きりしま月の舟

この一瞬に愛を込めて

2025.01.17更新


 きりしま月の舟カフェの窓側にある、一番の特等席から、紅梅の木がよく見えます。今日は、その特等席に店主きみちゃん自ら座り、コーヒーを飲みながら、その紅梅の木を眺めると、はち切れんばかりの蕾がいっぱいついていて、立春も間近いと、わくわくします。

 お正月が過ぎて、年末に生まれた孫の冬馬君も、今日で生後一か月。すくすくと元気に育っているようで、きみちゃんばあばはとっても嬉しい。

 1月11日からの3連休、そして1月12日の女神塾、1月15日の「枕草子」新講座、今日の源氏物語講座と、また今日の午後はZOOMで個人授業もして、連日、講座があり、もちろんランチを提供し、女神ヒーリングもほぼ毎日入っていて、きみちゃんとユタカ君、お正月からこの半月を、よく頑張りました。

 この3連休は、お客様も多かった。ありがたいことですね。ランチもあれこれと作り、毎日日替わりで、もちろん全部手作りで、毎日20食ほどを提供しました。

 おかげさまで、品格の高いお客様ばかりで、話も弾み、温かい交流ができていますことに深く感謝いたします。

 最近、お客様が多かろうと少なかろうと、あまり一喜一憂しないきみちゃん。それは、女神ヒーリングという天職があることが大きいかな。

 文学講座も30年以上も教え続けていれば、どこがポイントでどこを押さえて話せばいいか、もう頭の中に入っていて、90分の流れをどうするか、どうやったら、その作品の魅力を楽しく伝えられるか、サクサクと澱みなくできちゃうきみちゃん。

 もちろん、どんどん新しい勉強を重ねてこその、充実した授業展開ができるわけで、毎回、準備を怠らないきみちゃん。素晴らしいな。我ながら、偉い。天才だわ(笑)。

 で、最近、とっても気になるのが「好きなことを仕事にする」というスタンス。かつての「自分探し」という流行と同様に、「好きなもの探し」というのが流行っているみたいで、会う人皆、「好きなもの」探しの最中みたい。そして、その好きなことを仕事にする、ということを夢見ておいでです。

 それは、もちろん、とっても良いことですよね。世界中の人が好きなことを仕事にできたらいいよね。

 きみちゃん、文学研究、文学を教えるという、まあ、なんて言いますか、世間様の片隅を這いつくばるような、あまり人気のない、あまり稼げないことを仕事にして、しかも、大学教授とかの安定した名誉職にあったわけではなく、この30年非常勤講師という立場で、また月の舟自由大学という怪しげな大学を設立して、そこの学長と名乗り、実に怪しげな仕事を、実に楽しくやってきた身からしますと、「好きなこと」探しの皆様って、好きなことが、まるでいちごのショートケーキみたいな、実に美しくて、甘くて、美味しいものとして、そこにあって、そんな好きなことを手に入れたら、もう最高、という眼をして、ウキウキしておいでです。

 でもね、そういうときの「好きなこと」って、誰もが憧れる、誰もが承認する、みんなの憧れの「好きなこと」であって、その人自身の好きなことじゃないみたい。

 だから、いつまでたっても、自分の好きなことが見つからないわけ。

 きみちゃん、文学を仕事にしよう、と思ったのは、忘れもしない、1984年12月のイギリス留学中の下宿のベッドの上。日本に帰ったら、どうしようとずっと考え続けて、やっぱりOLは嫌だな、大学院に入りなおして、日本文学を教える人になりたい、と思って、母校の大学院を受験して、見事合格。しかも、博士課程後期も続けて合格。

 ところが、大学院在学中も、どうも卒業してもポストがないらしい、ポストはどんどん減ってるし、非常勤だって怪しいという世界。ちょうどそのころ、赤ん坊が次々に産まれて、子育てに突入したので、そのまま大学に就職することはなかったのですが、結婚しないで独身だったら、食べていけたかどうか。きっと文学を続けることなく、転職していただろうなあ。

 でも、子育て中もずっと勉強は続けて、怠ることはなかったな。とにかく勉強したかった。何がなんでも、勉強の時間を一日2時間は確保する、と決めていましたしね。 

 そのおかげ様で、子育てのために鹿児島に帰ってきてから、どんどん非常勤講師の仕事が入り、ユタカ君とともにNPO法人も設立して、文学講座、イベント、シンポジウム、コンサートなどをやり続けて、今に至ります。

 その間、好きなことをやっている、という甘いショートケーキみたいな感じではなくて、とにかく勉強し続けたい、とにかく頂いた仕事を全力でこなしてきているうちに、30年があっという間に過ぎましたね。

 ユタカ君はもともと文学青年だから、結婚したようなものですから、もちろん理解があったわけですが、わたしの母なんかは「なんでそんな儲からないことばっかりやるの?」というようなことをいつも言っていましたね。

 自分の好きなことを他人様や親に理解してもらいたい、と思ったことは一度もなかったけど、ずっと「変なことばかりをやりたがる変な子」という、良妻賢母であってほしいという、またもっとわかりやすい職業に就いてほしいという親の期待を全く無視した生き方をしてきたなあ、と今思う次第です(笑)。

 少数派の生き方をしてきたなあ、でも、それで満足だなあ、と思うし、両親やユタカ君や周りの方々の暖かいご声援のおかげ様で、こうして世間様からは「好きなことを仕事にしている」典型みたいな生き方をしていると思いますが、決して、世間様が認めるような「好きなこと」を選んだわけではないし、自分の好きなこと、信じる道を歩むことは、決して楽なことではない、決してイチゴのショートケーキではない、「好きなこと」とは、自分の好きなことだから、他人様の承認とは全く正反対の道を歩むわけで、、。

 すなわち、自分の好きなこと、信じる道は、世間様とは全く相いれないものであることの孤独感や孤立感を乗り越えてこその「達成」であると思うのです。

 もっと言えば、いじめや誹謗中傷の中でも、自分のことを大好き、天才、完璧、と思えるような逆境のなかにこそ、「ほんとうの自分」がいて、ほんとうに好きなことに没頭できるんだなあ、と67歳にして思うのです。

 もちろん、自分の好きなことが世間様の人気職業と一致する人も多いだろうし、好きなことで楽々と稼いでいる人も多いと思うのですが、きみちゃんの場合、いつも少数派で、いつも理解されなくて、いつも好きなことで稼いでる、という感覚はなかったなあ。

 特にまた、いま、ヒーラーだのシャーマンだのカウンセラーだのと名乗って仕事をしてからというもの、娘たちにも、最初のうちはユタカ君にさえ、理解されないで、さらに孤立した感がありましたけど、最愛の人にも理解されないような生き方のなかにこそ、「好きなこと」が潜んでいるし、好きなことを損得関係なく没頭してやっている自分のことを大好きで、尊敬してはじめて、「大好き」が仕事になる、と思うのです。

 好きなことを仕事にするって、かっこ悪い自分を受け入れて、それでも自分には価値があると思え、自分は天才で完璧だと思う、そのプロセスが大事。

 きみちゃんは、昨年からヒーラーとしてお仕事をさせて頂いていますが、今が一番稼いでいますね。というか、タダではやらない、と決めているし、もしタダでやったとしても、高額を頂いたとしても、そんな自分を許していて、その自分を許す、という作業こそが、稼ぐコツだんだなあ、と思うのです。

 最近、本当に重たい課題の女神ヒーリングが多くて、まあ、なんと言いますが、そのたびに、身体の細胞が3個くらい死んだような(なわけはないけど、それくらい身体にダメージが来るような)、でも、きみちゃんの場合、温泉に入って、瞑想すると、なぜか毎日恢復して、そしてユタカ君と晩酌をすれば、またいつものきみちゃんに戻り、重たい課題を引き受ければ引き受けるほど、きみちゃんのチャネリング能力は高まっていくこと感じています。

 先日は、温泉でリラックスしつつ、静かに瞑想していたら、「3次元と4次元の間に挟まっている」というメッセージが降りてきて、さあ、5次元まであがりましょうね、と励ましていたら、2キロくらい痩せた気分になりました(実際は、全く痩せてないけどね、笑)。

 何と言いましょうかね、命がけでやってる感が半端ないんですわ。そして、次々に、きみちゃんのところに、宇宙から「好きなこと」探しの皆様が派遣されて、きみちゃん命がけで、その躓いているらしい石をどけてあげている毎日。

 でもね、そのときの皆様のすっきりしたお顔があまりに美しくて、こちらまで泣けてくる感じで、毎回、大充実した女神ヒーリングをさせていただいていることに、大感謝です。

 そして、女神ヒーリングをしながら、きみちゃんの方がたくさんの気づきをいただいて、さらに大感謝。

 今日の気づきは、「好きなことは、全力でやらないと見つからないよ」ってこと。表面的に、誰もが認めるような「好きなこと」を求めているうちは、自分だけの、自分なりの「好きなこと」って、見つからないよ。

 世間が認めなくても、自分だけは自分を認める、わたしだけはわたしを愛する、っていうスタンスが大事なんだよね。もっと勉強して、もっと修行して、もっと稼いで、もっと立派になった「好きなことを仕事にしている素敵なわたし」ではなくて、誰にも認めてもらえないけど、なんか、これやっているときの自分って、とても充実しているよね、いまの自分、いまのありのままの自分がなかなかいいよね、完璧だし、天才だよね、自分の存在そのものに価値があるよね、と思えることが、「好きなことで仕事をする」第一歩。

 この一瞬に愛を込める。いま、「好きなこと」探しをしているんだったら、いまの仕事に全力を尽くしてみて。いまの子育てに全力を尽くしてみて。今を愛して。今の自分をとことん褒めて。

 あと3年後や10年後の自分じゃなくて、「いま、この瞬間のわたし」を最大限に発揮して、とにかく全力で、この一瞬を生き切ること。

 これこそが、「好きなことを仕事にする」真骨頂。

 自分には最高に価値がある。わたしは、最高傑作。そんな風に思えてこその「好きなこと」。いえ、好き、くらいじゃだめ、大好き、好きで好きでたまらない、何がって、自分が大好きになってこそ、好きなことを仕事にできるってこと。

 好きなことを夢中でやって、専門家になって、夏目漱石が言うように、自分の内部を掘って掘って、カキーンと何かにぶつかるまで、掘り尽くす。

 そして、カキーンと当たった時に、「あ、これを、わたし、好きだったんだ」「あ、これって、わたしの天職なんだ」「あ、これって、お役に立ってるんだな」ということが実感できるのです。

 このカキーンまで自分を掘り続けないといけない。自分に集中して、自分を深く愛して、自分に没頭して、はじめての「好き」。

 きみちゃんの場合、文学もランチも女神ヒーリングも、もはや「好き」を超えて、天職も超えて、なんというか、「お役目」「使命」みたいな感じかな。辿り着いた最後の広場かな。

 そのうち、ランチはどなたかに中心が移り、文学講座は終わるときが来て、でも、女神ヒーリングは、100歳まで続けられるかな。

 すべてはお導き。自分を愛して、自分に優しくして、自分を信じて、そして、宇宙というもの、神というものがあると信じて、大いなるものに自分を委ねる。

 そのスケールの大きさが大事だね。また一方で、小さな幸せのなかの「好き」「安心」「落ち着く」も大事だね。違和感はもっと大事。

 深い気づきを得たと思って、こうしてブログを書いていますが、うまく伝えられたか、わからないけど、ともかく、この一瞬に愛を込めて、生きていきましょう。そうしたら、必ず道は開けますよ。

 京都文学散歩も、まだまだ受付中。まだまだ定員になっていませんし、ホテルも大丈夫ですよ。大船に乗って、きみちゃんに身を委ねて、安心して、京都文学散歩を楽しみましょうね。

 ご予約の日をまずはお知らせくださいませ(090-7536-6672 mokka@po4.synapse.ne.jp)。

 きみちゃん、皆様と京都でご一緒できることが嬉しくて嬉しくてしょうがないのです。皆様とご一緒したいです。楽しみましょう。

 日時をご予約いただき、お振込みを確認して、予約完了です。ご予約いただいた方から、随時、細かいスケジュールや資料をお送りします。ホテル代は実費ですので、宿泊時のお支払いで大丈夫ですよ。一部屋ふたりのときと3人のときで値段が違いますので。

 この一瞬に愛を込めて。

 何度でも言います。遠い未来を心配しなくっても大丈夫。いまを深く愛を込めて生き切りましょう。それしかない。

 自分に優しく、自分を愛して、自分の声を聴いて。

 今日も温泉に浸かって、瞑想していたら、母の声で「きみこちゃん、おおきにね」という声が聞こえてきました。思わず、うるうるときました。

 きみちゃんは、入院中の母に「ありがとう」をずっと心の中で言い続けているのですが、はじめて母から「おおきに」という言葉を聴いた。

 母の思う通りに生きなかった、母の理想を達成してあげられなかった娘。きみちゃんの「好き」は、母の理解を超えたところにあって、その生き方に違和感を持っていたのに、母はそんな不良娘の仕事をいつも応援してくれました。なんだかんだ毒舌を吐きながら。「この貧乏人が」「あんたなんかより、源氏物語は知ってる」とか、いつだって、きみちゃんのことを自慢しつつ、下に見たがっていた母。

 きみちゃんの家族は、ユタカ君以外、誰もきみちゃんの使命も生き方も理解してくれないだろうという想いはあるけど、別に孤独じゃないな。だって、きみちゃん、満たされているから。普通じゃない人生を60年以上も生きて、とても強くなったし、自分が大好きだから、大丈夫。

 ユタカ君が理解してくれているから、これからも大丈夫。

 自分も母だから、よくわかります。母はやっぱり母親なんだなあ。子どもがどうであろうと、自慢であろうと、そうでなかろうと、深く愛している生き物なんだなあ、と。

 最期の見守りもしてあげられなくて、きみちゃんは仕事を優先し、母もまた、子どもたちが仕事や自分の家族を優先することを許してくれて、深い深い愛だなあ。ありがとう、おおきに、かあちゃん。

 子どももまた、毒親であろうと、自慢の親であろうと、その親への愛は無限で深い。親子、夫婦、家族、ご縁ある方々、そこに流れる愛は深いなあ。

 今日もブログを読んでくださいまして、魂から感謝いたします。

 母であることの素晴らしさ、重たさ、無限の愛の循環を感じる、この一瞬にまた深い愛を込めて、おやすみなさい。