天寿を全うする
2022.06.09更新
昨日2022年6月8日、夫・ユタカ君の母・三嶽福子さんが、数え年100歳で天寿を全うしました。満99歳。3月15日に誕生日を迎えたばかり。
6月6日の結婚記念日に、夕方、ユタカ君とふたりで焼き鳥屋さんにお祝いの宴を張りに出かけ、焼き鳥屋さんじゃなくて、居酒屋さんだった「ひょうたん」さんで、ふたりして、タコの刺身なんかを美味しく食している最中に、電話が入りました。
ユタカ君のお兄様から「福子さんの血圧がさがっている」との連絡。いよいよ、とふたり気を引き締めながらも、そのまま宴を続行し、2軒目のイングリッシュパブで、先に飲んでいらした出張中の青年と仲良くなり、彼の妹さんも、わたしと同じイギリスのブライトンという町に留学していた、ということで、大盛り上がり。
ユタカ君は、運転を買ってでてくれたので、ひとり、ウーロン茶で盛り上がっています(笑)。わたしはこれまであまり好きじゃなかったビールが最近好きになって、ビール2杯目。どちらかというと、日本酒やワインが好きなんだけど、ビールなら、あまり銘柄を気にせずに飲めますしね。
霧島の我が家から車で30分ほどの霧島市の中心街・国分。山形屋デパートもあるし、居酒屋さんもいっぱいあって、かつて天文館の隅々まで知り尽くし、飲み尽くしていた呑ん兵衛・三嶽夫妻の好奇心をしっかりと受け止める素地が国分地区にもあるなあ、と感慨深い夜でした。
ユタカ君は常々クールなので、人にまかせることは任せる。俺にやらせろ、というところはあまりないですね。だから、三男でもあるし、実家から遠いところに住んでいるし、ということで、お兄様、お姉様に福子さんのことはしっかりとお願いして、あまり口出しをしない。こういうスタンスの取り方、ユタカ君はうまいなあ、と思います。
義母は、腰が悪かったので、長いこと施設のお世話になっていました。コロナ禍の前までは、年に一度、福子さんに会いに行っていましたが、そのたびに、嫁であるわたしのことを「あんた、だれ」になって、だんだん目を閉じたまま、ベッドで流動食を食べるようになり、最近はコロナ禍で神奈川あたりに出向くことができなかったので、顔を拝むこともありませんでした。
5年ほど前でしょうか、ユタカ君とふたり福子さんの施設を訪ねたときに、ユタカ君が義母の好きな「旅の夜風」を歌ってあげたら、とっても嬉しそうでした。ユタカ君は、「旅の夜風」を歌ってあげたことで、自分の親孝行の仕上げ、と思っていたようです。
西城八十うた散歩を2019年に、鹿児島市のサンエールで開催したとき、又吉秀和・のぞみ兄妹に「旅の夜風」を歌ってもらいました。その映像を月の舟自由大学のYouTube動画にアップしておりますので、どうぞ視聴されてくださいませ。
西城八十という天才詩人の歌を皆様に披露するという以上に、ユタカ君にとっては、母との思い出の「旅の夜風」だったようです。
福子さんは、明るく裏表のない、とても天然な女性でした。大好きでしたね。ユタカ君はお父様とお母様の良いところだけを受け継いだような人で、ユタカ君の良いところはお母さんの良いところ、みたいな感じでした。
わたし自身も、なかなか良い嫁だった、と自負しています(笑)。だって、結婚はしないだろう、とご近所の噂だったユタカ君と結婚してあげたのですからね(笑)。それに、お父様もお母様も、わたしのことをとってもかわいがってくださいました。
わたしが子育てをしながら、大学院に通っていたころ、神奈川県秦野市のユタカ君の実家にまだ小さい娘たちを預けて、目白の大学まで通って、授業を受けていました。お父様、お母様、お姉様たちにいっぱいお力をいただき、深く魂から感謝しています。
福子さんとの一番の思い出は、秦野の実家で、子どもとともに寝泊りしているとき、一緒に洗濯物を干していたときのこと。福子さんから質問されました。
「きみこは、鶏肉を何にする?」と福子さん。
「から揚げにしたり、煮物にしたり、チキンライスの具にしたり、グラタンにしたり、いろいろですね」と答えたわたしに、福子さんの一言。
「おらあ、から揚げだな」
ほほお、鶏肉をから揚げにしかしない料理ってあるんだ、と感動した覚えがあります(笑)。
以来、わたしとユタカ君の間では、「おらあ、〇〇だな」という合言葉が流行し、自分の信念を貫く言葉として定着しました。
「福子語録」というべきお母さんならではの言葉がいっぱいで、うまくいかなかったときは、「雨が降ったと思えや良いよ」というのが口癖でしたね。ネガティブな感情のオーラがなかったなあ。
ユタカ君の実家では、ちょっと東北弁みたいな訛りがあって、義母はいつも「おらあ」と自分のことを言っておいででした。でも、その言葉がよく似合っていて、何の違和感もなかったですね。
いわゆる嫁姑の確執なんてなかったな。娘たちに言わせると、わたしはユタカ君の実家に行くと、声が一オクターブ高くなり、息を吸った状態で言葉を発していたそうな。つまり、緊張しつつしゃべっていたそうで、自分では全く気が付かなかったところを、娘たちはちゃんと観察しているのですね。
わたしの場合、実母との確執の方が濃かったので、嫁としての緊張よりも、娘としての緊張感が高かったから、福子さんのことは大好きでしたね。
ほんと、ユタカ君の大らかな無欲な姿勢は、福子さん譲りだと思います。
それにしても、100歳まで生きるって、凄いなあ、と感動の中にいます。
今日6月9日から14日まで、月の舟自由大学の講座はすべて休講にし、お休みして、お通夜、お葬式に出かける旨をHPにもアップし、また常連さんには電話でお知らせしたところですが、皆様、とっても優しいお言葉をかけてくださいます。「悲しみのなかにおいででしょう。お疲れが出ませんように」と皆様、お声かけくださいます。感謝、感謝、大感謝です。
さすがに、昨日のユタカ君は、ちょっと変だった。ひまわりクラスの講義中に、亡くなった旨の電話があり、講義が終わって、駐車場を出ようとしたら、駐車券がこれじゃない、と言って、やたら、自分のかばんをひっくり返しているのですが、結局、ユタカ君が手にしている駐車券で良かったりして。動揺してるな、ダーリン。
「いや、おれは冷静だよ」と言っている割には、いつものように冷静じゃなかったな。当たり前ですけどね。
それでも、天寿を全うする、ってことは、周りに安心感を与えますね。悲しみではなく、安心。きちんと生きられてよかったね、という安心感。いっぱい付き合えたね、という安心感。
人生100年時代。やはり、100歳を生きることは大事です。健康で、明るく、自分らしく生きることが大事です。
福子さん、ユタカ君を生んでくださって、ありがとうございます。そして、こんなに素敵な男性に育ててくださって、ありがとうございます。いつも明るくチャーミングで天然なお母さんが大好きです。これからも、わたしたちユタカ一家を見守ってくださいね。
確かに母親を喪うことは大きなダメージですが、ユタカ君にはわたしがいますからね。ご安心くださいね。あなたの息子をもっともっと幸せにしますよ。
ということで、6月9日から6月15日まで「きりしま月の舟」はお休みです。14日に帰ってきて、15日は鹿児島大学のゲスト講師、午後はひまわりクラスの講義。16日から19日までノンストップのぎっしりスケジュールですが、楽しく乗り切りますので、どうぞ皆様、きりしま月の舟に遊びにお越しくださいませ。
いま、ランチの仕込み用の食材を冷凍したり、50℃洗いしたりして、次に備えています。一週間お休みにしても大丈夫なように、カフェ部門も廻りはじめましたね。よくがんばってる、きみちゃん。いいぞお、きみちゃん。カフェ経営は、なかなか大変ですが、よくやってるね。いつも美味しいランチを皆様に提供できて、偉いね。
そうそう、福子さんはおかたづけの天才で、あのこんまりさん並みの片付け力でした。いつもお掃除が行き届いた、整理整頓が行き届いたユタカ君の実家でした。
その福子さんが、わたしたち夫婦の新婚アパートにいらして、「よく整理整頓されてる」と太鼓判を押してくださったっけなあ。そのことを思い出しました。
なんと2DKのアパートに、本棚が8個ありましたしね。押入れの整理も、褒めていただけました。ほんとは、整理整頓が上手なんだな、わたし。
6月20日から30日までを書棚の整理、資料の整理に充てようと、張り切っておりましたが、わたしはその間に京都へ5日間、孫支援に出かけますので、資料の整理はどうなるんだろ。だって、あと二日は鹿児島大学の講義と、日置市の公民館講座の講師の仕事が入っているしね。動画も撮るしね。あ、片付ける暇、ないわ(笑)
人生の半分が、整理整頓の時間で費やされる、とは、最近の実感です。ま、そのうちにぼちぼち、やりましょ。
やはり、孫支援が今は優先事項。今回のユタカ君実家訪問で、コロナ禍で会えなかった長女のところの孫たちと会えるし、それがまた楽しみです。これまた福子さんパワーですね。
わが実母も、グループホームでの暮らしで、我が物顔に振る舞っているようです。決して、小さく縮こまっているお方ではないですからね(笑)。食欲もあるし、先日会った時も、明るい笑顔でした。コロナ禍でなければ、食事に連れ出したり、うちに泊まりに来てもらったりできるのですが。
世界中のすべての人が平和で明るく、自分の天寿を全うできる世界が来ますように、わたしもまた、そうであるように、しっかりと生きていきます。
自分を赦し、人を赦し、愛と感謝で生きていきましょう。
来週からまた元気に「きりしま月の舟」をオープンしていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
いつもブログを読んでいただきまして、魂から感謝いたします。