ありがとう奄美③
2023.04.06更新
今日は朝から雨。ただいま午後4時ですが、時折大雨になって、雨宿りしたい雨。やらずの雨。ご家族連れのお客様も、のんびりとコーヒーを飲んだり、読書をしたり、と飛行機の時間まで雨宿りをされて、先程帰っていかれました。
午前中に源氏物語講座があり、いつものように楽しく講義ができましたし、受講生の皆様も、雨の中を歩きたいから、と講義後もゆっくりと歩いて帰っていかれました。霧島での講義は、ほぼご近所の方がおいでになりますね。霧島に拠点を移して3年目。ご近所さんに愛される月の舟になったなあ、と嬉しく、ありがたい気持ちでいっぱいです。
月の舟@天文館時代からの受講生の方々も、霧島までいらしてくださいます。「きみこ先生についていきます」と言ってくださるのです。これまたありがたいです。
ここ連日、両手いっぱいのわらびが届きます。大感謝です。ユタカ君があく抜きをして、佃煮にしてくれました。それをわたしが油揚げと一緒に炊きました。なかなかのお味。もちろんランチの一品になります。
ふきのとう、ふき、わらびと続いて、そろそろタケノコラッシュだ!毎年、タケノコの時期は、何をさておいても、茹でる。獲れたてをすぐに茹でれば、米ぬかもいらないし、本当に美味しい。
商店街のど真ん中で育ったわたしが、こうして自然がいっぱいの霧島に住むなんて、思いもしなかったなあ。かといって、高層マンションなんかは、ユタカ君もわたしも苦手だし、自然と行きつく場所だったのかもしれません。
そして、自分たちのペースで仕事ができるのも、ありがたいですね。お客様が途切れたら、授業準備をしたり、読書したり、たまに昼寝をしたり、お散歩したり、近くのソフトクリーム屋さんに出かけたり。お客様が少なくても、多くても、気持ちが動じなくなったなあ。
生まれながらのシャーマン、と奄美の真理様に言っていただいてから、わたしのなかで変化がありました。
それは、いつも最高の状態でいよう、ということです。わたしにとって最高の状態は、「リスペクト」の境地。
わたしの専門である文学、食べ物、きりしま月の舟という場、ユタカ君、家族、親族、恩師、友人の先生方、受講生の皆様、会員さん、わたしを取り巻くすべての事象に尊敬の念を抱く、というのは初歩の初歩です。
でも、それ以上に、わたしはわたし自身を尊敬し始めている。これって、きみこ史上初かもしれません。自分の努力、勤勉さに自信はあったけど、これほどまでに自分を尊敬、尊重できるようになったのは史上初です。
ゼロから1を生み出す天才だわ、わたしって。お金のないところから、まあ先日のような「愛をぶっこわせ」イベントなんかをやって、大成功に導いちゃう、なんて、天才でしょ(笑)。
いつもなんとかなってるんですよね、不思議なことに。いつも面白いところに導かれちゃうんですよね。今回も、あの大きなイベントをやってすぐに、孫と奄美旅行というのは、普通だったら、ちまちまと霧島で過ごしましょ、ということになるのでしょうが、わたしの場合、行ってしまうのですね。そして、ああ、行ってよかったなあ、素晴らしかったなあ、と感動に浸るのです。
お金がないから、とあきらめたことがない、というのが、きみちゃんの強み。娘たちの進路も「お金がないから」「常識的じゃないから」という理由で止めたことは一度もないなあ。
自分のなかで思いつくことはすべて行動する。実現する。そうして生きて65年。さらに、思いが現実化する、という人間の真理を地で生きてきた今、自分を尊敬する境地に至りました。
自分を全肯定する。そうそう、いいよ、いいよ、きみちゃん。健康で、明るく、楽しい毎日が送れる幸せ。孫がいる幸せ。ユタカ君がいる幸せ。争いのない日常。穏やかな日常。熱心な受講生の皆様に恵まれる幸せ。素敵なお客様に恵まれる幸せ。
いわゆる罪悪感というものがなくなったかな。羞恥心もないよね(←これはもともとないかも、笑)。あ、これって、大きな誤解だな、と思う局面でも、言い訳しないし、ことさら言挙げもしない。
ああ、あの人があのことを捻じ曲げて言っているなあ、と思うだけ。それを相手に理解してもらおうと言葉を尽くしたところで、相手の疑いが晴れるわけではないし。
そんな自分が愛おしい。頑張ってるね、きみちゃん、と自分に声かけしたくなります。体力的には、30歳代、40歳代の子育てと仕事の両立の時期の忙しさに比べたら、今は天国みたいなものです。
月の舟や短大、大学の授業も、とことん準備し尽してきたので、資料はだいたい揃っていて、それを少しアレンジしたり、また新しい資料が出てくると、それがまた楽しくて、余裕があります。
カフェも、素敵なお客様に恵まれ、毎回、楽しい方がいらしてくださって、話がはずみます。ランチも大好評。皆様、完食で、美味しいと言ってくださいます。月の舟のランチを食べてから体調が良い、と言う方も何人かおいでです。
料理の仕込みもだいぶ慣れてきました。ユタカ君とふたりでやるので、できる範囲が基本。でも手を抜かないで、いつも新鮮なレシピを用意して、わたしたち夫婦の食生活も豊かになるという相乗効果もあります。
何よりも、ヒーラー&チャネラーという仕事を始めてから、自分の身ひとつで稼げる仕事がある、ということに大きな豊かさを感じています。
自分自身が信頼できてこそのヒーラー&チャネラー。これまたすごい相乗効果です。この境地に導いてくださった皆様に、魂から感謝申し上げます。
いつぞやのブログにわたしの母が弁財天様かも、ということを書きましたが、ゼロからお金を生み出しているきみちゃんこそが、弁財天様だわ、と思えます。真理様にそのことをお話したら、「それでいいんですよ」と言ってくださいました。
きみここそが弁財天様。だから、これから、きみちゃんはじゃんじゃんお金を生み出し、芸能を振興し、水の神様としても活躍しますよ。フレーフレー、きみこ。尊敬しているよ、きみちゃん。
さて、奄美旅行のご報告の続き。肥後安美さんの黒糖作り見学をさせていただいて感じたのは、手作りの素晴らしさ。薪で炊いて仕上げる黒糖。大人3人で、あ・うんの呼吸で黙々と仕上げられる黒糖。その美味しいこと。
さとうきびに出来立ての黒糖をまぶして、食べさせてくださいました。そうそう、この味。
混ざりもののない、タイミングよく出来上がる黒糖。月の舟のランチも同じですね。大量生産はできないけれど、手作りの温かさがこもる味。
黒糖を分けていただいて、越間さんの工房へ。お庭でお茶を頂きました。その美味しいこと。月桃の葉に包まれたヨモギ餅を、ルイ君もれなちゃんもパクパクと食べています。お庭には布の染料になる植物がいっぱい。
越間さんがアダンの葉で風車を作ってくださいました。帰りにお土産でアダンの葉を持たせてくださって、霧島に帰ってからも、れなちゃんはユタカ君とふたりでせっせと風車を作っておりました。れなちゃんは、工作が大好きだからね。
その後、いったんゲストハウスに戻ってから、お風呂に入ったり、着替えたりして、夕方、ホテル「ばしゃ山村」のレストランへ。
ばしゃ山とは、芭蕉の葉が茂る山、という意味らしいです。ばしゃ山を持っているにもかかわらず、嫁の貰い手がない不細工な女性を「ばしゃ山」と呼んだそうです(ごめんなさい、差別的な言い方ですが、そう説明されたので、素直に記したまでです)。
れなちゃん、この「ばしゃ山」=ブスという図式がいたくお気に入りの様子で、思い出しては、笑っておりました。
いまどきの女の子は、美醜に興味がありますよね。れなちゃんと一緒に温泉に行くと、「おばあちゃん、お風呂の椅子から、お尻がはみ出ていたよ」とおっしゃるれな姫。悪かったわね、デブで(笑)。
「おばあちゃん、痩せたら、また来てあげる」ともおっしゃるれな姫様。ふーーん、おばあちゃんはね、ダイエットする気はさらさらないのよね。運動する気はあるけどね。運動すると、食欲が増して、また体重は重くなるんだよね。
ま、おばあちゃんのスタイルが良くなることを熱望するれなちゃんの期待に応えて、これからは健康増進と減量に励むとするか(笑)。
ばしゃ山村のレストランは、すぐ目の前が浜辺で、窓越しに薪が焚かれ、とても幻想的です。食事も奄美料理の鶏飯、刺身、豚骨などを美味しくいただきました。
そして、わたしの運転で、越間さんを工房までお送りし、わたしたちもゲストハウスに帰ります。その夜もまたバタンキュー。
翌朝は、カヌー体験を予約してあったので、朝8時過ぎには出発して、マングローブの森へ。途中、朝ごはん用のお弁当を売っているお店を見つけて、サンドイッチやおにぎりを買い、みんなで食べました。
そして、初のカヌー体験。このことはまた次回に書きます。
最後に、ちょうど3月19日の「愛をぶっこわせ」イベントの前の3月14日に、ヨーロッパで客死なさった中谷彩一郎先生のことを書きます。
鹿児島県立短大の准教授時代に、月の舟@天文館で、ご専門のギリシャ古典文学をはじめ、「ガラスの仮面」シンポジウムなどにもご出席いただき、いつも笑顔で、きみちゃんの無茶ぶりにも気軽に応じてくださっていた中谷先生。
慶応義塾大学へ移られたあとも交流があり、いつぞやは、三田の慶応キャンパスに中谷先生を長女とお訪ねした際には、三田の薩摩屋敷跡などをじっくりと解説しながら、お散歩してくださいました。恩師の後藤祥子先生やローリーさん、うちの三女と一緒に中谷先生もお食事をご一緒したこともありました。日吉のキャンパス近くにあるアイリッシュパブにいつかご一緒しましょう、と言っていた矢先。
ヘント大学での学会に合わせて、ヨーロッパに渡り、学会発表をされたり、研究をされたり、ヨーロッパ各地を旅行されたりして、「月の舟通信」にも「白耳義だより」を連載してくださっていました。
そろそろ日本に帰国という直前、列車での移動中に心臓麻痺で急死されたとの報告があり、わたしもユタカ君もびっくり。何かの間違いではないか、間違いであってほしい。
「白耳義だより」の原稿も頂いており、あとは帰国してからまた書きますね、というメールが最後でした。
いつも大量に写真をSNSにもアップされ、月の舟へもすぐに原稿と写真が送ってきて、よく食べ、よく移動されているなあ、と思っていた矢先の訃報です。
シャーマンきみちゃんには「あれ、いったいどこにいるんだ?」という中谷先生の声が聞こえてきました。そりゃそうですよね。死んだことすら気が付かない事態でしょう。
これまで何人の研究者の先生方が、あっという間に向こうの世界へ行かれたことか。研究ピークの絶好調のときに、え?というスピードで亡くなられる研究者の先生方を何人か知っています。30歳代から50歳代の先生方でした。
人は寿命が来たら死ぬ、とわかっていても、寂しいものがありますね。思うに、きみちゃんは、子育てがあったから、このような急死を免れた、といつも思います。
わたしも集中するタイプですので、研究したら、とことんやる。ヨーロッパでも豪遊するくらいのことはしたかもしれない。肉体の限界を超えるくらいのことはやったかも。
でも、子育てって、思うように研究ができないからこそ、わたしはそのような急死を免れ、長生き体勢に入ったんだなあ、と思うのです。
ユタカ君も、わたしと結婚して、子育てをしたから、読書オタクを免れた、と言っています。結婚すること、子どもを持つことがベストではないけれど、子どもを持ち、孫を持つことで、人は生かされる。そのことを言いたいのです。
ちょっと誤解を招く言い方かもしれませんが、子育てとは、実に豊かな命の育みなんだなあ、と思うのです。
中谷先生も結婚のご意思がおありで、わたしたち夫婦もつねに気にかけていたのですが、独身のままお亡くなりになりました。でも、それが中谷先生にとって、最高最善の人生なのですよね。
まだ中谷先生が、ひょこっと月の舟にいらして、あの笑顔で、ヨーロッパでの楽しかったことをお話くださるような気がしてなりません。あのふんわりとした空気感。大好きだったなあ。ありがとう、中谷彩一郎先生。ときどき、わたしの夢に出てきてくださいね。
ということで、奄美の旅の報告、まだまだ続きます。自分を褒めまくる。自分を尊敬しまくる。そして、他人様も褒めまくる。
今日もブログを読んでくださいまして、ありがとうございました。ではまた、お会いいたしましょう。