きりしま月の舟

ゆだねる力

2026.02.10更新


 霧島は冷え込みが続いています。霧島連山は積雪して、さらに美しい山並みを魅せてくれます。

 8日朝、我が家の庭にはうっすらと積雪がありましたが、車の通行には支障がなく、カフェもオープンしましたし、お客様にも来ていただけました。

 昨日は、鹿児島市内の源氏物語講座で、朝早く、ユタカ君と車で出かけましたが、むしろ、鹿児島市内の方が積雪があった感じで、寒かったですね。

 枕草子、源氏物語を同時に語るというのは、なかなか難しいけど、挑戦し甲斐のあるテーマで、きみちゃん、準備を頑張りました。受講生の皆様も張り切ってくださいました。集中力が凄い皆様、素晴らしいです。

 「あはれ」と「をかし」について、枕草子は「をかし」だけじゃないよ、源氏物語の六条御息所のキャラは、「もののけ」についてしっかりと深めないと、ただの嫉妬深い嫌な女という解釈だけになってしまう。

 幽霊と怨霊はちがいますよ、というところからはじめて、斎王制度のこと、伊勢神宮のこと、ヒメヒコ制の終焉のあとに、斎王制度ができて、天皇の娘さんだの妹さんだのが伊勢神宮に最高巫女としていくことになった、斎院は賀茂神社系、ということとか、源氏物語を読むための大切な情報を、たったの2時間でしゃべったきみちゃんって、偉い。

 特にヒメヒコ制については、今のきみちゃんのありようとつながっているので、力が入ります。

 大雑把に言うと、卑弥呼の時代を考えていけば、卑弥呼のような霊能力のある女性(ヒメ)が宇宙からのメッセージを受け取り、それを男性の政治家(ヒコ)が現実に落とし込んでいく、という政治のあり方がヒメヒコ制。

 霊能力のあるヒメが伊勢のような都から遠い地におしやられ、ヒコから遠ざけられ、いわゆる霊能力を扱う巫女が政治の根幹であったところを、男性だけの権力と陰謀の政治に切り替わった平安時代のあり方へ、紫式部も清少納言も切り込んでいっているんだなあ。女性がヒメでありえた最後の時代だったかも。

 伊勢の斎宮制度は、もう平安時代後期にあっては、経費もかかるし、恋愛禁止というのがやはりネックだし、皇女様たちは行きたがらないし、行ってもやることなくて退屈だし、ってことで、もはや「そろそろ終わりにしましょうか」的な雰囲気があったようです。

 だから、霊能力を持つヒメを遠くに押しやるという文化のあり方が間違えていたわけで、そこから長い間、権力と陰謀が渦巻く政治中心の世の中になり、ようやく令和の時代になって、男性性と女性性の融合による政治、文化の在り方が整ってきて、またヒメヒコ的な在り方が尊ばれる時代になったというか。

 きみちゃん的には、そうなったらいいなあ。きみちゃんとユタカ君の関係は、ヒメヒコ制なので、本当に人間の本来の在り方に寄り添った夫婦関係、力関係であるように思います。

 これはまた、個人的な意見だし、きみちゃんは自分のところしかサンプルがないので、日本全体、地球全体、人類全体にあてはめることはできないのですが、ともあれ、きみちゃん的にはヒメヒコ制がいちばんしっくりときますね。夫婦関係でも政治でも、会社経営でも。

 つまり、女性が中心である方がうまくいく。厳密にいえば、女性性優位でいく方がうまくいく。男性性的な知性よりも直観を大事にする方がうまくいく。そう思っています。

 うまくいく、というのは、循環する、ってことですね。人間関係に詰まりがない、ってことです。闇をあばかない、ってことじゃない。

 女性性とは「受け取る」、男性性とは「与える」。心開いて、宇宙からのメッセージを受け取る。直観を信じる。流れに乗る。抵抗しない。素直になる。

 宇宙を信頼して、ゆだねる。ほほお、もう丸投げーーーーー、みたいな感じが、直観を信じることでもあるし、自我を手放すことでもあるし、最大に心開く瞬間であるように思います。

 ついでに言えば、平安時代の憑依の在り方は、陰陽師が祈祷をして、憑坐(よりまし)と呼ばれる人(多くが女童)に霊が取り付いて、その霊の言葉を発する、というものですが、その憑坐の言葉は、つまりは、憑りつかれる人の闇の思いである、という解釈ができると思います。

 六条御息所の生霊を観た光源氏は、六条御息所に対して心の呵責があるから、その幻影を見るし、六条御息所も、知的で非の打ちどころのない女性のなかに潜む嫉妬心や劣等感が、憑坐の言葉となって現れる、ということなのですね。

 以前、このブログで書いた光の子と闇の子のことで、闇はみんなにあって、それを排除したり、見ないふりをして、光だけが自分だと思うのではなく、闇を抱きしめて、それもまた自分である、と認めたときに光がさらに大きくなる、というありようが、もののけ解釈にも役に立つかも。

 よく今でも「わたし呪われていますか?」みたいな質問をする方がありますけれど、それって、自分のなかの闇を見ないで、他人のせいにしているというか、やはり、現実って、その人の意識の反映なんですね。

 さて、きみちゃんは女社長と専業主婦を両方やってきた、と言いますが、やはり、かなりテンション高く生きてきたのに、女社長業も専業主婦も中途半端だなあ、と思えて、まだまだ文学者としても、経営者としても、女神稼業も磨きをかけ続けて行きたい、と張り切っています。

 今日は、オフでゆっくりな日でしたが、とっても嬉しいことがありました。それは、恩師の後藤祥子先生から、きみちゃんの著書のご感想が送ってきたのです。はがきにびっしりとこんな風に書いてありました。

「とにかく凄い迫力でした。鹿児島の土地から生まれた文学の掘り起こしという初志を突き抜けて、日本近代女性の自立の問題を令和の日本につきつけたと言ったらよいか。機会均等法だの何だの、ここ数十年の世界(西欧)の後退した女権問題に一体どれだけ実があったかを問われているみたい。そして何より明治初期の身分意識の掘り起こしや、その土地ならではの特異な価値意識、言葉の微妙な違い、貴方らしい丹念な聞き取りや資料探しもさることながら、歯切れの良い文体にも魅せられ、いつもの女神様とは違う厳しい研究者の側面をじっくり堪能しました。」

 いやあ、嬉しかったなあ。さすが後藤祥子先生。後藤祥子先生は、平安文学の研究者であり、きみちゃんは大学時代は近代文学を専攻していたので、ゼミ生ではなかったのですが、いつも「あなたのレポート、おもしろかったわ」と言ってくださり、2014年に鹿児島市で開催した「五感で愉しむ源氏物語」の大イベントにも登壇してくださり、大恩人なのです。

 そんな大恩人の大恩師の先生に、こんなに褒めていただけて、きみちゃんはなんて幸せなんでしょう。

 きみちゃん、自分の教え子や後輩に、こんな風に褒めているかしら?いやあ、まだまだよね、的な批評ばかりして、こんなに手放しで宇宙的な母性で褒めてきたかしら?

 後藤祥子先生のように、わたしも学生や後輩をとことん褒めるようにして、そのためにはまだまだ新しい勉強を怠らないこと。

 いやあ、ほんと、嬉しかった。先日の多田先生(元鹿児島大学の先生)のメッセージもすっごく嬉しかったし、きみちゃん、いま、もっと文学をやりなさい、と言われているみたい。昨日の源氏クラスの生徒さんたちも、「先生の講義は、ほんと素晴らしい」と言ってくださるし。

 さあ、生きる気力が湧いてきましたよ。がんばれ、きみちゃん。

 女神ヒーリングも、ありがたいことにたくさんの方が受講してくださっていますし、皆様、生命力を取り戻されて、きみちゃんも嬉しいです。

 抵抗しない。疑わない。ケチらない。お金はまず先に出す。宇宙の流れに抵抗しているから、現実が動かないのです。その抵抗波動を手放しましょう。

 きみちゃん、思いついたことは全部やる、といういつもの生き方で、だめなものはほぼないですね。思いついたことはとにかく提案してみる。だめだったら、そうですか、と引き下がる。やっぱりもう一度、提案してみよう、と思ったら、またやってみる。

 そのときに、このきみちゃんでさえも、「なんか変に思われないかな」「関係が悪くなったらどうしよう」と思う瞬間がありますよ。でもね、そのときはそのとき。関係が悪くなったら、それだけのこと。すべて大丈夫だし、宇宙(神様)は全肯定しかしませんしね。

 闇の気持ちに気が付いたら、それは大成功ってこと。ふーーん、わたしって、こんなこと考えてたんだ、と優しく見守ってあげればいいし。それだけで、闇の気持ちは手放せていますしね。

 さあ、自分を全肯定して、毎日を生きていきましょ。だって、自分が全肯定してあげないと、誰がしてあげるんでしょ。宇宙(神様)とつながっていたら、いつだって全肯定ですしね。

 いつもブログを読んでくださいまして、大感謝です。3月20日は、きみちゃんの本の出版記念会。午後2時からを予定しています。面白いことを企画しておりますので、ぜひ気軽にお立ち寄りくださいませ。

 ランチときみちゃんの本がついて参加費は3,300円。当日、お支払いくださいませ。ご参加希望の方は、メールやお電話、メッセンジャーなどでお知らせくださいましたら、嬉しいです(090-7536-6672 mokka@po4.synapse.ne.jp

 新しいキッチンもどんどん出来上がっています。これから大きなシンクの移動があったりで、大工事になりますので、月の舟カフェは2月いっぱい予約のみの対応になります。どうぞよろしくお願いいたします。

 女神ヒーリングは常時受け付けておりますので、女神ヒーリングのバナーから、いつでもご予約くださいませ。折り返しご返信いたします。

 抵抗しないで、心開いて、宇宙にゆだねて、全肯定して、どんどんチャレンジしていきましょう。