闇を捨てる
2021.08.17更新
昨日は、わたしの64回目の誕生日。次女のところで、孫たちの企画による誕生会をしてもらいました。嬉しく、温かく、最高の誕生日でした。
たくさんの方からお祝いメッセージをいただきました。ありがたすぎます。本当に皆様、心から感謝です。そんななか、「きみこ先生、生まれてきてくださって、ありがとうございます」という言葉にぐっときて、うるうるなきみこです。
生まれてきてありがとう、とは、自分の子どもたちや孫たちには言っていますけれど、自分に言われたことはないなあ。
最愛のユタカ君と出会ってよかった、とお互いに言い合ってはいますし、愛を確認していますけれど、「生まれてきてありがとう」と、ユタカ君と言い合ってはいないな。
母に「生んでくれて、ありがとう」と還暦祝いの席で言いたかったけれど、母の最悪の反応が怖くて、公の席で言えませんでした。それに、わたし自身も母にその言葉を心の底から言える気持ちにはなっていなかったので、あのときは、言わなくてよかったんだなあ、と今、思います。
わたしの母は、小さい時から、実に丁寧に誕生日祝いをしてくれました。わたしの友達を呼んで、お食事会、というのが定番でしたね。台風の時期なので、大雨になることも多く、小学生の頃の誕生祝は、大雨の記憶とともにあります。
小学4年生のときだったかな、同級生の池元ひとみちゃんが、台風のなかを傘をさして、わたしの誕生日に来てくれたことを今でも覚えています。
母は、ご馳走を準備してくれていました。ひとみちゃんとふたりで、楽しく美味しく食べたことを昨日のように思い出します。隣りの美千代ちゃんも来てくれたっけかな。美千代ちゃんは毎年、お互いの誕生日を開催していましたからね。
母は、良妻賢母の鏡。教科書に出てくるような人です。あまり身体が丈夫ではなかったわたしを、夜中に病院に連れて行ってくれたり、肝臓が悪くて、給食が食べられないわたしに、おかゆをお昼に学校まで届けてくれたり、まあ、細やかに世話をしてくれました。
その母が、わたしのファッションにだけは厳しく、こちらが頭がおかしくなるくらいに責めてくるのが、本当に嫌でしたね。優等生の母は、スタイルの悪いわたしを気に病んで、派手なわたしも嫌って、ファッションにうるさいのなんの。今でもそうです。
まあ、精神病にもならず、こうして元気に暮らしているのは、たぶん、わたしの鈍感力のおかげなんだろうなあ。母の期待に応える、というよりも、自分のやりたい放題生きてきたことが、何よりもよかった。
その母が、さすがにひとり暮らしは厳しくなって、先日、きょうだいで集まり、母のことで話し合いました。何とか連携が取れて、その流れであれば、たぶん、うまくいく、というところまできました。けんかすることもなく、だれかを責めることもなく、冷静にことが進められて、本当に良かった。
母の終末期につきあうにあたって、小さい時に母にしてもらったことが走馬灯のように蘇ります。ファッションに関してうるさかったのも、そうでなければ、わたしはあまりおしゃれに関心のない生活を送ったかもしれません。そのきっかけを作ってくれたんだなあ、と今では感謝の気持ちでいっぱいです。
父も、すでに10年前に亡くなっていますが、毎日のように怒鳴り散らし、唾を吐き散らすような野蛮な人でしたけれど、今になって思えば、粗暴な男性を見ても、あまり動揺しないわたしができあがって、それも父のおかげだなあ、と感謝の気持ちでいっぱいです。
ここのところ、波動をあげて、魂の成長を願っているわたしは、愛と感謝に包まれて生きることを心掛けています。
批判、非難の全捨て。批判したくなったり、皮肉なことを言いたくなったら、そんな自分をストップしたり、許したりしています。許すことで、すべてがスムースに行きますしね。
次女のところに来たのも、中学受験に挑戦する孫のルイ君の応援です。5月末はユタカ君が応援団長でしたが、この夏後半はわたしが応援団長です。
主に栄養担当ですが、働く母親のかわりに、一日そばにいて、ご飯を作ったり、お掃除したりしています。なんと今日から、学習塾がズーム授業となり、そのサポートもします。といっても、ルイ君のほうが詳しかったりしますけどね。
わたしは、中学受験はしたほうがいい、と思っています。算数や国語の基礎力がつくからです。わたしの3人の娘たちも中学受験をしました。それが今の娘たちの活躍に大きく役立っている、と断言できます。
ときに、反知性主義というのか、お勉強なんかしなくていい、という考えの元優等生がおいでですが、大きな勘違いだと思うのです。
勉強は絶対にしたほうがいい。なぜなら、そのほうが気持ちよく、楽に生きていけるからです。抑圧的、支配的、攻撃的な勉強は、勉強ではありませんからね。
基礎学力がないままだと、学歴とかそんなレベルではなく、生きることに不安が生じ、自分軸が持てずに、ふらふらとさまようような生き方しかできなくなるのです。
学ぶことほど楽しいことはない。そうわたしは常々言っています。自分の興味や好奇心を広くもち、それをまた深めていく。
わたし自身が、それを実践して、最高にしあわせな人生を送っています。
受験勉強するルイ君の横で、わたしもこうしてブログを書き、授業準備をし、オンライン講座の準備をします。まだまだ学び続け、教え続けていますよ。
先日、ご近所の方に言われました。「みたけさんって、お忙しいですよね」と。
「そうなんです。わたし、小学生のときから、暇、ってことは一度もなかったですね。何かしらに挑戦してたかな。うまくいかないものもあったし、ずっと続けていることもあるし。ピアノなんて、ちっとも上手にならないけど、ピアノはわたしの人生の必需品ですしね」
というようなお話をしました。わたしは、まだまだ水泳も習いたいし、日本舞踊、クラッシックバレエなども週3回ペースくらいでやりたいのですが、その隙間時間がまだ見つからないまま。そのうちに時間を捻出しますよ。英語も習いたい。
たぶん、わたしより、このブログの読者の方々のほうがお金持ちだと思います。わたしって、所持金5万円でも、家を建てようとするやくざなお姉さんですからね(笑)。お金があって、暇だから、お稽古ごとをするのではなく、より豊かに生きるために充実した時間を過ごしたい、と思っています。
8月14日は、有川真由美トークショーを開催しました。大雨、お盆、鹿児島県独自の緊急事態宣言の発令などで、キャンセルが相次ぎましたが、静かに開催しました。
おそらく本気で自分の成長を願って、こうしてきりしま月の舟まで足を運んでくださる皆様に、わたしも本気でこたえようと、気合いを入れなおしました。
有川真由美さんのトークのすばらしさ、柔らかさ、気品の高さはもちろんのこと、参加者の皆様の熱心さに圧倒されました。
人生を切り拓いていきたい、そんな思いが充満していました。こんなに素敵なイベントができて、心から感謝だなあ、と深く思いました。
また9月11日もブックカフェ@有川真由美を開催します。すでにたくさんのお申し込みがあります。感染予防に気を付けて、しっかりと開催します。
10月からは、木曜日に源氏物語、日曜日に女神カフェを定期的に入れていきます。わたし自身がとっても楽しみです。11月23日は、素晴らしいバイオリンコンサートも開催予定。詳細はまたお知らせしますね。
コロナの重圧と、文化の灯を守る、学びを継続する、という思いの対立ではなくて、自分の本当の想いをもっと強化していく訓練の時。
闇の気持ち、羞恥心、罪悪感、不安、恐れ、そんなものを全捨てして、身軽になって、空を駆け巡りましょう。捨てられないものは、受け入れ、許し、愛する。
きりしま月の舟は、ユタカ君ががんばってくれています。わたしはしばらく孫の応援団長をしますが、どうぞ、皆様、きりしま月の舟にもお立ち寄りくださいませ。ユタカ君ひとりなので、ご予約などご連絡いただければ、ありがたいです。
さ、これから、散歩がてら、ルイ君とランチして、買い物してきます。昨夜は、ルイ君もれなちゃんもわたしが来たことをとっても歓んでくれて、わたしも嬉しかった。
最高に応援してきますね。コロナ禍、しっかりと乗り切ってまいりましょう。