶりくらいに出会って、感無量です。

 母がどんなにわたしのことを自慢に思っていただろうか、とまず思いました。自分も母親になって、子どもの出来がいいのは、自分の出来がいいことよりも嬉しいですしね。わたしなんて、母以上に手放しで娘自慢をしています。

 そして思うのは、わたしって、お習字が大好きだったよなあ。今みたいに、武田双雲さんみたいに、パフォーマンス的な書道というものを、もっと早くに知っていたら、わたしの人生も書道家として大成しただろうになあ。

 書道家ではなく、文学の道に進んだ、というのは、どういう巡り合わせなのでしょうか。文学の道に進まなければ、ユタカ君と出会うこともなかったですし、こうして月の舟の活動をすることもなかったでしょうし、人生って、あらかじめ道ができているんでしょうかね。

 文学の道に進んだことは、わたしにとって本当に良かった。どれだけ救われたかしれません。加藤諦三さんは、権威的な父親の暴力があって、心理学の勉強をせずにはいられなかった。その勉強したことを書かずにはいられなかった、とおっしゃっていましたが、わたしも文学を勉強せずにはいられなかった、という感じです。

 文学の勉強をすることが、わたしを救っている、とも言えます。わたしを、わたしたらしめている。

 もっと言えば、心のこと、魂についての勉強をすることが、わたしの最も根源的なことのようです。目に見えないものを見る作業、というのでしょうか。

 魂について学んだことを、これからもっとシェアしていきたい、文学という分野だけではなく、もっと大きく幅広く、人間を捉えていきたい、と思っています。女神カフェで、それをやっていきますね。

 こうしてブログを書く、ということも大好きで、大好きでたまらないことですね。

 今日は、きりしま月の舟を臨時休業して、リビングの整理整頓をしようと張り切っておりますが、あまりにお天気が良くて、こんなに素晴らしい日は、まず大好きなことから始めなきゃ、とブログを書き始めました(笑)。

 ブログ書きは、2時間はかかるので、2時間、掃除の時間が削られるわけですが、ま、夜に押していけば、どうってことないさ(笑)。

 本当は、朝起きたら、朝陽を浴びて、ヨガをして、朝食をいただき、その後はブログを書いたり、勉強したりしたい。そして、ラジオ人生相談を聴きながらコーヒーブレイクして、午後から仕事。文学講座にカフェに、講演に、会議に、という感じでやっていきたいなあ、と思っています。

 10月からは、午前10時に文学講座を始めますから、それまでに勉強をすませておくこととなり、多分、午前4時起きで勉強、朝食、ブログ書き、ランチの仕込み、と大忙しですが、午前10時を正午に見立てて動いていけば、理想の一日を送ることができます。

 今日は、ブログ書きから始めたので、予定が狂いましたが、これから新しく見つけたお魚屋さん(国分の伊地知鮮魚店)まで行って、明日からのランチ用のお魚を買ってきますね。帰ってきてから、ランチの仕込み、リビングの片付けと行きましょう。

 今日の午後、ユタカ君が帰ってきます。嬉しいような、どっちでもいいような(笑)。伊地知鮮魚店の美味しい刺身でも用意して、待っていますよ。

 夕方には、お勉強に子どもたちがやってきます。おやつの準備をしたり、自分の気持ちを整えたりしておきましょう。

 そうそう、わたしの大好きなことのひとつが、若い人たちとつきあう、ってことですね。若い人に寄り添うのは、本当に楽しい。

 11月3日(祝)は、きりしま月の舟で、ドライフラワーの個展が決まったばかりですが、それに加えて、ミニコンサートもやりますよ。

 月の舟にたまにランチにおいでになるドイツ人のカーテイさんが、近く霧島を離れることになり、彼女の送別も兼ねて、彼女の好きなドイツ歌曲を歌っていただくことになりました。

 歌ってくださるのはテノール歌手の富松大幹さん。彼もドイツ留学をして、カーテイさんの故郷に近いドレスデンで勉強した、という経緯もあって、お願いしたのでした。

 あっという間に、トントントン、と予定が決まり、曲目までも決まり、凄いなあ。めちゃめちゃ楽しみです。

 92歳になったばかりの母とも、昨日、病院の窓口から弟と一緒にオンライン面会しました(先日、母がお昼寝していて、できなかったので)。愛おしくて、画面越しに抱きしめたいくらいでした。これまでは、どうして、そんなことを言うんだろ、と悲しく思うことも多かったのですが、それも老齢のせいだったかもしれません。

 お習字の話は、とうてい通じないくらいの認知度になっていますが、なんとかして伝えたいものです。「早く帰らないと」というので、「こっちは大丈夫だから、ゆっくりして」というと、きょとん、としています。「わたしが何とかしなきゃ」「わたしが働かないと」「わたしがやらないと」という思いのブレーキが効かずに、そのまま暴走している感じです。

 母は、わたしのことをとても大切にしてくれた、そのことに深く感謝します。今後の介護の方針も決まって、ほっとしています。ただただ、感謝の気持ちだけが溢れ出てきます。

 自分が92歳になったとき、もっとゆったりとしているように、と母が教えてくれているようです。「与える」だけではなく、「受容する」という女性性が大事だよ、と教えてくれているようです。

 さ、そろそろ次の行動に移りましょうか。ただ大好きなことを、めいっぱいやっていきましょう。心を込めて、心を開いて。

 素晴らしいお天気です。台風はどこへ行ったやら。新鮮なお魚とお野菜中心のランチ、文学講座、心込めて用意して、皆様をお待ちしております。

 いつもブログのご愛読、ありがとうございます。