奇跡の人
2025.11.26更新
ただいま霧島にいます。京都での生活に強制終了がかかり、慌ただしく帰ってきました。
というのも、インフルエンザに罹ったからです。娘が退院する2日前の11月20日、るい君が「おれ、やばい」と言い、病院に行ったら、インフルエンザとの診断。特効薬ですぐに熱も下がり、やれやれと思う間もなく、壮絶なお産をした娘の退院が22日。
もう少し入院を延ばせないかと聞いても、大変込み合っているとのことで、帝王切開をした娘と生まれたての赤ちゃんが帰ってきても大丈夫なように、きみちゃん、娘の家を整えます。
大きな薬局に行き、消毒液だの、残りの家族のためのドリンク剤だの、まるでどこかの国の爆買いの方々みたいな買い物をして、とにかく家を掃除しまくりました。
そして、ついに赤ちゃんと産婦さまのご帰還。お婿さんが恭しく赤ちゃんを抱いて帰ってきました。いやあ、神々しい。それできみちゃん、お祝いにと、大好きなスーパー八百一さんの握りずしセットと娘が食べたいといううどんセットを買い込み、ミニ歓迎レセプション。
その日、とーま君は保育園、れなちゃんはバスケの練習、るい君は2階で隔離。それで大人のご飯だけでよかったので、安心して買い物に。
で、歩きながら、ちょっとおかしいな、と思いました。やたら、筋肉痛がひどい。歩くのがつらい。これも、毎晩のとーま君の夜泣きのときに、抱っこしてスクワットを100回くらいやるので、その筋肉痛かな、と思いつつ、きみちゃんが大好きなお寿司を買って帰りました。
娘にうどんを作り、お婿さんときみちゃんはお寿司。赤ちゃんはすやすやと寝ています。ビッグベビーは産むのは大変だけれど、大きいだけあって丈夫だから、安心です。
食べ終わって、片付けをして、きみちゃん、そうだ、温泉に行こう、と思い、行きました。温泉が何よりのきみちゃんの疲労回復法ですからね。
はじめての温泉でも、きみちゃん、誰とでもすぐに仲良くなるのよね。知らないおばちゃま、お姉さまたちといっぱいお話ができて、最高でした。とくに、霧島の温泉の素晴らしさについて語るきみちゃんは、とても生き生きしている感じ。
で、帰り道、ああ、霧島に帰りたい、と思ったんですよね。歩くのがやはりつらい。これはるい君のインフルエンザがうつったな、と思い、帰る準備をしたのが、その日の午後4時。ユタカ君に電話したら、とにかく病院で検査したら、という返事だったのですが、その日は土曜日で救急病院では3時間待ちらしい。
夕方で寒くなるし、娘が解熱剤をくれたので、それを飲んで休みました。2階のれなちゃんのお部屋に完全隔離です。ご飯も作れません。ま、しゃあないわ。
静かに寝ていると、るい君が同病相哀れむみたいな感じで、ドアを薄めに開けて、「おばあちゃん、大丈夫?」と声をかけてくれます。「るい君がお熱を一手に引き受けてくれたから、おばあちゃんは熱が出なくて、ありがたいわ」というと、安心したように「お大事に、お休み」と言ってドアを閉めます。
わが孫たちは、きみちゃんのことをとても大好きでいてくれて、本当に嬉しい。れなちゃんも、「おばあちゃん、大好きだよ」というお手紙を京都に着いた早々、書いて渡してくれました。もうそれだけで充分。孫を持つ幸せってものですね。
守るものがいる。守るものから信頼される。その多幸感。なにものにもかえがたい愛です。
ひとりで部屋を独占して、一階では4人が台所まで布団を敷いて寝る、ということになってしまいましたが、きみちゃんの役目はここまでだな、ということで、ユタカ君と連絡して、きみちゃんが23日朝早く霧島に帰り、ユタカ君が代わりに24日朝京都に応援に来る、という手配をしました。ホテルを24日、25日、26日ととってありましたから、ちょうどよい連携プレー。
もう、神様のなさることといったら、こうやって、いつも急に予定変更をして、そっちの道じゃないよ、こっちだよ、と指示されます。その通りにやっていると、いつも良いことばかりが起こるのです。
手指をスライサーで切ったときもそうでしたが、それは「準備が整った」ということであり、今回の強制終了も「お役目終了」のゴング。
何か悪いことが起こると、ほとんどの方が凶と捉えてしまいがちですが、そうではなくて、何かの準備が整った、つまり、ほんとうの自分を生きる準備が整ったってことなんですね。
おかげさまで、23日早朝、赤ちゃんたちを起こさないようにして、荷物はお婿さんに送ってもらうように手配して、娘がタクシーを呼んでくれて、ひそかに、まるで恋の逃避行のように京都駅へ(笑)。
京都駅からJR京都線で新大阪まで出て、新幹線で帰ります。きみちゃん、こういうときはグリーン車に乗るんですわ、何しろ、セレブなもんで(笑)。そうしたら、偶然にもあと一席だけグリーン車が開いていて、ラッキー。
新大阪駅でお弁当に赤ワインのミニボトルを買って、グリーン車で優雅に飲み食い。全く熱の出ないきみちゃん。食欲の落ちないきみちゃん。化け物ですか(笑)。いえ、女神です。
赤ワインがひときわ美味しく感じました。それで新大阪から鹿児島中央まで爆睡状態で、いやあ、気持ちよかった。鹿児島中央駅から霧島神宮駅までまた列車に乗り換えて、霧島神宮駅からタクシー。
ユタカ君がカフェを休みにして迎えに行く、と言ってくれましたが、「いや、自分ひとりで帰るから、あんたはしっかり稼いでや」とはっぱをかけたら、ほんとに休日の紅葉シーズンなので、お客様が多くて、儲かりました(笑)。
それでも午後3時にカフェを閉めて、ユタカ君が、きみちゃんの足揉みをしてくれます。帰るなり、ベッドにバタンキュウーだったのですが、やはり熱は出ないし、食欲はあるし、で、さらにユタカ君の足揉みで、これは単なる風邪でインフルエンザではないわ、と思われるほどでした。ただ、咳がひどくて、これだけは今でもきついな。
ユタカ君がビールにおつまみをたくさん買ってきてくれて、ふたりでビールを飲んで、きみちゃんはさっさと寝ました。新幹線での赤ワインもまた飲みました。
翌朝、ユタカ君を空港まで送り、帰ってきてから、明太子パスタを作り、またまたベッドで爆睡。だるさがあって、何もしたくないから、何もしない。
それでも、ベッドの窓から、真っ赤に燃える紅葉が見えるのです。霧島ってすごくない?素晴らしい紅葉ですよ。めちゃめちゃ癒されます。
このブログを書く前にも、体ほぐしのために、庭をひとりで散策してきました。全く寒くはなく、ユタカ君の果樹園を歩くと、金柑が実をつけて色づき始めています。なんと何度も虫に食われてはだめかな、と思われたクコが実をたくさんつけていましたよ。ブラボー。なんて楽園みたいなわが庭よ。
24日は一日中寝て、夜、一念発起して、台所を片付け、英語の勉強をし、女神ヒーリングの新しいパンフレットの微調整をし、ということをやって、残りのビールを飲んで寝ました。
全く熱が出ないので、インフルエンザではないかな、とは思ったものの、病院で検査をしていただこうと思って、25日朝、近くの内科医院へ。
平日ということもあってか、車の中で検査をし、会計もして、という段取りでしたが、30分ほどで終了。評判の良い内科医院で、きみちゃん、お初でしたが、看護師さんはテキパキしているし、先生は頼りがいがあるし、で、来てよかった。ただし、結果はインフルエンザA。
いやあ、がっかり。でも、特効薬が効くとのことだし、お薬をいただいて飲んだら、だいぶ元気になりました。それに27日までが隔離機関なので、28日から予定通り、名古屋経由で東京に行くことにしました。
で、娘一家、きみちゃんが帰ってから、れなちゃんダウン、とーま君ダウン、娘ダウン、お婿さんダウン、とインフルエンザの猛威を受けて、ユタカ君も予防薬を飲んで、みんなのお世話をしているとのこと。
いやあ、すぐにもまた駆け付けたいところをぐっと抑えて、「いやあ、きみちゃん、よくがんばった」、ユタカ君、あとは頼むよ、と心の中で叫び、娘一家がみんな元気になって、ゆったりとしている様子をイメージして祈り続けています。
今日から学校に復帰しているはずのるい君が、とーま君のお世話をよくしてくれる、とユタカ君からの報告。娘の入院中、お婿さんも一緒に付き添いなので、きみちゃんがるい君、れなちゃん、とーま君と過ごしたのですが、きみちゃんがとーま君の夜泣きに苦戦していると、2階からるい君が降りてきて、抱っこしてくれたり、赤ちゃんが泣き止む音楽をかけてくれたり、れなちゃんも抱っこを交代してくれたりして、わが孫たちの素晴らしさよ。
こうやって、みんなで助け合う力さえあれば、大丈夫。
先ほども書いたように、こうした大変な現実というのは、良いことへ向かう兆しなので、そこを乗り越えるべく、毎瞬毎瞬を歓びに満ちて生きること。
女神きみちゃんの人生も、娘たちの人生も、孫たちの人生も、ユタカ君ももちろん、ご縁する皆様すべてが、大幸福で大歓喜に満ちた大感謝な人生というのは、もう信じるどころではなくて、当然のあたりまえの大前提のことだから、何にも心配することあらへんのや(笑)。
悩みというのは、他人の人生を生きたり、他人を束縛したり、執着するから起こることであって、お互いが自由であれば、それでいいのさ。
ちょっと大変なことがあると、幸福な人が不幸になったかのように騒ぐ人って、そういう人はほっといて、とにかく、わたしたちは幸福の道へと向かいましょう。
さて、長くなったついでに、もうひとつ書くとすれば、きみちゃんの今後の人生のこと。11月16日に京都七条で、敬愛する怜子さんにスピリチュアル能力を爆上げするセッションをしていただいたのですが、その後、面白い展開になってきました。
怜子さんとお会いした七条は、京都国立博物館があり、その前に三十三間堂があります。きみちゃんはいつもバスで行くので、その日は京阪電車で行って、あれ?あの向こうにあるのは京都国立博物館?ということに気づきました。いつもであれば、中に入るのですが、その日はセッションまであと30分くらいだったので、そうだ、と思いついて、京都国立博物館がこの方向にあるのなら、三十三間堂はこっちだな、と思い、さっさと入って、見学しました。
いやあ、ここ好きだわ。本当に。かつて、娘たちがまだ小学生の頃に家族で京都旅行をして、連れてきたことを思い出します。娘たちも幼いながら、たくさんの仏像を前にして思うところがあったと思います。
きみちゃんは、中心物であられる「十一面千手千眼観世音」様に惹かれます。そして、たぶん20年ぶりくらいにお顔を拝しながら、「いやあ、その他大勢じゃなく、こんな風に堂々と人の中心でありたい」と思ったのでした。
そしてセッションが始まると、怜子さんが「わたしね、後白河法皇にとても惹かれるの」とおっしゃっいました。それから延々と後白河法皇とか、平清盛とか、待賢門院たま子(漢字は日へんに章)の話をしました。
あとからまたLINEでやりとりをして、つながっていくのが、三十三間堂は、平清盛が後白河上皇に寄進したものであり、七条エリアは、法住寺殿と呼ばれた、後白河法皇の住居、活動拠点であったことがわかります。
そして、後白河法皇の実母は、待賢門院たま子。この人こそが、国宝源氏物語絵巻を企画し、プロデュースした人物と言われ、ちょうど今年、名古屋の徳川美術館でその国宝源氏物語絵巻が一挙公開となる偶然。
きみちゃんがどうして専門でもない源氏物語を30年以上にわたって教えることになったかが、ここでつながった感じ。
きみちゃんが待賢門院たま子の系統をひくかどうかは別として、表の権力とは別に芸能や呪術や祈りを司る霊統(王権の根源)につながっている可能性はありますね。
現実的にもガス屋の娘として生まれながら、その事業は直接、継ぐことはなく、ユタカ君が常務として長年勤めてきてくれたけど、きみちゃんとともに芸能、文学方面で仕事をしているところ、王権とは違う流れで、祈りとか女神ヒーリングの仕事をしているところ、男性性の強い霧島神宮のもとで、女性性そのもののカフェ(癒し、受容の場)を運営していることなど、今回のセッションでは、自分の使命がはっきりして、感動しています。
熱発寸前の新幹線のなかで、怜子さんのFBの投稿をシェアしておりますので、ぜひそちらもお読みいただければ、きみちゃんがここで言いたいことがさらによくわかっていただけると思います。
女神きみちゃんは、火の男性性、文学の女性性、癒しの母性をもつ三層構造を持つ魂で、「鹿児島の男性性と女性性をつなぐ媒介者」という魂の役割があるそうです。
やはり、そうであったか。そうだとは思っていたんだけどね。こうなったらもう、カフェも文学も女神ヒーリングも全部頑張っていくぞお、という気になっておりますわ。
とくに女神ヒーリングは、きみちゃんの天職と感じていた分、まさかの65歳からのライフワークですが、怜子さん曰く、文学の土台があるから唯一無二のヒーリングができる、世界にも通用するヒーリングである、と太鼓判を押していただき、早速、新しい女神ヒーリングのプログラムを組んで、ただいま調整中です。
遅くとも今年いっぱいには新しい女神ヒーリングのパンフレットができあがりますので、どうぞ楽しみにお待ちくださいませね。凄いのができあがりますよ。たくさんの方に受講していただき、魂の本質に目覚めていただけたら、嬉しいです。
文学に関しては、今後、教えるというよりは、これまで研究してきたことをまとめる作家活動に重きを置きます。念願の「作家」という肩書で来年から始動しますよ。
いやあ、68歳にして、ますます進化するきみちゃん。さすが女神だね。こうやって、書いている間に、なんだかどんどん元気になってきた感じ。
きみちゃんは、やっぱり奇跡の人だよ。ヘレン・ケラーみたいな感じではなくて、100歳まで仕事し続ける奇跡の人。
わたしって、すごーーーーーーーい。女神きみちゃんって、最高――――――――。そう思うことが、最高に周波数を上げて、次元を高めるのですよ。次元が高まると、最高のことしか起きないんだよね。
ということで、いつもブログを読んでいただきまして、ありがとうございます。こうして作家活動を続けることが、女神きみちゃんの大きな歓びです。そして、孫と遊ぶこと、女神ヒーリングで人を鼓舞すること、癒すこと。カフェで美味しいと言われる料理を作ること。
女神きみちゃんはいま、自分が本来立つべき場所に立っている。魂がぶれていない。愛する人がいっぱいいて、最高に幸せ。
たぶん、明日は完全回復。今朝は、野菜たっぷりのおじやを自分で作って、あまりに美味しくて、ひとりで感動していました。偉いなあ、きみちゃん。奇跡の人、女神きみちゃん。
またお会いしましょう。