愛に溢れる
2024.09.02更新
9月に入りましたね。霧島の月の舟周辺では、もう彼岸花が咲いていますよ。いつもながら驚く彼岸花。あら、もう咲いたの?とびっくりのお花で、9月の残暑を和らげてくれますね。
今朝は、午前6時半に家を出て、朝散歩。何しろ、今日から霧島小学校の子どもたちが2学期が始まり、登校しますからね。それに合わせました。
できれば、霧島神宮を参拝してから、子どもたちの登校ルートに寄り添って、一緒に歩く段取りが、家を出たらすぐの道路に、落葉、松ぼっくり、台風で飛んだ枯れ枝が散乱している状態で、とりあえず大鳥居のロータリーを廻って、自宅に帰って、竹ぼうきを持ってきて、道路の掃除をしました。
月の舟の前は、霧島神宮の表参道になっており、そこは車も通れます。この通りは、民家も何軒かあって、うなぎの吉宗さんもあるし、旅館・竹千代さんもあるし、さた理髪店もあるし、表参道はいつもきれいに掃除してあるのですが、空き家になったお宅の前は、さすがに掃除がされていませんでした。
月の舟のお隣りの空き家の前も、松ぼっくりがいっぱい溜まって、車が通るのも、子どもたちの通学にも支障がありそうでしたので、きみちゃん、お掃除しました。
結構、上から下まで500メートルくらいを竹ぼうきで掃いたかな。そして、きみちゃんが掃除する横を、子どもたちが元気よく挨拶して、登校していきます。ひと通り掃いたところで、竹ぼうきを持ったまま、今度は霧島小学校前の交差点で、校長先生が見守りをされているところまで行って、そこで子どもたちに声かけして、朝散歩終了。
汗をかいたし、彼岸花が咲いているのを見つけたし、とても爽やかな朝。ユタカ君はきみちゃんが掃除しているのを横目で見ながら、ゴミ出しに言ってくれて、帰ってきたら、朝茶の準備ができていました。
一緒にお茶をいただき、朝ごはんを作って食べて、大幸福なオフの朝。ユタカ君に言わせれば、竹ぼうきで掃く、というのは、あれは労働じゃないね、というレベルだそうで、きみちゃん、確かに、と納得。ユタカ君は毎夕、草取りして、その草を集めて、というような作業をしていますからね。その労働量は相当なものです。
でも、鉛筆より重たいものを持ったことのないお嬢様育ちのきみちゃんにとって、竹ぼうきで掃く、というのは、なかなかの労働でございました。足腰が鍛えられる朝散歩です。
さて、昨日は、嬉しいことがありました。なんと小学校時代の同級生・昌代ちゃんが、夫さんとお嬢さんと3人で月の舟に寄ってくれたのです。
最初はマスクして、しかもハンカチで口を覆っていたので、誰かわからなかったのですが、あまりにもきみちゃんを見つめるお客様だったので、こちらも負けずに見返したら(笑)、なんと昌代ちゃん。
懐かしくて、嬉しくて、最高。なにせ、昌代ちゃんとは小学5年生のときに同級生で、昌代ちゃんは足が速くて、運動神経抜群。で、きみちゃんは球技が得意で、ドッジボールが大好き、ということで、昌代ちゃんときみちゃんのふたりの5年生チームとわが妹のクラスの3年生の10人ほどが、毎朝、ドッジボールの試合をする、ということをやっていたのですね。
昌代ちゃんとはドッジボールメイト。もちろん、5年生の昌代ちゃんときみちゃんの組が連戦連勝。朝7時ごろには学校に着いて、ドッジボールコートに昌代ちゃんときみちゃんが待機していると、3年生がわらわらやってきます。そして、じゃ、いくよ、ということで何戦もして、昌代ちゃんいわく、昼休みもやってたよ、とのこと。
ほんと、よく覚えてるんだよね。あのドッジボール。楽しかったなあ。きみちゃんは学校が大好きだった。いつだって、お友達がいっぱいで、ほんと、楽しかったな。
そして、こうしてまた会える幸せ。昌代ちゃんは双子ちゃんを産んで、そのときに、きみちゃんは長女と次女を連れて、出産祝いに訪ねたことを覚えています。あれから35年。
話が弾みました。夫さんも娘さんも素敵な方々。きみちゃんが新聞に出ていることもよく気がついてくれて、弟の本も図書館で読んでくれて、いつも心の片隅にきみちゃんを置いてくれていることに大感謝です。
昌代ちゃんのお父様は、船乗りさんでマグロ漁船の船長さんだった。で、台風で船が難破して、お兄様ともども亡くなったのが、わたしたちが小学5年生のとき。一家の大黒柱を亡くされて、お母様はその後ひとりで奮闘されてた。昌代ちゃんも頑張ってた。
そのお母様も100歳まで生きられたそう。うちの母ちゃんは、昌代ちゃんのお母様が売っておいでのお味噌を買いに、きみちゃんと一緒に行ってくれたよなあ。母ちゃん、ありがとう。
懐かしくて、切なくて、でも、ここまで、わたしたち生き延びて、素晴らしいね。「想った以上に、きみこちゃん、元気だった」と昌代ちゃんに言ってもらって、きみちゃんも嬉しい。また、会おうね。
そして今日は、なんと母のいとこのみつよおばさんから電話があって、とってもびっくり。弟の本のことを新聞で知って、本屋さんまで買いに行ってくれたそう。そして、本を読んで、あまりにも懐かしくて、電話をくださったとのこと。
近いうちに、母のところにお連れする約束をして、電話を切りました。きみちゃんの生まれ故郷の串木野時代の方々が次々に再会で、嬉しいな。
昨日のランチのお客様で、80歳半ばくらいの、ご家族と一緒にいらしたおばあちゃまが、きみちゃんを見て、「どこかでお会いしましたよね」としきりにおっしゃるのですが、ご家族は、ここははじめてだよ、と言われ、でも、おばあちゃまは、帰る間際にも「どこかでお会いしましたよね」とおっしゃるので、「きっと前世でお会いしてますね」とお答えしたら、皆さま、大爆笑。
でもね、きみちゃんのことを懐かしく思ってくださることがとても嬉しくて、きみちゃん、さらに女神度をあげていこうと思いました。
今日はヘビーな朝散歩でしたから、帰ってからまた二度寝をして、何しろ、午前2時から5時まで、なぜか目が覚めて、きみちゃん、お勉強もしておりましたゆえ、たっぷりとお昼まで寝ておりました。
で、ユタカ君がそろそろ起きて、ドライブしよう、と言って、最近できたばかりのおにぎり屋さんに行き、それから御池方面に出て、牛之脛?だったっけ、そんな名前の集落を通って、それから関之尾滝へ。ついでに、溝の口洞穴へも行きました。
溝の口洞穴はパワースポットとのことでしたが、きみちゃん、その洞窟があまりにも暗くて、奥に進めませんでした。
でも、関之尾滝といい、洞穴近くの川といい、水が豊富で、ほんと、霧島界隈は水の神様の宿るところ。台風の被害はそれほどでもなく、道路を覆う倒木もなく、あるいは撤去され、がけ崩れも大規模なものはなくて、ほっと一安心。
さて、今日のテーマは「愛に溢れる」。これはどういうことかというと、「自分への愛に溢れる」ように生きる、ということ。
いつもブログに書く「自分を大切に」というテーマの一環です。とにかく自分への愛で溺れるくらいになる、ってこと。それくらい愛を自分に注ぐ、ってこと。
とにかく現実が苦しい方というのは、自分を生きていないから。自分と誰かを重ねているから。たとえば、娘さんだったら、お母さんと重ねる。娘さんが自立するときに、今度はお母さまが娘さんと自分を重ねる。ひとりでふたり分を生きるから、とても重いのです。
そして、親子でなくても、他人と自分の区別がつかない場合も現実が幸福感に溢れるものにはなりません。他人様を引きずりおろしたり、崇めすぎたり、と忙しいときは、自分の中心に戻ってくださいね。
自分は何をしたいのか。何が歓びなのか。何を使命としているのか。そこまで大げさじゃなくても、今日は何食べたい?どの温泉行く?誰と会う?みたいな、小さな幸せをかみしめて、感謝して過ごすこと。
自分をゆったりと生きる。自分に美味しいものを食べさせてあげる。自分に心地よいベッドを用意してあげる。自分に優しい言葉かけをしてあげる。自分を愛で満たす。どんなときも全肯定。
さあ、明日もオフの一日。午前中は、資料作成。午後は買い出しと仕込み。ひかりちゃんが持ってきてくれる「くるみとん」の豚肩ロースとひき肉、豚バラでいっぱい美味しいものを作りますよ。
母に美味しいものをたっくさん食べさせてもらったおかげさまで、こうして食の仕事もできるって、超しあわせ。
「食べる」「学ぶ」「読書する」「旅をする」「散歩する」「ドライブする」「温泉に入る」「教える」「書く」「人の話を聴く」というように、自分の好きなことを「動詞」で表現していくといいですよ。いつもいつも楽しくわくわくすることをしていきましょう。それでいいのだ。
いつもブログを読んでくださいまして、ありがとうございます。こうして毎日元気で、健康で(きみちゃん、どっこも悪くない。薬も飲んでないし。中宮彰子も健康で、長生きしているわ)、大好きなことだけをして、大好きなユタカ君がとなりにいて、娘たち、友人たちとも穏やかにつきあって、大幸福、大歓喜、大感謝。
では、皆さま、自分への愛を忘れないで、それもたっぷりと溢れるように愛してあげてくださいね。