きりしま月の舟

超一流のバカになれ!

2025.01.24更新


 今日は、比較的暖かい。金曜日というのは、観光客で賑やかな霧島地区でも、「こん曜日(人が来ない曜日)」と言われるくらい、なぜか人通りが少なくて、お客様が少ない日。月の舟カフェ近辺の飲食店も、金曜日をお休みにするところもちらほら。

 で、今日は金曜日。で、お手伝いの郁未さんとユタカ君と3人で、明日以降のランチの仕込みも済ませ、3人でお昼ごはんも食べて、久しぶりにいらした別荘地のお客様とお話もできたし、というところで、午後3時には閉店して、ユタカ君と散歩しました。

 気温が15度くらいはあって、暖かくて、最高の散歩日和。ここのところ、きみちゃん、朝起きることがつらくて、いつもの霧島小学校応援団として「かっこいいよ」と子どもたちに声かけする朝活ができていないこの一か月。

 今朝こそはと意気込んでいたものの、午前3時に目が覚めて、「あ、このままブログを書いていたら、朝活ができそう」と思ったのも束の間、そのまままた爆睡して、次に目が覚めたのが、午前7時10分。そのまま着替えて、出かけていれば、登校する小学生に「かっこいいよ」と声かけできたのですが、そのまままた寝て、ユタカ君とベッドでおしゃべり。

 「大丈夫、ちゃんと学校に行けてるし、きみちゃんは寝てていいんじゃない」とユタカ君が甘やかしてくれるので、きみちゃんもそのままベッドでグダグダ。

 最近、きみちゃんの願いは、「朝、ゆっくりと起きて、たっぷりと朝ごはんを食べて、時間に関係なく散歩して、ブログを書いたり、勉強したりしたいなあ」ってこと。その思いが叶っているみたいに、朝、ゆっくりと過ごせているかな。というか、朝早く起きれない。

 これまで一所懸命、仕事をしてきたのだもの。これからの人生、午前中くらいゆっくりしたいな。ということで、これから朝ゆっくりモードで生きていこうかな。

 昨夜、ドクタードルフィンこと松久正さんの『0と1 宇宙で最もシンプルで最もパワフルな法則』という本を読み終わりました。

 ドクタードルフィン先生は、きみちゃんがいま、最も敬愛するスピリチュアルな作家さん。ドクターなのですが、自分を88次元とおっしゃって、まあ、それはそれは独特な論理で、この宇宙の仕組みを教えてくださいます。

 スピリチュアル系の作家さんたちはみんな好きで、どの方もほぼ同じことを言っておいでなのですが、ドクタードルフィンの説明がきみちゃんには一番しっくりくるのです。

 つまり、わたしたちの人生の目的は「ほんとうの自分を生きる」こと。大木ゆきのさんが、それを「最高傑作」という言葉であらわし、大野百合子さんが「自分に優しくする」、また他の作家さんが潜在意識を書き換える、と言い、「大丈夫、わたしたちは親から愛されていることを思い出して」と大石洋子さんが言い、また、わたしたちは「神様」であることを思い出すように、というたくさんのスピ系の作家さんたちのおかげさまで、きみちゃん、自分のことを「女神きみちゃん」と公言してはばからないのですが、ドクタードルフィンの『究極のゼロ』理論は、すとんと腑に落ちました。

 「ture self」が「ゼロ」。「false self」が「1」。「ほんとうの自分」がゼロで、世の中の「善」に合わせて創られた自己が「1」。

これまで「自分はこうだ」と決めつけていたものを一つずつ外して、この宇宙の中では、物事を決めていくのはすべて自分であることに気づき、「これでいい」と、受け入れることができます。それが、「0」になること。「0」になると、宇宙の叡智と繋がり、宇宙のサポートによって、穏やかで幸福になるためには、こういう行動をしていけばいいのか、ということを即座に判断することができるようになります。これまで固定観念などで選ばされていたものではなく、自分の魂が望むことが、宇宙のサポートによって、良い方向へと実現していきます(120頁)

 宇宙には、「ゼロポイント」を中心に、右回りの螺旋エネルギーの宇宙と、左回りの螺旋エネルギーの宇宙があって、まったく反対の宇宙が同時に存在しています。つまり、ダメだと思うネガチィブな自分がいる宇宙の反対には、ポジチィブな自分が存在する宇宙があるのです。このネガチィブとポジチィブの自分が同時に存在している、ということがわかれば、さらに、「0」に戻って行きやすくなります(121頁)。

 さらに、ドクタードルフィンは、「0」になるために、「超一流のバカになれ」と言われます。いまの社会において、「いい人ね」「素晴らしい人ね」と認められている時点で、「0」に入ることはできない。「0」に入るためには、常識や固定観念から飛び出すことが大事、と解きます。

 さすがのきみちゃんも、「バカになる」しかも「超一流のバカになる」ことには自信がないな。「素晴らしい人ね」と言われる方に、心が傾きます。でもね、この本を読んだことで、なんか「超一流のバカ」の方にシフトできそうな気がしてきた。

 これまで、女神きみちゃんは自分でも「ほんとうの自分を生きること」が大事と、たくさんの人に解いてきましたが、「0と1」理論で、もっと大きな視野で、「ほんとうの自分」を捉えることができた気がします。

 つまり、ゼロポイントという宇宙視野に自分を置くことで、狭い範囲での脳で思考したような「1」の自分ではなくて、自分のことを「これでいいんだ」と穏やかな気持ちになり、宇宙におまかせで、宇宙のリードで、宇宙のお導きで、すいすいと楽に生きていける気がしてきました。

 いま、母が命の間際にいて、母のことを考えない日はありません。母に、誰よりも愛され、慈しまれ、誇りに思ってもらって、大事に育ててもらったというのに、きみちゃんの中では、母への恨みみたいなものが、燻っていて、「あらま」と思うことがしばしば。

 毎日、かあちゃん、ありがとう、と心の中で唱え、心底、そう思っているつもりだったのに、「あら、まだあったの?」というくらい、あれは言ってほしくなかったな、全肯定してほしかったな、と思う心が出てきて、いやはや、困ったぞ。

 でも、「0と1」理論からしたら、そうしたネガチィブな思考をもつ自分を許していけばいい、ってことになるんだよね。

 母は、料理が上手で、部屋も散らかったことがなく、完璧な主婦。だから、きみちゃんにもそうあってほしい、と願っていたようで、母が思うレベルはきみちゃんも達していて「合格」を貰っていたとは思います。いま、こうしてカフェができるのは、母のおかげだとこれは本当に感謝します。

 で、何が嫌だったかというと、「源氏物語はあんたより、かあちゃんの方がわかる」という発言が嫌だったな。だって、母は、源氏物語を読んだことさえなかったのに、苦労知らずのあんたに、文学がわかるわけないでしょ、というような発言が、ほんと嫌だった。自分の好きなことを夢中でやるきみちゃん、ユタカ君とラブラブでいるきみちゃんに嫉妬しているような母の発言が嫌だった。

 きみちゃんの個性を尊重しない、というように思えたし、よく「この貧乏人が」と言われたし、たしかに母はお金持ちで料理が上手で、完璧な主婦だったけど、きみちゃんの分野である文学に関しては、一目置いてほしかったな。

 たぶん、結構、きみちゃんのことを自慢してまわっていたとは思うのですが、いつも自分が一番じゃなきゃ嫌、というような発言は嫌だったな。

 先程、ユタカ君とふたり、ゆっくりと散歩しながら、「母親であること」の重さについて考えていて、「母親だからこそ、自分を認めてほしい」という気持ちはありだよね、それほど母親であることは重たいことなんだ、と思った次第。

 子どもからすると、母親は神様と同じくらいで、絶対的存在なんだよね。きみちゃんが子育てするときに、ちょうどフェミニズムの洗礼を受けて、「母性批判」みたいな理論に、きみちゃんは結構救われて、ダメな母親である自分を許してきたのですが、やはり、67歳という年齢、孫もたくさんできた年齢で、絶対的母性というものに、思いを致しているところ。母親の存在の重さを「怖い」というより、もっと「母親」であることを大事にしたいとね、という悟り。

 また一方で、人間は未熟だから、完璧な母親なんていないし、すべてを許していかなければならないのに、天才的ヒーラー&カウンセラーである女神きみちゃんでさえ、「母」という存在にまだまだ苦しめられているという事実は、どうなんだろう。

 結局、いま、きみちゃんが到達した悟りは、きみちゃんの文学的才能を認めていなかったのは、実母ではなく、きみちゃん自身という事実。

 とくに、源氏物語は、きみちゃんの本当の専門分野ではないので、どこかに、これでいいのか、という思いがあったんだろうな、と気づいた次第。

 だから、かあちゃんは悪くない。かあちゃんは、「0」で生きる人ではなくて、「1」で生きた人であって、本当に料理が好きだったんだろうか、と思うときがあったように、家族のため、自営業の会社のために、ひたすら料理してきてくれた母は、「0」という文学を愛するきみちゃんが個性的に生きることが真新しくて知らない世界、変な世界に生きていたから、いつだって「1」に戻そうとしていたんだな。「1」の人だから、「0」をわかるわけもなく、またそういう教えもわからず、きみちゃんは、愛されていたがゆえに、「0」で生きる自由を得ていたことに、深く深く感謝すべきなんだよね。

 で、2025年1月24日、きみちゃんは文学者として天才である、ということをここに公表します(笑)。母に深く感謝することができたと同時に、自分の天才ぶりを確認できました。

 言葉の人であると同時に、直感の人でもあるし、清濁併せのむことのできる人であるし、きみちゃんの女神ヒーリングは天才的で、たくさんの方のお役に立っています。

 文学講座、女神ヒーリング、こうしてブログを書くことも、楽に愉しくできて、「0」分野でできて、最高の「1」になれる分野なんだなあ。

 料理に関しては、母の教えが活きる「1」の分野かもしれません。天才的とは思うけれど、郁未さんの方が、きみちゃんより天才的だし、ユタカ君の方が、漬物、スイーツの分野では、天才だなあ、と今日もふたりを尊敬しながら、仕込みができる大幸福。

 でもね、こと文学と女神ヒーリングに関しては、きみちゃんは、最高に凄い。

 たとえば、源氏物語では、後藤祥子先生、久富木原玲先生、高野晴代先生と、本当に心から尊敬する凄い先生方と親しくお付き合いさせていただき、たくさんの学びを頂いてきて、そのうえで、やはり、きみちゃんにしかできない源氏物語の教え方、さらには、文学散歩の分野では右に出る者がないと思っていて、今回の京都文学散歩は、天才きみちゃんだからこその企画だと自負しています。

 女神ヒーリングに関しても、たくさんの天才ヒーラー女神様が身近においでになる中で、きみちゃんのカウンセリング&ヒーリングは、唯一無二のものであると自負しています。ほんと、この分野で他人様のお役に立てると自覚しています。

 文学、読書、ランチと連携しての女神ヒーリングは、きみちゃんならではのもの。天才だわあ(笑)。

 こうして、母のことを書いてきて、ようやく、魂から「かあちゃん、ありがとう」と言えるようになったかな。かあちゃんを誇りに思い、全肯定します。尊敬します。敬愛します。

 そして、自分自身をあらためて「天才」「完璧」「最高傑作」と思えました。

 母の愛に飢えている方が多い中、きみちゃんなんて、溢れるくらいの愛情を注いでもらったにもかかわらず、まだまだ母を全肯定していなかった自分に呆れます。でも、責めはしない。ようやく、母と和解ができた気がします。

 さらに、母である自分自身を深く尊敬します。きみちゃんは、良いお母さんだった、最高の母とはいかないまでも、一所懸命、娘たちを育ててきた。だから、孫育てに協力させてもらえることに感謝すると同時に、そろそろ「母」を卒業し、女神として生きることにせねば、とも思っています。

 女神きみちゃん、という「0」に戻ります。

 そして、先程、散歩の最中に、ユタカ君が言ってくれました。「きみちゃんを全肯定している男がここにいるって、覚えておいて」だって。もちろん、きみちゃんもユタカ君を全肯定して、大尊敬しています。

 女神きみちゃんと行く「京都文学散歩」、だいぶ予約が増えてきましたよ。京都御所でのご案内をいただく越智様、里沙様との連携もばっちりで、京都在住の娘のカフェでのお茶時間も確保して、「人たらし」の天才、女神きみちゃんの「0」本領大活躍。

 宇宙一の京都文学散歩になりますよ。ぜひご一緒いたしましょうね。まだまだ予約受付中。お早めにお申し込みくださいませ(090-7536-6672 mokka@po4.synapse.ne.jp)。日帰り参加、一泊二日、2泊三日と自由に選べます。なんと、6泊7日、ずっときみちゃんと行動をともにしてくださる方もおいでです。ありがたきかな。嬉しいです。

 世間に合わせる自分ではなく、自分の「0」を全開して、全肯定して、生きていきましょう。「ひとり」は孤独ではなく、宇宙と繋がりやすいってことですよ。

 さ、これから「ひとり」になるために、「0」に戻るために、温泉に行ってきます。

 いつもブログを読んでくださって、ありがとうございます。宇宙仲間として、皆様を愛し、尊敬しています。

 この激動の時代を、ともに生きてまいりましょう。楽に愉しんで。常識や思い込みを外してね。