きりしま月の舟

すべてを信頼する

2022.08.29更新


 京都孫支援14日目。すでに2週間が経過。おお、長い滞在です。

 ちょうど今日が次女の大切な仕事のある日で、この日のために京都に来たようなもの。先ほど、緊張しつつも、凛々しく娘は出かけていきました。8月31日までの孫支援が終わったら、本来のわたしの仕事に復帰します。

 そろそろ、4人家族の規模じゃなくて、20人規模の月の舟スタイルの仕事がしたいなあ、という気持ちがむくむくしてきています。でもね、あと3日。愉しみます。

 家族としての絆が深まると、いろいろと事件が勃発します。ルイ君の部屋があまりにも散らかっているので、注意すると、中一男子が泣き出すという事件。お兄ちゃんが泣いたのを見て、妹のれなちゃんも泣き出す始末。ママの留守中の出来事。

 確かにおばあちゃんは、ひどいことを言った。「まるでオランウータンの部屋だね」(笑)。それが嫌だったのか、涙を一筋流した中一男子。ひええ。男の涙に弱いきみちゃん。でもね、優しく接しても、言葉は容赦ない。

 ゴミ箱を置いてないのが散らかる原因、というので、いや、そうじゃない、とおばあちゃん。ゴミは毎日処分するように言いつけて、一件落着。れなちゃんも泣き止んだ。

 第2の事件は、れなちゃん制作物をおばあちゃんが捨ててしまった件。次女一家は、水、化粧品、いろんなものが通販で届き、段ボールは溜まる一方。それを使って、れなちゃんが何やら制作に励んでいることはわかっていましたから、いる段ボールといらない段ボールを分けておいて、と言ったら、ちゃんと分けていたれなちゃん。

 しかしながら、何日経っても、その段ボールを使う気配がないので、それって予備の段ボールかな、と思って、処分しちまいました。だって、どんどん段ボールが溜まっていって、部屋の一角に、段ボール屋敷ができていましたからね。

 床にあらゆるものを散らかすルイ君に本棚を買ってあげて、ルイ君の小さな本棚をれなちゃん用にと、片付けまくった昨日の日曜日。ご近所の家具屋さんに素敵な本棚があったので、運んでいただき、設置していただき、そのときに出たゴミの段ボールとともに、うちの段ボールも引き取っていただいたのでした。

 れなちゃんがより分けていた段ボールも、新しい段ボールを使えばいいかなあ、と勝手に思ったおばあちゃんは、「ほかの段ボールも一緒に処分しましょうか?」と言ってくださった家具屋さんに甘えて、持って行っていただいたのでした。

 それが、お風呂から上がる頃、「おばあちゃん、れなの段ボールは?」と聞くので、「あら、あれ、ずっと使ってなかったから、家具屋さんに持って行ってもらった」と言ったら、れなちゃん、涙。。。

 あちゃあ、そうだったの?これから制作するんなら、新しいのがいっぱいあるし、と思って、持って行ってもらったよ。え?お友達の誕生日プレゼント用に制作途中の品だったの?

 あらら、ごめんね。家具屋さんに行くにも、もう閉まっている時間。きっとさっさと処分されたに違いありません。

 ママが「また、新しいの、作ろう」とれなちゃんに声をかけたら、ご機嫌が直って、ママと嬉しそうに制作し始めます。そして、けろっと笑顔になりました。捨ててしまった段ボールの制作物は、納得がいかないものだったようです。

 これで一安心。おばあちゃんにもまた優しく言葉をかけてくれるれなちゃん。大人やのお(笑)。

 料理ほど片付けが得意でないきみちゃん。月の舟の掃除は、ユタカ君担当で、わたしは美的なところだけを担当。ここに何を置いて、これはこういう風に飾って、というのだけをやっています。だから、美的でないものは、さっさと片付けるきみちゃん。それに比べ、ものを大事にするユタカ君。月の舟や霧島の自宅が散らかっているとしたら、それはユタカ君の物持ちの良さのせいです(笑)。

 家庭であっても、月の舟のようにたくさんの方が出入りするような場所であっても、床に物を置かない、プラスチックのものは極力避ける、そういうことは気にかけています。

 月の舟でカフェを始めたおかげで、料理も掃除も手早くできるようになりました。勉強や仕事と同じくらい大切で、人間の基礎を作っていると思える家事・育児。

 それが分業化されたのは、やはり違うなあ。男が仕事で、女性が家事・育児、というのは確かに効率的かもしれないけれど、個性的ではない。男性も女性も、自分のことは自分でできて、仕事も家事も育児も基本をきちんとマスターしなければならない事項です。

 今朝は、ルイ君がはじめて、いつもより早い時間に登校しました。おばあちゃんの「起きてください」太陽作戦は、確実に成果をあげています。相変わらず、床に物は置いてありますが、許容範囲内。

 さ、あと2日。あさっては鹿児島に帰りますから、それまでに、ルイ君もれなちゃんもひとりでできるように、いろいろと教えるつもり。きみちゃんおばあちゃんは、女性性と男性性のバランスがとれているので、ちゃんとバランスよく自立へ向けての促しをします。

 人は成長するために生きています。成長することは変化するってこと。人が自立に向けて歩き出した時、そこには必ず変化があり、また試練もあり、それを乗り越えるための工夫がさらに成長を促します。

 わたし自身は、こうして孫のお世話をすることで、自分を成長させていっています。孫が自立に向けて成長している姿が、わたし自身の成長の姿でもあります。

 きみちゃんの自分軸は、家事・育児を勉強・仕事と同列に置くことです。男性性と女性性のバランスを取ることです。学び続ける。成長し続けるきみちゃん。

 京都でも、家事・育児をこなしながら、こうしてブログをたくさん書き、源氏物語動画のアップ準備も終わりました。明日、源氏物語「桐壺」8の動画を収録予定です。先ほど、FBに源氏物語講座8月11日分をアップしました。「末摘花」の巻の授業風景です。一時間を超えるので長いですが、きっと参考になる部分がいっぱいだと思います。

 今日は、れなちゃんのピアノの椅子、ユタカ君が送ってくれた葡萄、ジャムの宅急便が届くので、なかなかお出かけができませんが、京都はさすがに、源氏物語ゆかりの土地。

 先日も、風俗博物館へ行きましたら、なんと8月1日から閉館中とのこと。HPではそんな情報なかったぞ。でも真ん前の西本願寺で一休みしてから、また同じ系統のバスで引き返し、晴明神社へ。前から行きたかったところ。近くに一条戻り橋があるし。

 この辺りは、一条天皇の里内裏があったところで、そこに彰子も一緒にいて(もともとその里内裏は道長の屋敷)、彰子付きの女房である紫式部は、ここで、葵祭の行列を見ている可能性がありますね。

 この里内裏では、祭り見物の桟敷が仮のものではなくて、常設であって、道長の権力を示すものと言われています。戻橋のあるあたりを過ぎた葵祭の行列は、里内裏の前を通った。六条御息所と葵上の車争いも、このあたりをモデルとしているかもしれません。

 もともと戻橋の名前の由来は、延喜18(918)年、文章博士の三善清行(きよつら)の葬列がこの橋を渡った時、父の死を聞いて駆け付けた熊野で修業中の息子・浄蔵が棺にすがって祈ると、一時的に清行は生き返り、親子の情を交わしたというエピソードがあります。

 ネットで調べると、安部晴明に関するエピソードもいっぱいだし、豊臣秀吉の時代だと、見せしめの場所でもあり、さらに怖い感じもするところですが、葵祭での車争いのモデルの場所かな、という推測は、新たな発見かな?もっとちゃんと調べてみます。

 一昨日は、れなちゃんのバレエレッスンのお迎えに行くときに、途中で平安京の史跡のパネルがあり、見とれているうちにお迎えに遅れそうになって、慌てました。

 土曜日に、れなちゃんとルイ君とラーメンを食べに行った帰り道、あれもこれもと平安京関連のパネルがあるので、ほほお、と思いながら、写真を撮りまくっていると、れなちゃんが「おばあちゃん、寄り道しすぎ」と怒ります。怒られながらも、いろいろと写真に収めるきみちゃん。やっぱ、京都は深いなあ。

 さて、この京都滞在の間に、悲しい知らせが届きました。わたしの敬愛する女性経営者・大和田明江さんの夫さん・大和田世志人さんが急死されたとの知らせ。本当にびっくりです。

 明江さんは、わたしの大学の先輩で、闘病中でした。入院されていたときも、「みたけさんに会いたい」と言ってくださったり、霧島の我が家に泊まりに来てくださったり、お互いに尊敬と愛情をもってお付き合いをさせていただいておりました。

 明江さん自身が闘病中で、それでも仕事を続けたいと言う妻を支援しておられた世志人さん。おふたりが中心になって立ち上げられたNPO法人有機農業協会の初代理事を務めさせていただいたご縁もあり、今年の一月は、明江さんが代表の、有機生産物を販売する「地球畑」30周年式典にも出席させていただいたのでした。

 夫婦で経営するのは、とても幸せなことだと思います。ケンカも多いでしょうが、ツーカーでわかることも多いのです。世志人さんは、明江さんがパートナーで、とてもお幸せだったと思います。

 今日29日が午後6時からお通夜、明日30日が午前11時半から告別式。会場は、JA鹿児島みらいやすらぎ館伊敷斎場。

 明江さんと同じ日本女子大学の後輩たちにもお知らせすると、ただちに行動を起こしてくださる彼女たち。素晴らしいなあ。うちのダーリンも明日の告別式に出席します。

 有機農業の発展に力を尽くしてこられた大和田夫妻。心から尊敬し、魂から感謝します。

 わたしたち夫婦も、これからも仲良く協力しあって、仕事していきます。

 やはり、わたしは、2,30人規模の文学講座、イベントを毎月、細々と継続していくのが本来の在り方だなあ、と京都で、次女一家の主婦をしながら、思います。年に一回くらい、大規模なイベントもやりながら。

 おひとりおひとりとしっかりとしみじみとおつきあいして、お互いを尊敬し、成長し合う関係であるように、霧島の地で、またはオンラインでも、愉しく仕事を続けていきます。

 こうして孫支援に来て、孫育てもします。やはり、本来の自分の仕事(20人規模)があるからこそ、4人規模の家庭経営もやっていけるかな。

 これからも二刀流ならぬ、六刀流くらいの仕事の幅で、好奇心をフルに、元気に明るく、あと30年を生き切りたいもの。

 途中で何があったとしても、向かうべき道は見えています。あまり大上段に振りかぶらずに、地道にコツコツと、何よりもとことん楽しんで、今を生きていきます。

 宿題の多いルイ君に、「優先順位を考えて」「あまり大げさなことをしないで」「できることを地道にコツコツと」と教えながら、それって、自分にも当てはまるなあ、と思います。

 あまりにも奇をてらったもの、大上段に振りかぶったものではなくて、これまでやってきた仕事を誇りに思い、自分を信頼して、周りを信頼して、20人体勢を維持していきたい、と思います。

 わたしの得意なことは、素直なこと。あまり人を疑わないんですよね。これ、やれるかな、というような自分への不信感もほぼないですね。やれるかな、という感覚はまずない(笑)。やると決めたら、すでにやってるし(笑)。

 疑わないからと言って、そう騙されるわけではないし、むしろ、ただ信じて物事に飛び込むことで、大きな歓びを得ている、という感じです。

 おかげさまで、この頃、気持ちが穏やかで、安定しています。京都での暮らしが、これまでの霧島レベルと違って小さいので、ちょっとしたお休みモードになっているようです。

 さ、あと少し。愉しんでいきます。いつもブログを読んでいただきまして、ありがとうございます。少しでもお役に立てたら、嬉しいです。