学ぶ力は生きる力
2022.10.06更新
コスモスが咲き始めました。同時に、桜の花まで狂い咲き。無花果の実が、今年はいっぱいついたのに、まだ色付かない。もう少し日光が必要なのかな?
庭のことはすべてユタカ君におまかせで、草一本も取らないわたしですが、毎朝、起きたらすぐに開けるカーテンの向こうに、内庭の樹々が静かに佇んでいるのを観るのは、至福のひととき。
朝日の昇り始めるころの我が家の庭は、ひっそりとして静かで、神の宿る空間みたいに思えます。こんな世界をわたしはいままで見たことがなかった。こんなに静かで平和で力強い世界。
全く風がなく、植物もまだ眠っているのかい?というくらい活動する前の状態みたい。とっても新鮮な世界。澱みがなく、クリアな世界。
いまのわたしの心情を映しているかな。
ここしばらくショックなことがあって、いろいろ考え込んでもおりましたし、毎日が忙しくて、特に10月4日から鹿児島県立短大の鹿児島学講義が始まったので、さらに忙しい毎日。
ショックなことと言っても、わたしが誰かに悪さをされたわけでもないし、わたしが人に意地悪したわけでもないのですが、この世の中にこういう方があるんだなあ、というびっくり感。
専門家の方にいろいろと伺ったり、話を聴いてもらったり、本を読み漁ったり、ユタカ君と話をしたりするなかで、ひとつの解決への道が見えてはきますが、わたしたちは他人様の人生を救うこともできなければ、「正しい道」に導くこともできないんだなあ、という無力感と同時に、人間界の真実みたいなものに突き当たって、また一歩成長した感じがします。
わたしには読書という強い味方があるおかげで、行き詰ったときに、ふっとそこに本が現れ、「これ、読みなさい」というシンクロニシティが起こるのですよね。
今回は、わたしの机の後ろに置いてある文庫本の本棚で「義経記」を探していたら、内田樹さんの「下流志向」という文庫本が目に入り、「お、これこれ」と読み始めたのでした。
この本の副題は「学ばない子どもたち、働かない若者たち」。わたしのショックというのは、あまりにも学力の低い若者に出会ったからなのです。一桁の引き算ができない。わたしだって、すぐに暗算ができなかったりして、数字に強いユタカ君にバカにされますけど、そのレベルではなくて、10-8の答えが出ない、というレベル。
8月末に京都で孫のれなちゃん(小学一年生)のお勉強を見てあげていたときの算数のレベルができない20代がいる。きみちゃんは、あまり何事にも動じないタイプだし、人を学歴で判断したりとか、偏見が強い方ではないと信じていたけれど、わたしの想定外の学力のなさ、というものに直面して、ちょっとめまいがしている、って感じ。
そして学力とか、その人の個性にあわせた生き方が全くできていない、激流の中を泳げない人が流されていくのを見るような、そして、自分には何ができるのか、とおろおろする感じ。
内田樹さんの「下流志向」は、「学びからの逃走」「労働からの逃走」についての考察。自分の本棚にはあるけど、しっかりと読んでいなかったな。佐藤勝さんの「学びからの逃走」という指摘、フロムの「自由からの逃走」もわたしの視野にありましたけど、今回は、10-8ができない若者を目の前にして、これからの日本、というものを考えたのでした。
いやいや、みたけさん、計算なんかできなくったってね、計算機もあるしね、あるいは会計なんかしなくたっていいしね、というお方もおありでしょう。でもね、計算機を扱えないレベルでもあるし、自分ができないことがあるときに、さらにパニックになる、という方が目の前にいて、わたしに何ができるか、あるいはしなくていいのか、どういう態度で接していったらいいんだろ、ということがわたしの前に課題としてデーンと居座っているのです。
10-8ができない、ということを自覚できない。それが仕事とかコミュニュケーションに影響を及ぼしているとは思えない。そのことにびっくりしています。内田樹さんの本もそのことを指摘しておられます。
5年ほど前でしたか、大学の先生から、自分の名前を漢字で書けない学生がいる、と伺ったときに、「ふえええええーーーーーー」と驚いたのでしたが、いま10-8ができない若者を目の前にして、ほほお、あれは聞き間違いではなかったんだな、と思えます。
そして、内田樹さんのおっしゃるように「自分の知らないこと」は「存在しない」ことにしている、という論に、深く納得します。
この本は、2007年に出たものですから、今はまた「学ばない子どもたち」「学びからの逃走」とかの概念がさらに深まって、よりよい研究がなされているでしょう。内田樹さんの最後の一言をここであげてみたいと思います。
学ぶことの意味を知らない人間は、労働することの意味もわからない。
ほんとそうですよね。月の舟自由大学の掲げるテーマも「学び続ける」ですし、我が意を得たり、という思いです。
学ぶ力が働く力。今日のブログのタイトルも、「学ぶ力が生きる力」としました。
わたし自身、学ぶことが小さい時から大好きだったし、今でも大好きです。学ぶことと、働くことはほとんど同じで、働くことも大好きなんです。だから、死ぬまで学び、死ぬまで働きたい。
わたしの母は、「本が好き」って言わないように、とか、働かなくていい、あなたはお嬢様なのだから、とよく言っていましたけど、いま、学び続け、働き続けているなかで、心から、魂から「幸せだなあ」と思います。
それに、わたしの周りには「学び」が大好きな方々ばかりで、うちのユタカ君もそうですし、昨日の鹿児島市内での月の舟の受講生の皆様も、本当に熱心。感動するくらい皆様、素晴らしい学び手なんです。
今日も、きりしま月の舟で源氏物語講座でしたけど、それはそれは皆様、熱心で、誠実で、学びを深めておいでで、講義のあとのランチも皆様で召し上がってくださって、和気藹々、素晴らしい時間を過ごしてくださいました。
そのおかげさまで、わたしもユタカ君もまた幸福度が宇宙一になるのです。大感謝なのです。
さらに、10月4日の鹿児島県立短大の鹿児島学の講義も、学生さんたち130人、県立短大で一番大きな教室に後ろの席までびっしりの学生さん、皆様、静かに、深くわたしの講義ガイダンスに聴き入ってくれました。
ありがたいこと限りなし。大好きだなあ。若者たち。鹿児島県立短大の若者たちの素晴らしいこと。わたしもパワポを駆使して、話すことを吟味して、「ひとつの生命体としてのかごしま」を深くとらえていく楽しさについてお話しました。
内田樹さんと同じように、わたしは学生さんたちを「人材」とは捉えていないし、やはり同じ人間、魂の家族として、ともに学びを深めていきたい、と思っています。
もちろん「10-8」ができないからと言って、魂の家族ではない、と言うようなきみちゃんではありません。ただ、そういう方に出会ったのは始めてだったので、びっくりしましたけど、身近においでのカウンセラー川口史歩さんに、2022年現在の現場の状況をいろいろと教えを頂いて、かなり理解が進んできました。やはり、学びって、すごいですね。
来る10月16日(日)午前10時から13時まで、川口史歩さんを女神塾の特別ゲストとしてお招きして、「しあわせに生きるために~ありのままの自分を受け入れる~」というお話をしていただきます。
どなたでも参加できますので、ぜひ皆様も奮ってご参加くださいませ。ランチ付きで3千円です。当日、お支払いくださいませ。
学ぶ力は生きる力。さらに実感しています。
みんな価値がある。得意なことがある。できることがある。できないことだらけでも大丈夫。
やはり、「教える」ということが「学ぶ」ことをより充実させていきますね。わたしの愛の循環は、学び、教える、ここにあります。
世界一の文学作品「源氏物語」をぜひご一緒に学びましょう。オンライン講座も数が増えてきましたので、きちんと整理整頓していきます。12月からは、「光る君へ」プロジェクトが始まります。ぜひ、オンライン講座から年間購読をされて、受講してくださいね。
お待ちしています。一緒に学びましょう。
今日も素敵な一日でした。明日も、ユタカ君の万葉集、あさっては古事記講座と続きます。リアルでもオンラインでもぜひ、ご一緒に学び続けましょう。
学ぶ力は生きる力。魂の奥深くで「気づき」、「学ぶ」。
いつもご愛読、ありがとうございます。