きりしま月の舟

大隅半島、大好きだあ。

2021.11.29更新


 11月23日は、長田新太郎先生のヴァイオリンコンサート@きりしま月の舟を開催。めちゃめちゃ素敵でした。長田新太郎先生の魂を揺さぶるヴァイオリンの音色、ちあき先生の最高に優しいピアノ伴奏、ご参加の皆様の高い精神性のおかげさまで、素晴らしいコンサートになりました。

 長田先生は、トークもお上手で、それぞれの曲を解説しながら、ヴァイオリンの演奏をしてくださいました。

 最後の曲、チュゴイネルワイゼンを演奏されるときに、この曲は16歳で師匠に弾いてごらん、と言われ、「えい、やっ」と弾いたら、なかなかよくできた。だから、今日は16歳の自分に負けないように演奏します、と前置きされて、演奏されました。

 長田先生は、もう60歳を超えておいでです。16歳の自分に負けない、というのも驚きですが、あの難曲を16歳で「えい、やっと」弾けた、というところがびっくりでした。

 果たして、16歳のわたしに、「えい、やっ」と勢いでやれることがあっただろうか、とその夜、考え込みました。

 16歳のわたし。ボケた少女だったなあ。ボケボケでしたわ。でも、純粋で、かわいかったと思う。

 ふっと思い出したのが、文章を書くのは、いつも「えい、やっ」とできたなあ。読書感想文もいつも入賞していたし、作文はちっとも苦じゃなかった。今も、こうしてブログを書くのは、楽しくてしょうがないし、「えい、やっ」と勢いで書いています。

 大学院時代の論文書きほど苦しいものはなかったのですが、論文以外の文章を書くのは、本当に大好き。ま、論文を書くことは、わたしにとっては、ヒマラヤに登るようなもので、自分を鍛える良い機会ということで、あまり積極的にはやらないけれど、一年に一論文くらいは仕上げたい修練の時間。

 この世に、こうしてブログなるものがあって、本当に嬉しい。自己満足でもあるし、読者の皆様のお役に立てたらいいなあ、とも思うし、ま、これからも楽しく書いていきますので、どうぞ楽しく読んでくださいませ。 

 さて、紅葉が散り始め、霧島神宮本殿国宝ニュースも一段落して、霧島は少し落ち着きました。

 きりしま月の舟も11月25日までは、息つく間もないくらい忙しかったのですが、26日から28日までは、比較的ゆっくりでしたので、わたしの気持ちまでゆったりとなり、土曜日の夕方には、アロママッサージを受けて、身体が楽になりました。みきさん、いつも上手なマッサージ、ありがとうございます。

 昨日は、ユタカ君とふたり月の舟通信を作成して、今朝280通を郵送しました。ユタカ君の編集能力にはいつも脱帽です。彼は、通信の編集をしているとき、書籍の編集をしているときが一番イキイキしているみたい。

 11月がイベントいっぱいでしたので、12月は女神塾が中心になります。おかげさまで、女神塾、なかなか好評で、ご予約をたくさんいただいております。

 何かを伝える、教える、というのは、教えるその人が最も活性化するので、女神塾でもわたし自身がエネルギーが満タンとなり、愛と感謝の循環の輪が大きくなります。

 丁寧に、ゆっくりと、ゆったりと、女神塾を続けていきますので、皆様、気軽にお越しくださいね。いま、生きることが軽く、楽に、愉しくなる、大切で素敵な時間をともに過ごしましょうね。

 オンライン講座も充実させていきますね。カフェのランチが忙しく、動画のアップが滞っておりますが、明日、ふたつアップする予定です。お待たせしましたーーーー。

 そして、今日は、ユタカ君とふたり、大隅半島までドライブしました。目的はふたつあって、楠隼中学校を見学に行くこと。高山の野村伝四(夏目漱石の弟子)のお墓参りに行くこと。

 途中、末吉町でランチを頂きました。ちょうど昨日、月の舟にランチにいらしたお客様が、娘さんが末吉町でカフェをしている、と教えてくださったので、じゃあ、わたしたち、明日、末吉を通りますから、寄りますね、との会話を交わしたのでした。

 そこは、すえよし道の駅すぐ近くの「BASEカフェ」。日替わりランチもパスタランチも最高でした。お店の作りも、なかなか凝っていて、おしゃれ。

 きりしま月の舟でカフェをやるようになってからというもの、すべての飲食店にリスペクトの気持ちを持つようになり、どこも凄いなあ、と感心しきり。飲食業って、ほんと大変だし、逆に工夫次第で、めちゃめちゃ楽しいし、やりがいのある仕事ですし、こうしていろんな形での展開があるのも楽しいです。

 でも、わたしたちの場合は、やはり文学とは切り離せない。そこが原点ですからね。そこがまた誇りでもありますからね。文学とカフェ。なかなか相性がいいのです。さあ、がんばるぞ。きりしま月の舟を一億円企業にするぞ(笑)

 高山にある鹿児島県立楠隼中学校は、孫のお受験の参考に、と出かけましたが、とても良い雰囲気でした。全寮制の男子校ですけど、なんか明るい。受付でもとても丁寧に対応していただきました。

 まるでハリーポッターの世界みたいでしたよ。わたしは、中学生の頃、早く自立したくて、高校時代には、ひとりでマンション暮らしをしたりしていましたが、いまの時代なら、こんな風に全寮制に入学してもよかったなあ。そして、一日中本を読んだり、勉強したりできる空間に身を置けるなんて、とっても素敵だと思います。

 わたしは本当にお勉強が大好き。でも、男の子じゃなくて、女の子に生まれてよかった。出産も子育ても楽しかったし、これからも孫育てを愉しめるし。勉強と女性性は決して水と油ではないですからね。それを立証していきたい。

 次の目的は、楠隼中学からほど近いところにある高山の長能寺跡を訪ねて、野村伝四の墓参りをすること。

 10年以上前に、高山文学散歩を開催して、長能寺跡、道隆寺跡などの史跡を訪ねましたが、あれ以来かなあ。

 野村伝四は、この高山に生まれ、上京して、第一高等学校に在籍し、夏目漱石に愛された人でもありました。小説「三四郎」のモデル、とも言われています。

 ユタカ君が、来年からある文学企画に参加することになっていて、文学碑関連の仕事をします。今日はその下見でもあります。漱石に造詣の深いユタカ君にふさわしい仕事ができそうです。

 長能寺跡への道を歩いていたら、懐かしい家が目に入り、「竹之井」との表札がありましたので、急ではありましたけど、訪ねてみました。

 竹之井敏先生。96歳。高山の生き字引と言われる、女性の郷土史研究家です。高山文学散歩のときは、本当にお世話になって、あの御恩は忘れていません。

 10年前も颯爽としてお元気でしたが、今回も突然の訪問にも関わらず、わたしのことを覚えていてくださいました。足がお悪いようだし、耳も遠いようで、コミュニケーションに時間がかかりましたが、さすが、竹之井敏先生。ご立派です。

 ただ、96歳でのひとり暮らしは、大変でしょうねえ。わたしの母は92歳で、いま施設のお世話になっていますが、週3回の入浴があり、髪もきちんとセットしていただけるようですし、ありがたいなあ、と思います。

 コロナ禍でなかなか会えないし、先日も予約して面会に行ったのですが、入浴のあとで眠っている、とのことで、会うことはできませんした。コロナ禍でなければ、一緒に出掛けたり、散歩をしたり、できるのでしょうが。ただただ、穏やかに過ごしてほしいなあ、と思います。

 長能寺跡の野村伝四のお墓は、前と同じ場所にありました。竹之井先生の文章によるパネルもできていました。ここから先は、ユタカ君が近いうちに発表してくれるでしょうから、お楽しみに。

 高山を含む大隅半島は、平野が広がり、山並みが低くて、緑が濃い。島津氏が統一するまでは、肝付氏、根占氏などの豪族が高い文化を誇っていました。古墳群もいっぱいで、歴史の深いところです。

 霧島とは違った魅力がいっぱいのところで、わたしは大隅半島が大好きなんです。霧島に住むようになってから、大隅半島が近くなったのがとても嬉しい。これから、ユタカ君の取材に同行して、頻繁に大隅半島に出かけることにします。

 高山での最後は、道隆寺跡を訪ねました。日本初の禅寺。蘭渓道隆が関わったことから、道隆寺の名前があります。

 ここは、鹿児島市在住の作家・奈良迫ミチさんに教えていただきました。竹之井先生を紹介してくださったのも奈良迫さんです。

 高山は奈良迫さんの故郷でもあり、道隆寺に、奈良迫さんは鐘を寄贈されています。その鐘を撞いてきました。素敵な音がします。

 全体に、道隆寺跡は、とてもよく整備されて、五輪塔がいっぱい並べられ、まるで生きているかのようでした。紅葉、ツワなどが美しく植えられ、観音菩薩の像もあり、歌碑もあり、板碑の説明もあり、高山の歴史の深さ、竹之井先生をはじめとして、郷土史研究家の皆様の情熱を感じます。

 ちゃんと整備されているからか、若いカップルの方も、道隆寺跡を訪れておいででしたよ。霧島もがんばりたいもの。

 そうそう、孫の受験が終わったら、娘たち、孫たちと旅行しよう、との計画があり、長女がいろいろ仕切ってくれたのですが、さすが、仕事の早い長女、すぐに日程とホテルを確保してくれました。

 嬉しいなあ。楽しみだなあ。ありがたいなあ。ユタカ君とも仲良く、みんなと仲良く、愛と感謝に溢れて、生きていきます。

 さ、明日も楽しみますよ。皆様もよい一日をお過ごしくださいませ。