きりしま月の舟

多次元を生きる

2022.08.16更新


 8月14日の「蒲原有明シンポジウム」は、大盛況でした。リアル参加、ズーム参加の皆様、本当にありがとうございました。

 シンポジストの島村輝先生は、急遽、zoom参加でしたが、zoomの調子も良く、スクリーン、スピーカー、プロジェクター、すべてうまくいって、zoom参加も、岐阜、高知、東京、鹿児島市内と全国各地を結んで、新しい時代の恩恵を受けました。

 リアル参加の皆様も、ゆったりと満席状態で、熱心に聴講していただきました。心から感謝いたします。

 まず、新しく名称変更したNPO法人月の舟自由大学理事長の三嶽豊の挨拶に始まり、竹本寛秋先生の蒲原有明の「朝なり」という詩の推敲を中心に、蒲原有明の詩そのものについて、深い解説を頂きました。わかりやすく、興味深く、刺激的で、素晴らしかったです。

 続いて、zoom参加の島村輝先生が、島崎藤村の「初恋」から初めて、日本語の音楽性についてのお話を、藤村、薄田泣菫、蒲原有明、大手拓司、那珂太郎とつなげていかれ、大変興味深かったです。

 島村輝先生の詩の朗読は、とてもお上手で、ゆったりとして癒されました。これぞ、日本語の音楽性ですね。ゆったりとした中に、大切な気づきをたくさん盛り込んでくださって、実に聴き甲斐のある時間でした。

 おふたりが深いお話をされながらの一時間半でしたので、最後、島村先生はすっきりと話を終えられて、そこらあたりも、素晴らしいなあ、と思いました。

 約一時間半のおふたりの講演が終わり、10分間の休憩。リアルご参加の皆様には、チーズケーキ(ユタカ君特製)と紅茶をお出ししました。

 朝から、鶏飯ランチを用意し、シンポジウム参加ではない普通のお客様もおいでだったので、なんだかんだと忙しかったきみちゃんとユタカ君。そんなわたしたちを観て、八ケ代さんと有馬さんが、お手伝いを買って出てくださいました。

 八ケ代さんも有馬さんも、きりしま月の舟の常連さん。源氏物語、万葉集、古事記などをたっぷりと受講してくださっています。文学がお好きなんだなあ、学ぶことがお好きなんだなあ、といつも感動をいただくおふたりです。そんなおふたりがいろいろとお手伝いくださって、嬉しかったなあ。感謝でいっぱい。

 休憩後の総合討議では質問が相次ぎ、学会さながらの応答が繰り返されます。3時50分から始まった質疑応答は、質問に対する答えで、またひとつ深まり、全体が把握され、と有意義な時間が流れ、終わったのが午後5時。

 司会進行のきみちゃんは、いやあ、参加者全員から質問やご意見を引き出したい衝動を抑えて、午後5時には閉会としました。

 いやあ、予定では午後4時終了で、そのように先生方と打ち合わせしていたのですが、司会のきみちゃんは午後5時になっても、あの方この方と振ってしまう、往生際の悪さ(笑)。

 だって、ご参加の皆様が登壇されても良いくらいに、素晴らしい方々ばかりで、ご意見をお聴きせずにはいられないからなのです。やはり、ご参加の皆様のレベルが高いからこそ、この学会をも超えるシンポジウムができるんだなあ、と感無量です。

 ご参加の皆様は、本当に良い顔をされて、素晴らしいシンポジウムでした、と感動のお言葉を頂きました。

 わたしの最初の目論見は、島村先生、竹本先生から醸し出される愛ある知性にどっぷりと浸っていただきたい、ということでしたが、いやあ、知性の温泉にどっぷりと浸かり、でも湯あたりすることなく、さっぱりとお風呂から上がった気分、と言えばいいでしょうか。

 シンポジウムのあとも、メールやメッセンジャーで、素敵なご感想をいっぱいいただきました。また、月の舟通信でご紹介したい、と思います。

 わたしもユタカ君もよく頑張った。お手伝いを頂くとは言え、ほぼすべてをわたしたち夫婦ふたりで運営しているので、このシンポジウムの大成功は、わたしたち夫婦の底力を見せつけてくれましたね(笑)。

 いやあ、がんばった。きみちゃんたら、お客様がすべて帰られたあとに、お風呂に入って、そのままバタンキューでございましたわ。働き者のユタカ君は、午後8時ごろまでお茶碗を洗ったりして、片付けておりましたが、わたしはもはや身体が言うことを聞きませんから、そのまま寝ました。

 そして、お風呂に入りながら、いろんな感慨にふけったのです。あまりにも島村先生、竹本先生の知識量とその総括力が凄くて、圧倒されて、泣いておりました。

 大学に勤務することなく、非常勤講師はいっぱいしているものの、いつもアウトローを生きてきたきみちゃん。これで良かったんだろうか、という思いがおふたりの先生方の素晴らしさを前にして、愕然としたのです。

 文学研究者として生きることは、ある時点で辞めました。そのときのことは、今でもはっきりと覚えています。論文は書きたくない、田辺聖子さんのエッセイみたいに、ユーモアがあって、わかりやすくて、人を勇気づけるような文章を書く人になりたい。そう思った瞬間を今でも覚えています。三女が小学生にあがったころでしょうか。

 そして、今、こうしてこのようなブログを書くことで、人を勇気づけているわたしがいます。あのときの思いは達成されているのですね。

 しかし一方で、研究者であっても良かったのに、というわたしがいて、お風呂で泣いていたのです。贅沢な奴だよ(笑)。

 ああ、まだまだ勉強不足なわたし。いやあ、カフェの仕込みだの、孫育てだの、勉強や研究以外のことに時間が取られて、研究者としては生きていけなかったわたし。思いがけず、ユタカ君と結婚して、子どもが3人もできて、孫が4人もできて、それを心から歓び、楽しんでいるわたしが、以前手放したものを思う時間。

 そんなわたしを気遣って、ユタカ君がベッドに横たわるわたしを励ましてくれます。「企画力が一番大事なんじゃないかな。たくさんの先生方が俺たちのことを信頼してくださって、こうしてやれたのは最高だよ」と言ってくれます。

 一生独身で研究する道もあった。人を勇気づける文章を書いて、全国区で活躍する道もあった。しかし、いま、わたしは文学を講義する者であり、文学研究者の端くれでもあり、NPO法人を運営する者でもあり、カフェのランチを作るおばさんでもあり、3人の娘の母でもあり、4人の孫のおばあちゃんでもあり、それに深く満足している現実。何よりも、ユタカ君という最高の伴侶を得て、毎日が最高に楽しい。

 ベッドでひと眠りしたら、何とか気持ちが回復しました。「わたしは、これでいいんだ」と。

 で、夜中の2時に起きて、京都行きの準備をします。まだなーーーんにもパッキングしていなかったのです。で、一時間で仕上げて、またひと眠り。足りなかったところを朝に仕上げて、ユタカ君に空港まで送ってもらって、ただいま京都です(笑)。

 わたしの行動は実に早い。皆様、鹿児島市内から霧島に来るだけでも、なんだかエベレスト山に登るような気持ちでお話をされますが、わたしは京都までなんて、自分の庭に出るくらいの気持ちでいます。

 だって、京都なんてすぐですよ。飛行機で50分。その前後の移動時間を入れても、4時間あれば、京都の次女の住まいまで行けます。その間、本がばっちし読めますしね。至福の時間ですしね。

 わたしの行動範囲は地球全体。宇宙にはたいして行きたい、とは思いませんが、地球旅行はバキバキしたいですね。

 研究者でありつつ、母である方々が、わたしの生き方に注目されているようです。研究者と母親は、最も水と油のような関係かもしれません。わたしも勉強と子育ての両立にあたふたしました。

 でも、そのあたふたがわたしを鍛えてくれたなあ、としみじみ思います。欲張って、ふたつのことを同時にやっていいのです。どんどん、じゃかじゃか、やりたいようにやりましょう。時に研究者に重きを置き、ときに母親に重心を移して、というように、臨機応変に多次元を生きればいいのです。

 母親としてやり残したことを、孫たちにしてあげてるような現在、孫たちはおばあちゃん大好きで、わたしが来るのを、いつも心待ちにしてくれます。

 わたしが研究や勉強を続けたおかげで、娘たちには勉強、勉強と一言も言う必要もなく、みんなわたしの勉強する姿を見て育ったせいか、とても勤勉で努力家で、美しい。言うことなし。

 孫たちも、おばあちゃんに作文を教えてもらう、と張り切ってくれますし、文学の先生としてのわたし、そして、美味しいものを作るわたしを愛してくれています。

 体調を崩していた次女は、今日から出勤です。出かけるときに、小学一年生のれなちゃんが「ママーー」と泣きます。でも、おばあちゃんがいるから大丈夫。

 そして、わたしがこうしてブログを書いている間、れなちゃんは、わたしが作ったおむすびとお味噌汁と、ユタカ君が小谷豆腐のおじちゃんに頂いて、そのまま京都に送ったメロンを食べています。

 昨日、京都に着いたあと、れなちゃんと一緒に、買い物に出かけて、れなちゃん用のドリルも買いました。Z会が作った就学前の子どものための「ことば」とか「さんすう」とかのドリルなんですけど、よくできてる。

 学校って、なんでこんなにひとりひとりの子どもに向き合っていないんだろ、というくらい、早い時点で、ひらがなや数字の書き方とかもできない子が量産されているように思うきみちゃん。

 月の舟にお勉強に来る子どもたちも、鉛筆の持ち方、ひらがな、数字、漢字の書き順がバラバラなんですよね。大人でも、基本的な生活態度を教えてもらってないなあ、という方が多くて、びっくりするきみちゃん。

 わたしの母は、口は悪かったけれど、生活態度は抜群で、家が散らかったこともなければ、ご飯が食べられないこともなくて、ほんと凄い母だったなあ、と今頃感心しています。そして、深く感謝しています。

 その母がいたからこそ、わたしはこうして京都に来て、料理したり、掃除したり、お勉強を教えたりできるんだなあ。感謝、感謝、大感謝。

 基本的な生活態度も大事ですが、何よりも大事なのは、自己肯定感。ここで謙虚であることは、一切必要なし。

 そして、わたしが島村先生や竹本先生の研究者としてのお姿に圧倒されたように、これから文学研究者としてやりたいことをやればいいんだよなあ。

 わたしは、子育ても孫育ても研究も文学講座も、いっぱいやりたいことを自由にやってきた。それでいいのだ。これからも、どんどん自由にやればいいのよね。

 多次元を生きる。こうありたいという自分を、いろいろと生きる。ひとつじゃなくっていいのよね。そのときにできなくても、いつかできることもある。焦る必要はない。

 今日は、わたしの65歳の誕生日。朝早くから、たくさんの方がお誕生日お祝いメッセージを送ってくださっています。それも皆様、とても素敵なお言葉で、わたしの誕生日をお祝いしてくださいます。

 本当にありがたいなあ。わたしは言葉の人なので、素敵な美しい言葉をいつも発信していきたいと思っています。そして、たくさんの方がまた素敵で美しい言葉を返してくださるのですよね。

 文学講座の受講生の皆様、月の舟を愛してくださる皆様、先生方、ご近所の皆様、親族、死んだ父、祖父母、母、みんな大好きで、心から感謝し、尊敬し、信頼しています。

 年齢というのは、単なる数字、とおっしゃるのは、コシノヒロコ先生。わたしもまた、65歳という年齢を単なる数字として、これからは、時にれなちゃんと同じ7歳になったり、30歳でこれからを生きる女性になったりしていきますね。変幻自在に年齢も操れる魔女になるのです(笑)。

 横で、お出かけの準備を始めたれなちゃんに、ちょっと焦るきみちゃん。ああ、こうして集中力をそぐのが子どもというもの。

 誕生日祝いのブログを書くつもりが、中途半端で申し訳ありません。でもね、これでいいのだ。また書きます。

 では、これからルイ君の朝ごはんをテーブルに準備して、れなちゃんとお買い物に行ってまいります。

 いつもブログを読んでいただきまして、ありがとうございます。これからも愛の言葉、励ましの言葉をいっぱい書いていきます。どうぞご活用くださいませ。