きりしま月の舟

リスペクトする心

2022.04.23更新


 今日は、朝から雨が降っています。おとといも大雨、昨日は快晴。雨が降ると、カフェのお客様はぐんと減りますが、溜まった仕事ができるので、雨も大好き。

 おかげさまで、昨日は、源氏物語の動画をアップできましたし、午後3時にはカフェを閉めて、お散歩に出かけました。最高に気持ちよくて、良い運動になりましたしね。いつものように、近くの「星とのあいだ」さんで、ソフトクリームを食べ、アクセサリーを眺めて、それはそれは楽しい時間を過ごしました。

 木曜日の源氏物語クラスも、大雨の中を受講生の皆様がきちんといらしてくださって、ありがたくて、素敵な時間を過ごしました。

 今日は、朝から大雨なので、ゆっくりできるかなあ、と思いきや、お客様がぽつりぽつりといらして、パソコンを持ち込んで仕事をされたり、久しぶりの再会なのか、話が尽きないようで、素敵な時間をお過ごしくださっています。

 ああ、いいなあ、こんな時間。そして、こんな働き方、こんな人生。これでいいのだ。

 お客様の数=売上、と考えると、お客様が少ない日は落ち込むでしょうが、わたしたち夫婦は、お客様との会話も大切にしたいので、ゆっくりした時間が流れるほど、わたしたちの豊かさもアップします。

 思うに、わたしの人生は、「暇」という時間がなくて、いつも活動的で、豊かだったなあ、と振り返ることができます。

 これからも、あと30年は仕事を続けていきたいと思いますが、ずっと忙しく、楽しく、豊かであると確信できます。

 2050年を観る。それを目標に生きていこう、と思います。ユタカ君と散歩しながら、これからの人生計画について話します。あそこをああして、ここをこうして。先立つものはお金ですが、いつも必要なときに天からお金は降ってくるので、安心して、壮大な計画を立てています(笑)。

 先日、月の舟ホールを建てようと思っていた土地をもう一度確認したら、奥行きが全くなくて、これじゃあ、うなぎの寝床みたいな建物になってしまうわ、ということで、計画を変更中。それもまた楽し。

 さて、前回のブログで、鏡御拝について書きました。自分を拝みましょう、と。

 さっそく自分で実践しています。朝、起き抜けだけではなく、鏡を見たら、二拝拍手をして、口角をあげ、神気を流し、自分の瞳の奥を見つめます。自分の本質につながることを意識して、自分に敬意を表します。最後に二拝二拍手して、終わり。

 いやあ、いいですよ。自分の顔を見つめることって、そうはないですが、しっかり見つめて、口角をあげるだけで、自分が優しい顔になっていくのがわかります。優しい顔の自分っていいですよね。

 何の憂いもない、何の心配もない、足りないものはひとつもなく、自分は完全で完璧で最高傑作だと自然に思えます。おススメです。

 鏡を見なくても、口角をあげて、神気を流す、それをするだけでもいいみたい。

 「わたしはわたしを大好きです」と言うのもいいのですが、わたしとしては、わたし自身をリスペクトする、っていうのが、よりわたしらしい感じがします。

 先日、娘に「ママはおばあちゃんとの確執を乗り越えるのが課題だね」と言われて、そうだなあ、と思うと同時に、ああ、わたしって、どんだけ傷ついていたんだろ、と思えました。

 もう65歳になろうとするのに、精神世界のことにも詳しいし、人の心に何よりも関心の深いわたしであり、心や魂についての勉強も経験もいっぱいしてきたわたしなのに、はじめて、母との関係でわたし自身が傷ついている、ということに気が付いたのです。

 そして、傷ついている自分に気が付いて、ようやく母との確執が手放せた、と思えました。

 このブログでもいつも書くように、わたしの母は優等生で、美人で、頭が良く、働き者で、お料理も上手、いろんなことにセンスが良く、生活も立派で、非の打ちどころのない女性です。けれど、他人をつねにジャッジして、あれはいい、これはいい、これは合格、あれは不合格、とつねに格付けしては、他人の劣等感を刺激して、人を怒らせるのが趣味みたいな人です。

 それも、父みたいに怒鳴るのではなく、そっと優しく穏やかに耳打ちするように、じわっと相手を否定する言葉を言う。それは恐怖以外の何物でもない(笑)。外から見れば、そんな優しいことを言われて、怒る方が悪い、というからくりになって、そのからくりに嵌まったが最後、母はいい人、わたしは悪い娘、という構図ができあがるのです。

 戦中戦後に青春時代を送った方々の集合意識というのか、日本特有のいじめ意識というのか、ちょっと個性的な人をこきおろす体質というのか、その分析は専門家の方におまかせするとして、母が無意識に信じていた生き方は、個性を発揮してはいけない、派手であってはいけない、目立ってはいけない、男の人を超えてはいけない、家事育児は二流の仕事だけど、それをやるのが女性の務めみたいな考え方。

 母からすると、ぼんやりでうすのろな長女を、非常識から救い、貧乏から救い、派手な身なりや振る舞いを戒めることで、守ってきた、ということなのでしょうが、理屈はそうであったとしても、つねに自分の存在を否定されるような言動というのは、母親であればとくに、深く傷つくのだと思い知らされました。

 これまでは、母自身の在り方に気持ちが向いて、母を批判してきましたけれど、今回、自分が深く傷ついているのだと気づいたとき、はじめて、わたしの本質に向かい合った気がします。

 もちろん、母は素晴らしい女性ですから、批判するに当たらない、まだまだひどい毒親はいる、ということもわかります。母は、心配や迷惑をかけたくない思いで、わたしのことを「貧乏人」と呼んだ、というのも、理屈ではわかります。

 けれど、それは戦争世代の集合意識全体からの攻撃というのか、劣等感の裏返しとしてのパワハラであるとか、母ひとりの問題ではなく、時代の集合意識の問題であると考えると、母への理解も、自分へのリスペクトも進むと思うのです。

 いま、ひとつの価値観の転換期にあって、これまで劣等感や不足感を原動力に競争しながら発展してきた世代が、ひとつの終焉を迎えています。新しい価値として、競争することなく、助け合い、お互いの個性を活かし、他人の価値を認めることで、共生していく在り方が、これから主流になっていくでしょう。

 わたしは30年早く生まれた、と言われるくらい、この時代のはざまにあって、母の世代ではなく、娘たちの世代の意識で生きてきたため、娘たちとは何の断絶もなく、むしろ、早い段階で価値観を共有できたかな、と思います。だから、娘たち、孫たち、そして若い人たちと全く違和感なく付き合うことができるのでしょう。

 おそらく、母の世代と新しい世代の間の大きな違いは、「他者をリスペクトできるかどうか」だと思います。

 ダメな人を矯正するのではなく、どんな人をもリスペクトする。どんな人にも個性があり、可能性がある。そこから始める。

 だから、わたしは鏡御拝で、自分を大好き、というよりは、自分へのリスペクトを大切にして、忘れていた自分への敬意を取り戻したい。

 わたしのいちばんリスペクトできるところはどこかなあ、と思い出してみると、いくつかあります。

  • あきらめずに、いろんなことに挑戦して、自分独自の活動を続けてきた。
  • どんな人に対しても、学歴だとか経歴だとか、お金のあるなしに関係なく、すべて受け入れることができる。
  • どんなときも勉強を怠らない。
  • どんなときも、働き者である。
  • どんなときも、工夫する。
  • どんなときも、能天気でいられる。

 自分や他人を矯正しようとすると、そこには「苦しみ」だけがありますが、自分も他人も「これでいいのだ」、みんな完全完璧、最高最善と思うと、リラックスして、楽しく生きていくことができます。

 これからは、個人の時代。自分をリスペクトすることが、豊かに生きる根源となるでしょう。それはもう理由なく、根拠もなく、リスペクトしていいんだ、と思うのです。

 これまで生きてきた自分を歓ぶ。いま、ここに生きていることを寿ぐ。この安定した気持ちなら、誰に自分を否定されようと、大丈夫、と思えます。

 思えば、わたしはこの絶対的な安心感が欲しかったんだなあ。わたしには何の不足もなく、完璧にここにいていいんだなあ。

 ファッションがへんてこりんでも、言動が不確かでも、ここにいていいんだ、という安心感がほしかった。だって、つねに、あんたのファッションは変だから、着替えてきなさい、と言われ、え、だって、どこでどんなファッションに着替えたらいいのよ、という不安な思いでいっぱいでしたからね。

 母自身が実はどんなファッションをしたらいいか、不安だったんでしょうね。田舎娘が、商売で成功して、突然セレブな方々のなかに入って、どぎまぎしながら、ああでもない、こうでもない、といつも自分のファッションを思案していたのかもしれません。

 でもね、わたしたちは、どこでどんな格好をしてもいいのですよ。すべてが許されていますからね。大丈夫なのです。

 わたしは、ようやくこの安心感を手に入れました。困ったときは、宇宙が助けてくれます。直感力のあるわたしは、どうしたら、安定、安心できるかをすぐにキャッチできるでしょう。

 お金もたっぷりとある。食べ物もいっぱいある。優しい愛に囲まれている。宇宙のサポート体制も整っている。夢はすぐに叶います。言うことなし。

 さあ、カフェのお客様も途切れたことだし、そろそろ閉めて、片付けて、次の仕事に取り掛かりましょうかね。

 こんなに豊かなわたしを、心からリスペクトします。そして、母、ユタカ君、娘たち、孫たち、受講生の皆様、わたしを取り巻くすべての皆様をリスペクトします。

 ようやく源氏物語のオンライン講座用の動画をアップできて、ほっとしています。お待たせしました。これで次々に動画をアップできる準備ができました。

 さあ、わたしは完璧、パーフェクト。これでいいのだ。

 いつもブログを読んでいただき、感謝しております。嬉しいです。皆様の心が軽くなるような、安心できるようなブログをこれからも書き続けます。どうぞ読んでくださいませ。