きりしま月の舟

尊敬と感謝

2022.07.26更新


 何だかとても忙しい一週間だったような。カフェ「きりしま月の舟」のお客様は、霧島でお友達になって、講座にもいらしてくださる常連さんのほかに、ふらっとランチにいらしてくださったお客様と話が弾んで、長い時間を生きたような感覚になっています。

 何だかオーラが違うなあ、好奇心の持ち方が違うなあ、本棚を眺める後ろ姿が知的だなあ、と何となしに感じながら、注文のランチや飲み物を準備していると、お話している間に、実は音楽家だったり、芸術家だったり、建築家だったり、と「やっぱりね」と思う方が多いのです。芸術に関心の深いわたしたち夫婦と話が弾んで、「また来ますね」とおっしゃってくださることが最近とくに多いなあ。

 もちろん、どのお客様も礼儀正しくて、ありがたいこと限りなし。毎日のようにいらしてくださる間に、魂の家族のようになる方とか、最近知り合った性空堂のご住職・聖法さんとは、前世でご一緒でしたっけ、というくらい親近感を感じて、長い時間話し込んでしまいます。

 いいなあ、こんな暮らし。お客様が少ないときは、ユタカ君と早めにカフェを閉めて、散歩したり、庭仕事をしたり、片付けたり、本を読んだり、昼寝をしたり。最高の暮らしができています。

 23日(土)は、霧島神宮でかがり火コンサートがあり、ユタカ君とふたりで参加してきました。予約なし、無料で、ほぼ毎年今頃開催されます。一昨年だったかな、コロナで中止になったのは。それ以外は毎年参加しています。

 ところが、今年は霧島市商工会青年部の花火大会と日時が重なり、23日朝の南日本新聞朝刊の折り込みチラシで、花火大会を知ったわたしたち夫婦でしたが、あらあ、コンサートが午後7時半からで、花火の打ち上げが午後8時だわ、と他人事ながら心配しておりました。

 霧島神宮かがり火コンサートは、霧島国際音楽祭の一環で、先程書きましたように毎年あります。今年は、ソプラノ歌手とテノール歌手のおふたりとピアノの3人。霧島神宮の森のムササビがふっとわたるなか、とか、虫の声のなかをクラッシック音楽が演奏されるのは、なかなかいいなあ、と思います。

 照明が強すぎて、ピアノ演奏の方なんかは、いつも汗びっしょりで、お気の毒なくらいですが、クラッシック音楽好きなわたしは、毎回楽しませていただいています。

 美しい歌声のイタリア歌曲とか日本の歌曲とかをしみじみ聞き入っていると、案の定、花火の音が。。。そこは経験豊富なプロの方。お、日本文化のなかをいいですねえ、とさっぱりとお話しくださって、とくに無視するでもなく、責めるでもなく、偉いなあ、という対応。

 でも、わたしもユタカ君もちょっと落ち着かない。わたしたちには何の責任もないのだけれど、同じ土地に住む者として、大きなイベントが重なっちゃった、というのは、切ないものがありました。

 ま、なんかのすれ違いだったのでしょう。来年は、ぜひ日程をお互いに調整してほしいなあ、と思います。

 わたしたち夫婦は、芸術が大好きですので、オペラ、コンサート、演劇、とよく観に行くし、自分たちで企画もして、月の舟だけではなく、大きなホールを貸し切って開催することもしばしばです。

 そんななかで、よく聞くのが「敷居が高い」というお言葉。クラッシック音楽とか、文学とかは、敷居が高いらしい。わたしはカラオケも好きで、演歌も好きだから、クラッシック音楽の方が上なんて、ちっとも思わないけど、「敷居が高い」というお言葉には結構ショックを受けます。お高くとまったあんたたちとは付き合わない、と言われているみたいで、悲しいなあ。

 

 先日読んだ本に、演歌のこぶしは神を呼ぶ音らしく、その音の揺らしは神がかって、願いを叶える呪力を持つそうです。日本のそうした演歌的な歌い方、声の出し方と、西洋的な音楽のハーモニーを重視する音楽とは、ちょっと違うらしい。

 そこらへんを「敷居が高い」と自分たちとは違う文化としておっしゃるのかなあ、とも思いますが、どちらが正しく、どちらが立派、ということではないので、違う価値観のものを優しく受け入れる感性が、これからの時代、必要なんだなあ、と思います。

 明治維新以降、西洋の文化があまりにも重視されてきたことの反動なのかな。あと少ししたら、クラッシック音楽と演歌が仲良くする時代が、すぐそこまで来ているでしょうから、今は、あっち行ったり、こっち行ったりしながら、わたしも相変わらず芸術を愉しんでいこうと思います。

 昨日は、お隣りの湧水町へピアノコンサートを聴きに出かけました。やはり霧島国際音楽祭の一環で、栗野いきいきセンターのホールでの無料コンサートです。月の舟の会員さんでもあるKさんとご一緒して、嬉しかったなあ。

 小井戸文哉さんのピアノは、若いだけに迫力ありました。床が石なので反射が気になりましたけど、そこを上手に抑えておられる感じ。さすがですね。どの曲も素晴らしかった。

 最近の若いピアニストの方々はもう、神がかっている。先月聴いた小林愛実さんのピアノみたいに、小土井さんも、若いのにすでに自分の世界を持ち、自分の音を持っている感じ。YouTube上でも天才がひしめきあっている、という感じですよね。

 素晴らしいなあ、感動だなあ、嬉しいなあ、とクラッシックピアノファンであるわたしは、昨今のピアノ界を心底楽しんでいます。わたし自身は、いま、ピアノレッスンをお休みしていますが、素晴らしい演奏を聴くたびに、次はわたしもあの曲に挑戦したいなあ、としみじみ思います。いまは、お休みして良かった、自分を追い込まなくていい時間を過ごせているので、また楽しみながら、ピアノは上達していきたい、と思っています。

 そして小土井さんのピアノを聴きながら、降りてきた言葉がありました。ユタカ君には尊敬と感謝だけを捧げよう、ですって。ほほお、天から降ってきた言葉なんですよ。すごいね。

 自分でその言葉に感動しました。演奏中でしたから、自宅に帰って、ふたりでお茶しているときに、「これから、あなたには尊敬と感謝だけを持つね」とユタカ君に言ったら、「ありがとう、嬉しいよ」としみじみ応えてくれて、それもまた嬉しかったですね。

 いがみ合ったり、喧嘩したりしなくてよい平和な世界。それは身近なところから創造できるのですよね。まずは、隣りにいる人と仲良くすることから。まずは、自分自身と仲良くすることから。

 今日は午前中に月の舟通信の編集をしたり、ベッドルームの掃除、カーテンを洗ったりしながら過ごし、午後からみやまコンセールに、9月24日のレオ君の箏コンサートチケットの座席予約に行った帰り、お昼ごはんを食べに、初めてのラーメン屋さんに入ってみたら、豚骨ラーメンがめっちゃ美味しくて、おばちゃんとの話も楽しかった。

 おばちゃんは暇だから仕事している方がいい、看護師をしてたけど、なんだか患者さんが可哀そうでね、というような話をされて、いろいろと勉強させていただきました。

 いろんな人生があるよね。ちょうど午後2時過ぎで、お客さんが途切れたときみたいで、ぼーっとテレビを観ておいでの時間だったけど、「2時までだったけど、いいよ」と言って、ラーメンを作ってくれました。

 わたしたち夫婦もカフェでランチを始めてから、飲食店の大変さがよくわかり、飲食店を経験したら、仕事のノウハウは全部わかるんじゃないか、くらいに飲食店を礼賛しておりますので、その辺に置きっぱなしのラーメンどんぶりとか、片付け半ばの状態を大目に見られました(笑)。

 やはり、レンジでチンの食事ではなく、いろいろと手間をかけて作る料理は美味しさが違います。丁寧に丁寧に、鮮度に気を付けて、食べ物を大切に扱うこと、旬を大事にすることは、生きること全般に関わってくると思います。

 おばちゃんのラーメンは、ひとつひとつ手作りで、ラーメンのゆで方がとっても良かったな。もやしもチャーシューもどれも愛があった。

 わたしは、言葉の人なので、食材のほかに、言葉にも愛を注ぎます。言葉を発信する人、それはSNSでも紙の本でもどちらでもいいのですが、やはり本気の、活きの良い言葉を使いたい、といつも思います。

 今は、時代の狭間。これまでの浮ついた言葉を羅列して、大ウケした時代と違って、これからは本物、本気の言葉しか通用しない時代になってくると思っています。

 というか、わたし自身、自分の本質で生きていきたい、と願っているので、言葉はとくに大事にするべきアイテムなんですね。それは、旬の食材と同じで、新鮮なものを新鮮なままに、腐ったものを出さない、鮮度の高いものをシンプルに料理するように、言葉を連ねていきたい、と思うのです。

 先ほどの「尊敬と感謝」という言葉にしても、この歳になって、「尊敬」という思いが何より素晴らしく美しいと思うので、尊敬、リスペクトという言葉は、心を込めて使います。また、感謝に始まり、感謝に終わる、というのも、人生の到達点だと思うので「感謝」という言葉も、心を込めて使います。

 わたしの場合、小さいときから、どっかから声が聞こえてくる、ということはよくありましたし、今はなぜか、言葉が降ってくる感じなのです。

 それを疑いもせず、ストレートに使います。頭でジャッジしない。このブログを読んでいる方が、「尊敬と感謝」だって、「言葉が降ってくる」だって、変だね、と思われたとしても、自分としては、そういうことがあったのだし、それを信じているので、さらりとここで書くわけです。

 鮮度の高いままに、変に言葉をいじくりまわさないで、自分も世間も疑うことなく、さらりと書くと、結構多くの方が、気づきを得たり、癒しを得たりしてくださっているようです。

 わたし自身が、このブログを書くことでめっちゃ癒されているので、読んでくださる方もまた癒されるのだろうな、と単純に考えています(笑)。

 卑下と傲慢は、同じ波動だそうです。お互いをいがみ合うとか、口喧嘩、陰口、あるいは話したこともない有名人をこき下ろすなんていうのも、実は手を出す暴力以上の暴力ではないか、と最近は思います。

 わたしも波動が上ったのか、最近は他者をジャッジすることがほぼなくなって、批判することはなくなりました。いがみ合いの暴力をただ悲しく思うし、相手を責めることなく、やわらかく責める(これもまた小さな暴力かな、笑)。神様の域まで、あともうちょっとだ。

 さあ、明日は美容院に行く予定でしたが、暑いし、月の舟通信の編集とか、仕事が結構溜まっていることがわかって、やめにして、仕事に集中。明後日は、楽しみなコシノヒロコトークショーだしね。出かけると、暑すぎて、疲労困憊するので、お出かけは最小限に抑えます。

 先ほど、もろもろの用事を済ませて自宅に帰り着いたら、途端に大雨。まだ降り続いています。やらずの雨ですね。桜島の爆発よりも凄い大雨です。

 わたしたち夫婦って運がいいなあ。こんな雨の前に家にたどり着くのですもの。毎月の支払いとか、まあぎりぎりでやっていますが、必ずゆったりとした本当に豊かな暮らしができる、と信じて、毎日を過ごしています。だって、こんなに世界を愛しているんですもの。世界からきっと愛されるわたしたちだわ。

 さらに理想の生活をしているわたしたちを想像し、創造します。健康で、仕事に励み、人との出会いを愉しみ、人生をめいっぱい楽しむわたしたち夫婦。そうそう、わたしにとって、ユタカ君との豊かな暮らしが、まあ言ってみれば、最優先事項で、その次が娘たち、孫たちとの関係。それら愛の対象全部が仕事と直結。だから、会員さん、カフェのお客様たちは、魂の家族です。

 8月14日(日)の「蒲原有明シンポジウム」、準備が整いました。今回は初めて同時zoom配信もいたします。その準備もできましたので、霧島まで来られないけれど、ぜひ聴講したい、という方は、メール(mokka@po4.synapse.ne.jp)にてお申込みくださいませ。折り返し、参加費2千円の振込先、URLをお知らせいたします。

 リアル参加の方もぜひ8月14日をお楽しみくださいませ。日本語の美しさ、島村輝先生、竹本寛秋先生の知的で優しく、美しい会話をお愉しみいただけますよ。わたしもゆったりとした気持ちで、おふたりから学ばせていただきます。きみちゃんは、司会進行もします。

 

 9月10日(土)は、十五夜コンサート。午後5時から6時。室屋麗華(ピアノ)、又吉のぞみ(ソプラノ)、与那嶺なつき(琉球舞踊)と美魔女3人に十五夜の幻想的な世界を再現していただきます。

 9月11日(日)は、女神塾特別ゲストに、性空堂の住職・聖法さんをお迎えして、トーク&質問会。イケメンな聖法さんに「ご結婚の予定は?」というような質問以外をお願いしますね(笑)。

 わたしたちが本当の自分を生きて、豊かになっていくための女神塾。月の舟の女神塾は魂の成長を願うあなたのためにありますよ。第1、2,3日曜日の午前10時から11時半まで。どなたでも参加できます。予約なしでもOK。えいやっとお越しくださいね。きっとご満足いただけますよ。

 8月7日は、女神塾常連さんのなごみちゃんのソロトーク。みんなで応援してくださいね。

 いやあ、凄いなあ。天からの雨も凄くて、龍さんが強く応援してくださっています。先ほどのラーメン屋さんも、竜石という地域にありましたしね。龍さん、ありがとう。

 さ、毎日を最高に楽しんで、充実して過ごしてまいりましょう。皆様を愛しています。いつもブログを読んでいただきまして、大感謝です。暑さに負けず、ご自愛くださいませ。